39歳、人生は思っていたより完成していない
39歳になった。
20代の頃、39歳の自分をどんなふうに想像していただろう。
たぶん、結婚して、子どもがいて、大きな会社でそれなりのポジションについていると思っていた。
組織の中を上手に泳ぎ、「仕事のできる人」として評価されている。仕事も家庭も子育てもちゃんとやって、なぜか身なりまできちんとしている。
いわゆるワーママで、何でもそつなくこなす、自立した女性。
今思えば、20代の私には39歳の女性についてほとんど解像度がなかったはずなのに、ずいぶん具体的な完成予想図を持っていた。
若い頃というのは、大人になれば自然とすべての辻褄が合うものだと思っている。
仕事も、結婚も、お金も、人間関係も。
39歳くらいになれば、人生の主要な論点にはだいたい回答済みなのだろう、と。
実際には、そんなことはなかった。
結婚もしていないし、子どももいない。大企業で順調に出世しているわけでもない。
その代わり、なぜか会社を経営している。
人生は、こちらがつくった企画書をあまり読んでくれない。
***
独立したのは30代前半だった。
こう書くと、大きな志を胸に起業したように聞こえるけれど、そんな立派な話ではない。
今の社長と同僚に声をかけられて、
「この人たちとは一緒に働きたいし、まあいいか」
くらいの気持ちで決めた。
事業計画を何年も練ったわけでもないし、「いつか起業する」と手帳に書いていたわけでもない。
失敗したら、そのときはまた別の仕事をすればいい。
それより、今いる場所では経験できないことが起きそうだった。
少し怖かったけれど、それ以上に面白そうだった。
数人で始めた会社は、いつの間にか30人近くになった。
私自身も役員になり、社内ではどうやら「偉い人」の部類に入るらしい。
20代の頃、会社で偉くなることにはずいぶん憧れていた。
実際に偉い側に来てみると、思っていたほど気持ちのいいものではない。
偉くなるというのは、好きに決められることが増えるというより、正解のないことを決めて、その結果が悪ければだいたい自分の責任になるということだった。
なかなか割に合わない。
クライアントの仕事はいまでもする。
でも、自分がいい仕事をすることだけ考えていればよかった頃とは、ゲームのルールが変わった。
誰を採用するのか。
誰に何を任せるのか。
人をどう育てるのか。
会社として何を目指すのか。
そして、どうやって売上をつくるのか。
自分が仕事のできる人であることと、会社をうまく経営することは、まったく別の能力だった。
そして後者は、びっくりするほど難しい。
もうこんな大変なことから足抜けして、自分一人のことだけ考えて働けたらどれだけ楽だろう、と思う日もある。
一方で、私がここからいなくなったら、この会社はどうなるんだろう、とも思う。
もちろん、一人抜けただけで潰れる会社であってはいけない。
それでも、今の私には背負っているものがある。
この会社を自分の居場所として選んでくれた社員たちがいる。
その居場所を守りたい。
20代の私は、「仕事のできる人」になりたかった。
39歳の私は、自分が評価されることより、自分の判断が誰かの仕事や生活に影響することの方が気になるようになった。
そこまで責任感のある大人になる予定だったかというと、正直、予定外である。

***
お金についても、20代の頃とはずいぶん感覚が変わった。
今は、お金の心配をすることがほとんどない。
もちろん何でも買えるわけではない。
東京には、こちらの経済力を試すようなマンションもレストランもいくらでもあるので、上を見ればきりがない。
それでも、本当にやりたいことを「お金がないから」と諦める場面はかなり減った。
行きたいところへ行く。
会いたい人に会う。
食べたいものを食べる。
ヨーロッパへ旅をする。
仕事ではアフリカにも行く。
国内にもよく出かける。
泊まりたいホテルに泊まり、飲んでみたいワインがあれば頼む。
昔は、お金があれば幸せになれるのだと思っていた。
今は少し違う。
お金そのものが幸せにしてくれるわけではない。
機嫌の悪い日は、いいホテルに泊まっても普通に機嫌が悪い。
ただ、お金は、自分の幸せを自分でコントロールできる範囲を広げてくれる。
疲れたら休む。
遠くにいる大切な人に会いに行く。
見たい景色を見る。
好きな人とおいしいものを食べる。
「今日はどうしたら、自分を少し幸せにできるだろう」
そう考えたとき、自分で選択肢を持っている。
これは、若い頃に思っていた以上に大きな自由だった。
***
そして30代を過ぎて、もう一つ気づいたことがある。
体力は資産である。
20代の私は、体力なんて空気のように無限に供給されるものだと思っていた。
多少寝なくても働けたし、そのあと飲みに行くこともできた。
今考えると、若さとはかなり優秀な福利厚生だった。
最近は定期的に運動をする。
身体を動かして、ちゃんと食べて、なるべく眠る。
あまりに当たり前なので、20代の自分に言ったら鼻で笑われそうだ。
でも、この当たり前のことができているだけで、精神状態までずいぶん安定する。
よく働いて、よく遊ぶ。
今の私は、この生活が結構気に入っている。
ただし、仕事が猛烈に忙しくなると最初に壊れるのも、このバランスだ。
運動に行けなくなり、睡眠時間が削られ、頭の中を仕事が占領する。
「仕事もプライベートも充実」という言葉は美しい。
現実には、だいたいどちらかが暴れ出す。
39年生きても、自分の取扱説明書を完全には理解できていない。
たぶん、完成版は発行されないのだろう。

***
39歳の私には、大切な人たちがいる。
母とは、とても仲がいい。
しょっちゅう電話をする。よく一緒に食事をする。国内旅行にも行くし、海外にも一緒に行く。
若い頃は、それを特別なことだとは思っていなかった。
でも歳を重ねるほど、母とこんな関係でいられることは、人生でもらった大きな財産の一つだと思うようになった。
昔は、大切な人というのは、ただずっとそこにいるものだと思っていた。
歳を取ると、そうではないことが少しずつ分かってくる。
一緒にいられる時間には限りがある。
だから、会いたい人には会っておきたい。
長く一緒にいるパートナーもいる。
たぶん、誰より私のことを分かっている人だ。
仕事をしている私は、かなり鎧を着ている。
判断しなければならない。
強くいなければならない。
分からなくても、分からない顔をしてはいけない瞬間がある。
肩書きというのは便利なもので、ときどき本人以上に本人を強そうに見せてくれる。
そんな私が、何者でもなくいられる場所がある。
それは、とてもありがたい。
友人もそうだ。
20代の頃は、たくさんの人に囲まれていることに価値を感じていた。
誘われること。
予定が埋まっていること。
知り合いが多いこと。
カレンダーが埋まっていると、自分の人生まで充実しているような気がした。
今、本当に心を許せる人はずいぶん少なくなった。
でも、それでいい。
むしろ、誰にでも同じだけ時間を使わなくていいと分かったことは、大人になって得た自由の一つかもしれない。
人間関係もまた、増やせば増やすほど豊かになるものではないらしい。
***
こうして書いてみると、39歳の私はずいぶん満ち足りているように見える。
実際、今の自分にはかなり満足している。
でも、完全に満ち足りているわけでもない。
会社のことを考えれば不安になる。
「私がやらなければ」と使命感に駆られる日もある。
人生について迷わなくなったわけでもない。
何かが足りないと感じる日もある。
たぶん、人間というものは、満たされた瞬間に「では次は何が足りないのか」を探し始める、なかなか面倒な生き物なのだと思う。
それでも、20代の頃とは明らかに違うことがある。
あの頃の私には、いつも「ここではないどこか」があった。
もっと評価されたい。
もっと面白い仕事がしたい。
もっといい会社に行きたい。
海外に住んでみたい。
もっと遠くへ行きたい。
今いる場所は仮の場所で、本当の人生はもう少し先にあるような気がしていた。
何者かになれば、人生が完成する。
どこかに辿り着けば、満たされる。
そう思っていた。
あの、ほとばしるような焦燥感は、今の私にはもうあまりない。
情熱がなくなったのかもしれない。
野心が小さくなったのかもしれない。
でも、たぶん少し違う。
どこかで、「No Whereではなく、Now Here」という言葉を見たことがある。
いまの気分は、まさにそれに近い。
ここではないどこかへ、必死で行こうとしなくてもいい。
私はいま、ここにいる。
***
20代の私が描いた人生設計から見れば、私はずいぶん予定を外してきた。
大きな会社に残らなかったことも。
会社をつくったことも。
それが30人近い会社になったことも。
経営する側になったことも。
ほとんど予定していなかった。
むしろ振り返ると、人生を形づくった大事なものほど、予定外だったように思う。
仕事も。
人との出会いも。
旅も。
選ばなかった道も。
だから最近は、人生を完璧に設計しようとすることに、以前ほど興味がない。
もちろん計画はする。
仕事の計画も立てる。
お金のことも考える。
次の旅行の日程にいたっては、我ながら驚くほど細かく決める。
でも、その計画通りにならなかった先に、今の自分には想像もできない人生があることを、私はもう知っている。
若い頃に想像していた39歳にはならなかった。
人生は思っていたより完成していない。
そして、たぶんこの先も完成しない。
まだ変えたいこともある。
行きたい場所もある。
知らない自分もいる。
でも、いつか辿り着くはずの「本当の人生」を待つのは、もうやめてもいい気がしている。
目の前の仕事をして、大切な人と食事をして、身体を動かして、ときどき遠くへ旅をする。
そして、ときには予定外の方向に曲がってみる。
39歳。
思っていたのとは、ずいぶん違う場所に来た。
でも、振り返れば、予定外だったからこそ辿り着けた場所もたくさんある。
ここは案外、悪くない。
