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何者にもなれない私の話

こんばんは。こんにちは。或いはおはよう。
朝からこの記事に目を通すのはやや内容が胃にもたれるのではないだろうか。と思いつつ、この記事を読んでくれる皆に取りこぼしのないように挨拶から始めたい。

私はこれまで沢山の人とある時はかけがえのない出会いをし、ある時は身を滅ぼす出会いをし、その全てを忘却してきた。そしてその全てを俯瞰し、主観し、赦してきた。ただ、このnoteの中では、私は私でいようと思う。

つまり、私は私の考え、私の主観、俯瞰、それらを包み隠さず曝け出すということを、誰も知らない、知ることもない場所ではなく、一歩間違えれば今の人脈全て失う場所で全て曝け出していこうと思うのである。

我ながら何故そんなことをしようと思うのかわからない
けれど、私は私であるために、私を整理する必要があり、私は私の本当を知るために、私の本当の大切な人を見定める必要があり、私は私をまた捨てて他人を守るよりも、私は私を大事にすることを覚えることが今後の人生において大事なのだと思ったのだ。

前置きが長くなったが一つづつ紐解いていく。

caption 1  「幼少期」

幼少期。覚えているのは3歳〜からだろうか。
大阪の片田舎には似つかわず母は美しく、目鼻立ちの印象的なパワフルな女性だった。幼い頃の夢は芸能人だったそうだ。
ただ、私はそんな母には似ず、父親似の奥二重の頭でっかちの癖っ毛のぼんやりとした子だった。
母はよく、私に「私に似たら良かったのにねえ」と言った。近所の人や、モールで話した知らない人、後にママ友になる人が、「お父さんに似てるのかな」なんて言った日には、とっても嬉しそうに「お父さん見たことないのにお父さん似って」と爆笑して私の背中をバンバン叩いた。私はブスで当たり前、そういうものなんだと思ってたし、お母さんは美人で当たり前、そういうものなんだと思っていた。私は少し悲しかった。鏡の前で笑顔の練習をしては母とは違う細い目にへちゃむくれな鼻に悲しくなった。

話は変わるが、実家が嫌いだった母は半ば強引に結婚し実家を出た為、父と教育方針が合わず、私が生まれてからバレエ、ピアノと習い事をさせたがる母と私に興味のない父はそりがあわず、父は浮気をした。
プライドが高く共働きだった母は私を保育園に遅くまで預け、父の浮気に報復する為に毎晩違う男を連れ父の会社の周りを練り歩いた。
もちろん父の会社では父は大恥をかいたと母は幼い私に勝ち誇った顔で言って聞かせた。お酒の匂いが鼻をついた。
遅くなる時は決まって私の好物のシュークリームを買ってタクシーで迎えに来てくれた。
その間、私は保育所の先生のいじめの格好の餌食だった。だけどそれが普通だったのでそんなものだろうと、悲しく思うなど特になかった。
人間、常識の範疇が低レベルであればあるほど不幸に気づきづらいものである。
そんな事よりも、私は1人最後まで残されて教室の真ん中に一つ椅子を置かれて見せられたセーラー○ーンの、胸の辺りから出てくる夢の鏡(?)を覗き見られる時の各キャラの喘ぎ声のような声が教室中に響き渡る中コツコツと残業する先生と2人きりでその映像を見るのが恥ずかしくて印象に残っている位である。
思えばその時から将来裏垢、もといエロアカウントを作るに至る素質があったのかもしれない。

そんな生活も私が小学校に上がる頃には破綻し
私には父がいなくなった。
土日は母は男遊び、父に預けられ、父に祖母に預けられた私は、最近死んだ祖母の葬式にもいけなかった。
祖母は私の七五三の写真をずっと病室に飾ってくれていたらしい。
父は、母よりずっと下品な女の人に看取られて死んだ。
だけどその顔は何処か安らかで何だか悔しかった。

新しい父ができる頃には私の身体にはあざが絶えなくなり、私の生活はどんどん歪んでいった。

死にたい私が生まれたのはこの頃だったと思う。

episode 2  に つづく

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