経営は、強制スクロールのゲームである
会社経営を継続するのは、とても難しい。
今うまくいっているからといって、来年もうまくいくとは限らない。自社に大きな問題がなくても、景気や為替、原材料価格、技術革新、法改正、取引先の方針転換など、外部環境の変化によって一気に経営が苦しくなることもある。
昨日まで優良企業だった会社が、環境の変化によって倒産に追い込まれる。そんなことも決して珍しくない。
だからこそ、多くの経営者は勉強する。
経営について学び、新しい知見を取り入れ、世の中の変化を知り、自社を成長させようとする。
それ自体は、もちろん必要なことである。
しかし、ここには二つの難しさがあると思う。
一つは、変化しなければならないこと。
そしてもう一つは、変化の方向を間違えてはいけないことである。
経営は強制スクロールのシューティングゲーム
経営というものは、昔の強制スクロール型のシューティングゲームに少し似ていると思う。
画面は勝手に前へ進んでいく。
自分だけその場に留まっていることはできない。
何もしなくても時間は進み、顧客は変わり、競合も変わり、技術も変わる。
だから自分も動かなければならない。
しかし、動けばよいというものでもない。
進む方向を間違えれば、障害物にぶつかって墜落する。
変化しないことにもリスクがあり、変化することにもリスクがある。
経営の難しさは、まさにそこにあるのではないだろうか。
求められるのは、学びと実践の連続
では、どうすればよいのか。
結局のところ、
学ぶ。やってみる。結果を見る。また学ぶ。
この繰り返ししかないのだと思う。
経営者が学ばないというのは論外である。
世の中がこれだけ変化している中で、昔の経験だけを頼りに会社を経営し続けるのは危険だと思う。
一方で、私は最近、もう一つの危険性も感じている。
それは、勉強熱心であること自体が落とし穴になるということである。
経営書をたくさん読む。
セミナーに参加する。
勉強会で経営について語る。
新しい経営理論やフレームワークを知っている。
それらは決して悪いことではない。
しかし、それによって「自分は成長している」と感じてしまうことがある。
知識が増えることと、会社が良くなることは同じではない。
立派なことを語れるようになることと、経営が上手になることも同じではない。
むしろ、実践を伴わない学びは、自分が成長しているという錯覚を生み出すという意味で、時には害悪にすらなり得ると思う。
経営は学問ではなく、実務である
経営について学んでいると、さまざまな概念に出会う。
理念、ビジョン、戦略、マーケティング、組織論、財務、人材育成……。
どれも大切である。
しかし、経営は学問ではない。
実務である。
どれだけ素晴らしい概念を知っていても、それだけでは飯は食えない。
有名な経営者の成功談を聞くことも参考になる。
「あの会社はこうやって成長した」
「この経営者はこう考えて成功した」
そこから学べることはたくさんある。
しかし、その人と自分では会社も違えば、顧客も違う。社員も違う。地域も違う。時代も違う。持っている経営資源も違う。
他人の成功体験を、そのまま自分の会社に当てはめることなどできない。
結局、自分で試してみるしかないのである。
目の前の顧客に、お金を払ってもらう
経営についていろいろ考えていくと、話はどんどん大きくなっていく。
会社の未来を考え、社会について考え、組織について考える。
それも必要なことだと思う。
しかし、その一方で、商売の原点を忘れてはいけない。
目の前の顧客に価値を提供し、その対価としてお金を払ってもらう。
まずはここである。
顧客が何に困っているのか。
自分たちには何ができるのか。
やってみた結果、喜んでもらえたのか。
お金を払ってでも欲しいと思ってもらえたのか。
ダメだったなら、何がダメだったのか。
そして、もう一度やってみる。
その愚直な積み重ねの先にしか、会社の成長はないのだと思う。
経営に必勝法はない。
立ち止まることもできない。
だから学ぶ。
そして、学んだらやってみる。
うまくいかなければ修正する。
また学び、また実践する。
強制スクロールしていく画面の中で、障害物を避けながら少しずつ前へ進んでいく。
経営とは、そんな終わりのないゲームなのかもしれない。
