誰かの物語じゃなくて、「私」の人生を生きていく
去年の私が思い出した、好きの一つ。「読書」。
小説が好き。
でも、いつしか、好きと言うより、中毒になっていた。
のぼせるまでお風呂でページをめくり、日付が変わっても「あと1ページ」と夜更かしをして。
文字の海に潜っている間だけは、煩わしい現実を忘れ、誰かの人生を旅することができた。
でも、どんなに心を震わせる名作を読み終えても、どんなに心が動いても、本を読み終わると、私の日常は何も変わっていなかった。
当たり前だけど、小説の中に、「私」はいなかった。
そんな私の目が覚めたのは、年末年始の帰省先でのことだった。
義母が淹れてくれた、一杯の緑茶。
ティーバッグではなく、急須で丁寧に淹れられたそのお茶は、驚くほど美味しかった。
茶葉が開き、香りが立ち上がるのをじっと待つ。
私が、仕事に育児にと、あくせくする間に省いてきた、面倒くさくて、非効率で無駄な時間。
スマホの画面も、小説の続きも、そこにはない。
けれど、そのわずか数分は、スマホを見て溶けていった1時間よりも、
静かに、私の五感と心を満たしてくれた。
初売りで見つけた、マスキングテープの福袋。
マスキングテープが20個も入っている!
「こんなに使い切れないなぁ」と苦笑いする私に、圧強めな店員さんは、さらりと言った。
「何言ってるんですか?
使い切るんじゃないんです。集めて楽しむものですよ。
文房具なんて、基本的には机を圧迫して邪魔しかしないです。
でも、それが楽しいじゃないですか!」
その言葉に、ハッとした。
実は、義実家に帰省したとき、少し困った瞬間があった。
大人がたくさんいて、子どもと遊んでくれる人も、ごはんを作ってくれる人も、洗濯物を取り込んでくれる人もいて。
気づけば、私のやることがなかった。
でもそのとき、
子どもが当たり前のように差し出してくる手や、
「ママ、遊んで」と呼ぶ声、
私のごはんを待ってくれている人の顔を思い出して。
ああ、私の日常って、思っていたよりずっと満たされていたのかもしれない。
日常の、面倒くさい営みが、私の幸せだった。
子育てに追われる間にいつしか、
おしゃれや音楽、お酒を飲むことや、友だちとの他愛もないおしゃべり。
手間暇かけてやりたいあれこれを、今大事なことはそこじゃないと、切り捨ててきた。
本も、時間も、自分の人生も、
「効率よく使い切り、何かを成し遂げなければ、何者かにならなければ」と自分に呪いをかけていたのかもしれない。
でも、「無駄でいい」と全肯定しながら、愛でるものがある人生の素晴らしさよ。
無駄な時間や、非効率なことや面倒くさいものの中に、
人それぞれの宝物は、隠れているのかもしれない。
「時間を溶かす」ようにじゃなくて、面倒くさいものもあえて味わい、「時間を刻む」ように。
今、目の前にある時間を慈しんでいく。
私は、「私」の物語を生きていく。
もちろん、読書はやめないけど、
小説の世界に逃げ込むのではなく、
今、目の前にある「私」の人生を生きる。
まずは、ティーバッグじゃなくて、急須でお茶を淹れる。
茶葉が踊るのを眺めながら、夫と向かい合い、今日あったことを話そう。
「ママ、あのね、聞いて」
私を呼ぶその声に、手を止め、耳を傾けよう。
車で行けば数分の道も、子どもたちと手をつないで、歩いてみよう。
それが、今の私の人生だ。
時が来ればお返しする命
せっかくだから 唯一で無二の詰め合わせにして返すとしよう
あわよくばもう 「いらない、あげる」なんて 呆れて 笑われるくらいの
命を生きよう
君と生きよう
