学童野球に「いらない指導者」
学童野球のチームには、たくさんの大人が関わっている。
監督、コーチ、保護者コーチ。
子どもたちのために休日を使ってグラウンドに立っているのだから、本当にありがたい存在だと思う。
ただ、人数が多ければ多いほどいいのかというと、私はそうは思わない。
むしろ、いない方が子どもが伸びる指導者もいるのではないだろうか。
自分の成功体験を正解にする指導者
「俺たちの頃はこうやって教わった」
「この打ち方が基本だ」
「ゴロはこうやって捕るものだ」
野球経験が長い人ほど、自分の中に「正しい野球」がある。
もちろん、経験は大きな財産だ。
ただ、自分に合っていた方法が、目の前の子にも合うとは限らない。
身体の大きさも違えば、筋力も柔軟性も違う。得意な動きも違う。
経験を伝えることと、経験を押しつけることは違う。
すぐに答えを教える指導者
「もっと前!」
「セカンド!」
「走れ!」
試合中、ベンチから次々に指示が飛ぶ。
その通りに動けば、アウトを取れるかもしれない。点を取れるかもしれない。
でも、それを繰り返していたら、いつ子どもが自分で判断するのだろう。
間違えてもいい。
「今の場面、どこに投げればよかったんだろう」
そう考える経験そのものが、野球を覚えることなのだと思う。
大人が正解を言い続ければ、子どもは正解を待つようになる。
ミスを探し続ける指導者
子どもが打つ。
「今のは開くのが早い」
ゴロを捕る。
「腰が高い」
投げる。
「肘が下がっている」
指導者だから、悪いところが見える。
でも、見えたものを全部言う必要があるのだろうか。
一球投げるたび、一回振るたびに何かを言われたら、子どもは自分の感覚で野球をすることが難しくなる。
「今の、よかったな」
それだけで終わってもいい。
もっと言えば、何も言わなくてもいい時だってある。
うまい子ばかり教える指導者
これは意外と起こりやすい。
ピッチャー候補、主力打者、レギュラー。
試合で結果を出してほしい子には、自然と指導者が集まる。
一方で、キャッチボールもうまくできない子は、端の方で同じ練習を繰り返している。
でも、指導を一番必要としているのはどちらなのだろう。
何もしなくてもある程度できる子より、どうすればいいのか分からず困っている子なのではないか。
子どもの可能性を勝手に決める指導者
「あの子はピッチャー向きじゃない」
「足が遅いから、このポジション」
「あいつはセンスがない」
小学生である。
これから身長が何センチ伸びるかも分からない。
身体能力がどう変わるかも分からない。
そもそも半年後に突然うまくなるかもしれない。
そんな子どもの可能性を、大人が現在の能力だけで決める必要はないと思う。
何かを教えないと気が済まない指導者
私は、これが一番いらないのではないかと思っている。
子どもたちが楽しそうにキャッチボールをしている。
それなら見ていればいい。
自分たちで守備位置について話している。
それなら聞いていればいい。
打ち方を試行錯誤している。
すぐに口を挟まなくてもいい。
指導者という名前がついているからといって、常に指導する必要はない。
子どもが困った時。
助けを求めてきた時。
危険なことをしている時。
そんな時に大人が手を差し伸べればいい。
何も言わずに見守ることも、立派な指導なのではないだろうか。
学童野球の主役は指導者ではない。
子どもたちだ。
だから私は、いい指導者とは「たくさん教えてくれる人」とは限らないと思っている。
教えるべき時には教える。
任せるべき時には任せる。
そして、必要がなければ黙って見ている。
もしかすると優れた指導者ほど、
「自分がいなくても、この子たちは野球ができる」
そんな状態を作ろうとする人なのかもしれない。
毎日投稿していますので、フォロー登録をお願いします。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! 