プロベーション・レポート ~新入社員の四カ月~ 第四章2
第四章 第二話「ハッカー」
「シャチョサーン、オキテー、オミセオワリヨー。」
「ああ・・・ありがとう。いつもすまないね。」
「イイヨイイヨー、アナタオカネイッパイクレル。マタキテネー。」
憂鬱だ。
恐らく烏丸は昨日の一件を根に持っていて、あの新入社員が事務所に入ってきたことを知られれば見逃すことはないだろう。
彼への叱責によって、また事務所が萎縮する。
そうなると、彼には悪いが辞めてもらった方が私たちは平穏に暮らせるのに、とすら思う。
しかしそれを考えても仕方ない。
私は重い腰をあげて会社へと向かった。
「・・・・・・・」
ギィッ・・
デスクに腰掛け、パソコンの電源を入れる。
烏丸が不機嫌であろうという問題はあれど、少なくともあと一月ほどは私の罪を見つめずに済むのだから、少しだけ気分は軽いというものだ。
今日くらいは何事もなく過ぎ去ってほしい。
タッタッタッタ・・・
「あのーすみません。一つお伺いしたいんですけどいいですか?」
なにやら中腰のような姿勢でこちらの様子を伺っているのは、例の新入社員の小林という男だった。
追い払わねば。
こいつと話をしているなどと見られたくはない。
「こんなところで何をしている。仕事に戻れ。」
「あー・・・いえ一つだけなんで。この給与明細なんですけど基本給の金額おかしくないですか?少なくとも何人かの人は僕と同じ80,000円の記載になってましたけど、年金や退職金どうなってんのかなって。」
目の前が真っ暗になった・・・
私は必死に追求されないように振る舞ってきたはずだ。
私が長年に渡り社員全員の給与明細を作っているのだ。
副作用を知らないわけもない。
『私の罪が暴かれる!』
『私はもう終わりだ!』
いや・・・落ち着け・・・
ひとまずこの場は収めなければ。
「大丈夫ですか?なんか真っ青ですけど。」
「あ・・・いや・・・大丈夫だ・・・しかし、ここでは非常に話しにくい。君も配送の時間だろう。夕方に戻り次第、少しこちらに顔を出して喫煙所に行きなさい。そこで話そう。」
「わかりました。僕多分常務に見られるだけで怒られそうなんで、このまま失礼しまーす。」
暴かれてしまった、のか?
少なくとも彼は、私が長年気に病んできたことの全てを口にしたといえよう。
基本給が80,000円というのが彼だけのものではない、ということもどうやらバレている。
ふむ、最近の若い奴は他人の給与を簡単に聞くのだな・・・
ひとしきり朝の仕事を終え、下に降りては煙草に火をつける。
フゥッ・・・
深く呼吸をした私は今、彼に洗いざらい全てを話すことを考え始めていた。
基本給が80,000円、というふざけた数字を全社員に適用している会社などそうあるものではない。
あの儀式同様に、これもまた我が社は少数派というわけだ。
もう10年になる・・・烏丸に言われるがままに私は罪を犯しているのだ。
基本給が少なければ当然賞与に影響がある。
まあ賞与などここ何年も出ておらず、去年に至っては寸志として千円札をたった一枚ずつ配り、それでいてあの儀式をさせたのだから狂っている。
退職金だって当然影響がある。
むしろ退職金の積み立て額を減らそうというのが本音だろう。
フゥ・・と紫煙を吐き出す・・・
・・・実のところ年金にも彼の指摘通り影響があるかもしれないのだ。
標準報酬月額、という制度に変わり何年経ったかは定かではない。
しかし、とうに切り替えていなければならないことくらいは私にもわかっている。
基本給だけではなく、毎月決まって支払われる手当も含めて届け出る。
つまり、本来ならば基本給が80,000円だからといってそれだけで年金額が決まるわけではない。
制度がそうなっているのだから、うちだってそうしていなければならないのは当然だが・・・どうにも誤魔化しているような気がしてならない。
あらゆる手段を使って従業員を食い物にしている会社なのだから、そう疑うに値するだけの理由はいくらでもある。
ふむ。
彼が何者であるかはわからないが、核心を突かれてしまったのなら全てを話さざるを得まい。
『話せば私は救われるだろうか?』
「すまない、待たせたね。」
「あ、お疲れ様ですー。全然大丈夫ですよー。」
社内でも最も若い部類に入るであろうその新入社員は、随分と年齢にそぐわぬ煙草を吸っていた。
「君はその若さでハイライトなのか?」
「あぁ、これですか?このぐらいじゃないとどうにも。キツイんですけどね。」
シュッ・・
私も煙草に火をつけては、深くため息をつく。
「さてどこから話をしたものか・・・」
「そうですねぇ。基本給が80,000円はヤベェと思って確認したら二課全員がそうでした。ヒラだけならまだ可能性あるかなと思ったんですが課長もだったんで・・・全員そうなんですか?」
やはり・・・全てわかっているのだな。
「君は私の罪を暴きにきたのか?」
「罪?何の話ですか?よくわかりませんがじゃあ質問を変えます。上からの指示ですか?」
救われた気がした。
私が長年独りで抱えてきたものを、この歳若い男はきっとわかってくれる。
許されたい・・・全て話して許されたいのだ。
「常務からの指示だ。もう10年になる・・・私は奴からの・・・」
「まあそうですよねー。じゃあ常務がその金額に決めたんですかね?」
・・・違うか。
・・・私だけ救われたいなどとは都合が良すぎるな。
この男はそれを見抜いている。
「いや、常務からの指示ではあるが、誰がこうすると決めたのかは私は知らないんだ。すまない、力になれなくて。」
「あ、いえそれは大丈夫です。うーん・・・事務長に一つお願いがあるんですけど。」
・・・なんだ?
「・・・出来ることなら協力しよう。」
「僕と社長の会食セッティングしてくれません?もちろん事務長同席で。」
私はまた・・・目の前が真っ暗になった。
