見出し画像

83 裏切り者の美男子、アメノワカヒコとは誰か?(その2)


連載82「 裏切り者、アメノワカヒコとは誰か?(その1)」 から続く。

アメノワカヒコを祀る神社

アメノワカヒコを祀る神社の社伝から、アメノワカヒコの正体につながる手がかりがみつかるかもしれない。
アメノワカヒコを祀る神社は多くない。しかもアジスキタカヒコネを主祭神とする神社で一族として配祀されていることが多い。例えば、奈良県御所市に鎮座する高鴨神社は、主祭神をアジスキタカヒコネとし、子のアジスキハヤオ、弟の事代主、妹の下照姫とその夫のアメノワカヒコを祀っている。これは記紀を記述を前提にしており、アメノワカヒコの正体の手がかりとはならない。

アメノワカヒコを主祭神とする数少ない神社をみてみよう。
滋賀県愛知郡の安孫子神社は、天稚彦命を主祭神としている。社伝では開化天皇の皇子・彦坐王の四世の孫、白髪王の裔が創建したと伝えている。「三代実録」貞観13年条に「天若御子神」とあるという。江戸時代には天若大明神と呼ばれ、明治初年、天若日子と呼ばれた。この沿革から見て主祭神がアメノワカヒコであるのは確かだ。

現在は安孫子神社と称している。安孫子氏が長い間、祀ってきたようだ。祭神を祀るのは、その子孫であることが多い。安孫子氏がアメノワカヒコの末裔ならアメノワカヒコは実在の人物ということになる。

同じく滋賀県犬上郡に鎮座する天稚彦神社は、アメノワカヒコを主祭神とし大国主と事代主を配祀している。ちなみに先出の安孫子神社とは直線距離で3㎞と近いので、いずれかが本社だろう。

石座(イワクラ)神社は、愛知県新城市に鎮座する。アメノワカヒコ以外にも多くの祭神が祀られているが、その名のとおり、磐座信仰がある場所に神が併せて祀られたのだろう。なぜ、アメノワカヒコが祀られているかは分からない。

命・尊がつかない神

記紀では登場する神の名のほとんどに「ミコト(命、尊)」または「神」の尊称が付せられている。
しかし、古事記では天若日子とあるだけで、尊も神も付されていない。同じエピソードに登場する他の神は、天菩比神、天忍穂耳命、高御産巣日神などと尊称が付せられている。付いていないのは雉の「鳴女」とアメノワカヒコとともに出雲に行った天佐具売だけである。
古事記に登場する神で尊称が付いていないのは、イザナミの「神産み」で生まれたとする多くの神である。これらから推測すると、実在の人物をモデルとする神には尊称が付されるが、実在人物ではない創作された神には尊称が付かないという仮説が成立する。
日本書紀でも天稚彦とだけ呼ばれ、尊・命・神のいずれの尊称も付されていない。

そうなると安孫子神社で見たようにアメノワカヒコは実在した祖先であるが、アメノワカヒコという名は記紀が名付けたということだ。
アメノワカヒコは、「天」がついているから邪馬台国(高天原)の関係者であることがわかる。しかしワカヒコを含めても「高天原の若者」という程度の意味しかない。実在人物の名を隠しているのだろう。
アメノワカヒコは記紀にとっては正体を明らかにできない人物ということだ。

なぜ、アメノワカヒコが交渉人に選ばれたか?

アメノワカヒコは事代主の義兄に過ぎず、交渉役としては適任ではない。アメノワカヒコよりも、事代主の実の兄であるアジスキタカヒコネが交渉役として適任なのは言うまでもない。

連載51「古代の天皇は末っ子が皇位を継承したか?」にて調査したように古代は末子が相続する慣習であった。そして相続人である末子を補佐するのが長男である。
大和のクニでも饒速日の末娘の御歳が大王を継ぎ、ウマシマジがその後見役となっている。事代主の相続を実現させるのはアジスキタカヒコネがふさわしい。

史実ではアジスキタカヒコネが交渉役であり、アメノワカヒコが手助けとして、二人で出雲に来ていたのだろう。日本書紀でも、アジスキタカヒコネとアメノワカヒコは地上(出雲)で既知であったと書かれており、一緒に行動していた。
しかし、手助け役のアメノワカヒコが何らかの理由で殺されたか、亡くなったのである。しかし、亡くなった理由を記紀では明らかにできなかったため、アメノワカヒコの裏切りで殺されたことにされたのだろう。

実名を出せないアメノワカヒコ

では、なぜ「高天原の若者」という仮名によって、本名が隠されているのか?それは記紀が、その実在を隠している人物だからである。

記紀は、古代史を書き替えている。連載75 「持統天皇のムチャ振りから生まれた日本書紀(その1)」で調査したように、3世紀の人物である大日靈(魏志倭人伝の卑弥呼)を高天原の始祖、天照大神に置き替えるため、卑弥呼をはるか古い時代の人物としている。そのため、卑弥呼以降の系譜を長く引き伸ばした。大日靈の息子の五人兄弟を、親子の系譜に置き替えて代数をかせいでいる。

連載㉒「日向三代は実は「日向一代」だった?」で調査したように、日本書紀の系譜は不自然な箇所が多い。

日本書紀での天照大神の系譜

史実は以下の系譜である。天忍穂耳の子がニニギに置き替えられたため、史実での息子、アメノタヂカラオ(天田力男)が上書きされて消された。アメノタヂカラオは大日靈(天照大神)の孫であり、アジスキタカヒコネも同じく孫である。アメノタヂカラオとアジスキタカヒコネと同年代である。
アメノタヂカラオは天降りするアメノオシホミミの息子である。そのため、アジスキタカヒコネの交渉役の手助け役としてふさわしい。

史実での天照大神(大日靈)の系譜

連載㊳「伊勢神宮の天照大神は、どこから勧請されたか?」で調査したように、伊勢神宮の内宮では、天照大神とともに、天手力男 、万幡豊秋津(ヨロズハタトヨアキツ)姫という親子3代が祀られている。これが史実の系譜である。

ここまでの検討をまとめる。国譲りの交渉役としてアジスキタカヒコネとアメノタヂカラオが選ばれた。アジスキタカヒコネが選ばれたのは事代主の実兄であること、アメノタヂカラオは天降りするオシホミミの息子だからだ。
しかし、アメノタヂカラオは天照大神の系譜を長くするよう古代史を書き替えたため、ニニギがオアメノオシホミミの子とされて、アメノオシホミミの史実で子であるアメノタヂカラオの存在は記紀から消された。
 よって、国譲りのエピソードにおいて、アメノタヂカラオの名を出すことはできない。そこで「高天原の若者」という名で登場させたのである。
記紀では、アメノワカヒコの父は記紀では天国玉とされる。アメノタヂカラオの父はアメノオシホミミであり、当然その名は出せない。よって天国玉とはアメノオシホミミである。

#アメノタヂカラオ #古事記 #日本書紀 #天照大神 #アメノワカヒコ #アジスキタカヒコネ #饒速日 #出雲の国譲り #天若日子 #天稚彦 #アメノタヂカラオ  

いいなと思ったら応援しよう!