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「聞く力」という責任回避──安倍亡き後の自民党を弱くした岸田政治

はじめに──自民党の敗北は石破から始まったのではない

2024年の衆院選、2025年の参院選。石破政権の下で自民党が重ねた大敗は、石破茂1人の資質や失政だけでは説明できない。その前に、党を支えてきた有権者が、自民党を支持する根本的な理由を失っていく過程があった。その転換点に位置するのが、岸田文雄政権である。

安倍晋三が築いた支持基盤を継承しながら、安倍亡き後は党内主導権の再編へ傾き、支持者との結び付きを弱めた。その政治手法を象徴したのが「聞く力」だった。耳を傾けるという穏当な言葉の陰で、誰が、何の意思をもって判断し、その結果に責任を負うのか。政治の最も重要な部分が見えなくなっていった。

本稿では、「聞く力」を掲げた岸田政治が、政権を維持するための調整を重ねながら、なぜ自民党を支える国民の信頼を失っていったのか、その構造を掘り下げてゆきたい。

第1章──受け継いだ政権基盤と「黄金の3年」

2020年、安倍晋三が体調悪化で退陣し、後を継いだ菅義偉政権も約1年で終わった。2021年秋、首相に就いた岸田文雄の勝利を支えたのは、党内実力者の政治力学だった。総裁選で安倍は高市早苗を支持したが、河野太郎との決選投票では、高市支持票の多くが岸田へ流れた。

岸田は、自ら支持運動を起こして政権を奪還した指導者ではない。安倍時代の支持基盤を引き継ぎ、菅政権後の運営を担う、いわば「代打」としての出発だった。そこから長期政権へと転じるには、独自の国家観を示し、国民との直接的な信頼関係を築き直す必要があった。

ところが2022年7月8日、安倍が銃撃され、命を奪われた。最大派閥を率いる実力者の突然の死は、党内の均衡を変えた。2日後の参院選で与党が勝利し、岸田には、大きな国政選挙を挟まずに政策を進められる「黄金の3年」が開けた。国家の進路を定める時間と、党内の主導権を広げる余地を同時に得たのである。

そこで求められたのは、安倍の不在を埋める政治構想だった。しかし、その後に進んだのは、国民との信頼再構築よりも党内の力関係の組み替えだった。政権を長く維持するための内向きの足場と、国民から支持され続けるための外向きの土台。この2つが離れ始めたところに、岸田政治のつまずきがあった。

第2章──聞いたことは、決めた責任を消さない

戦後の自民党政治では、官僚、業界団体、地方組織の利害を調整する手腕が重視されてきた。対立を表に出さず、関係者の顔を立て、合意をまとめる。その能力は組織運営に役立つ。しかし、調整そのものが目的になると、国家をどこへ導くかより、「誰を怒らせずに済むか」が判断基準になる。「聞く力」は、この事なかれ主義と相性がよい。

官僚の説明を聞いた。連立相手と協議した。有識者の意見を踏まえた。そうした手続きを積み重ねれば、決定は関係者の意向が集約された結論として説明できる。その一方で、首相自身の信念や選択の理由は後景に退く。決める権限は保持しながら、判断の根拠を他者に預ける構造である。

どれほど意見を聞いても、最終責任は首相からなくならない。問題は、その責任が「聞く」という過程の陰で薄められることだ。政治家の仕事は、集めた意見を分類することではない。対立する要求から何を採用し、何を退け、その選択がもたらす不利益まで引き受けることにある。

この覚悟を欠けば、「聞く力」は謙虚さではなく責任回避の技術になる。うまくいけば自らの実績、問題が起きれば関係者との調整の結果。それでは国民は、首相自身の判断を評価できない。態度のよさが、政治の無主体性を覆い隠してしまうのである。

第3章──「増税メガネ」が突いた聞く力の偏り

「増税メガネ」という揶揄には、岸田政治に対する国民の不信が凝縮されていた。国民の生活実感より、財務省の財政規律や安定財源の論理を優先しているのではないか。その疑念が、この呼称を広く定着させた。

財務省の役割は財政規律を守ることであり、首相の役割は国家全体の利益を判断することにある。暮らし、成長、技術投資、将来の国力を見渡し、必要なら財政当局の抵抗を押し返す。それが政治に課された責任である。官僚の説明を踏まえ、最後は政治家として独自の意思で結論を下す。岸田政治から伝わってきたのは、そうした決断よりも、官僚機構の方針を国民に納得させようとする「上級広報官」の姿だった。

岸田政治から見えたのは、権力機構との摩擦を避けてその意向を受け入れる一方、国民には理解と協力を求める非対称な構造だった。「聞く力」を掲げても、政策に反映される声が政権を支える側に偏っていれば、国民は自分たちの声が届いているとは感じない。

業界団体との関係も同様である。改革には、既存の仕組みから利益を得ている相手との摩擦が避けられない。そこで関係維持を優先すれば、改革は後回しになる。政権周辺の関係者が納得することと、国民全体の暮らしがよくなることは同じではない。声の大きい勢力の要求ばかりが通るなら、「聞く力」は現状維持を長引かせる技術にしかならない。

第4章──マスコミの批判をかわすことが政治になった

報道の指摘を受け止めることと、批判をかわすために姿勢を変えることは違う。岸田政治で問題となったのは、自らの判断を説明して理解を求めるより、批判されにくい姿を整えることが先に立った点である。国民との長期的な信頼と、明日の紙面での評価は別のものだ。

2023年12月、政治資金問題が連日報じられる中、岸田は安倍派の4閣僚を交代させ、官房長官に岸田派出身の林芳正を据えた。問題への対応であると同時に、報道の焦点となった安倍派を政権中枢から遠ざけ、「刷新」を印象付ける人事でもあった。しかし、閣僚を替えることと、資金の流れや責任を解明することは別である。

2024年1月には、自らの派閥の解散を打ち出した。批判の対象となった派閥政治を、自分の側から終わらせる。この行動には、追及される側から改革を主導する側へと立ち位置を変える効果があった。だが、派閥の看板を外した後、政策立案、人材育成、党内の政策競争をどう組み直すのか。そこまで示してこそ改革になる。目立ったのは解散という決断であり、それに代わる党運営の構想ではなかった。

問題の根を断つより、批判の流れを変える対応が先行する。これでは政治の目的が、その場の危機回避へ縮んでしまう。マスコミに嫌われないようにするとは、常に褒められることではない。批判のたびに相手の論調へ近づき、自らの方針を見失うことでもある。「どう報じられるか」に敏感になるほど、「なぜ支持されてきたか」への感覚が鈍る。この優先順位の逆転が、岸田政治の弱さだった。

第5章──拝米・媚中に通じる自主判断の弱さ

安全保障環境が悪化する中、防衛費増額は避けて通れない国策だった。問われるのは、日本をどう守るかという自らの信念に基づいて、岸田が防衛強化を主導したのかという点である。必要な政策を実施したことと、主体的な国防の意思を持っていたことは同義ではない。

岸田政治への疑念は、国家観に基づく判断より、米国の期待に応えて同盟国として評価されることが優先されたのではないか、というものだった。予算増額という実績だけでは、この問いに答えられない。米国の要請がなくても必要なら実行し、その意向と衝突しても日本の安全のために主張する。その判断軸があってこその同盟である。相手の期待に応える能力と、自国の進路を決める能力は別物だ。

2023年のLGBT理解増進法を巡っても、エマニュエル駐日米大使らの働きかけが目立った。同年6月の成立に至る過程では、国内の慎重論への対応と並んで、G7の一員としてどう見られるかが政治課題になった。政策の内容は異なっても、国内への説明より国外からの評価を重く見る政治への不信は共通している。

対中姿勢では、摩擦を避ける形で同じ問題が表れた。2022年2月、衆院は新疆ウイグルなどの深刻な人権状況に懸念を示す決議を採択したが、中国を名指しした非難には踏み込まなかった。決議を成立させた事実だけでなく、何を明言せずに済ませたのかにも、その時の政治姿勢は表れる。

同盟重視が拝米なのではなく、外交対話が媚中なのでもない。日本として譲れない基準を曖昧にしたまま、米国には評価を求め、中国には摩擦を避ける。その結果、国益より相手の反応が判断の中心になる。そこに「拝米・媚中」という批判の核心がある。相手が違っても、判断の軸を外部に置く構造は変わらない。

第6章──石破を選ぶ力は残り、国民に選ばれる力は失われた

安倍派の影響力を弱めても、その背後の保守支持層が岸田支持へ転じるわけではない。政治資金問題の責任を問うことは、安倍路線に期待した有権者の声を切り捨ててよい理由にはならない。安倍派の幹部が政権中枢から去った後、その支持者の期待を誰が、どの政策で受け止めるのかが置き去りになった。

しかも、派閥解消を掲げながら、後継選びでは旧派閥の人脈が動いた。2024年、岸田は総裁選への不出馬を表明したが、決選投票では旧岸田派の支持が石破の逆転勝利を支える重要な力となった。派閥の看板を外しても、後継者を決める古い政治力学は残っていたのである。

公明党との関係も、この継承の意味を考えるうえで外せない。長期にわたる選挙協力によって、自公連立は政権運営の前提となり、石破への継承もその枠組みを維持する選択だった。しかし、公明党と折り合えることが自民党支持者の期待に応えることより優先されれば、主客は逆転する。問うべきは、既存の関係の中で誰なら運営できるかではなく、国民の信頼を取り戻すために何を変えるかだった。

2024年の衆院選で自民党は191議席に落ち込み、自公で過半数を失った。2025年の参院選でも、与党は参院全体の過半数を維持できなかった。党自身の総括も、政治資金問題や暮らしへの対応不足に加え、若年層・現役世代と一部保守層の流出を認めている。

岸田が弱めた支持基盤を、石破は立て直すどころか、自らの政権運営によってさらに損なった。石破自身の責任は重く、同時に、その石破を後継者として支えた岸田の政治判断も問われる。党内で後継者を選ぶ力と、国民に選ばれる力。その違いが、相次ぐ敗北によって突き付けられたのである。

むすびに──必要だったのは、引き受ける力だった

安倍の死によって生じた空白は、党内の主導権を握るだけでは埋まらなかった。必要だったのは、何のために権力を持ち、どのような国家を目指すのかを語り、その決断への批判も引き受ける指導者だった。

岸田は、国内では財務省、業界団体、公明党との調整や、マスコミへの配慮を重ねた。外交では米国からの評価を求め、中国との摩擦回避を重視した。しかし、その先に、国民が支持し続けたいと思う国家の姿を示せなかった。地位を維持するための関係づくりが、その地位で何を成し遂げるのかという目的を覆ってしまったのである。

首相の責任は、どれほど多くの声を聞いたかでは果たされない。何を選び、何を退け、その結果をどう引き受けるかによって果たされる。岸田政権の約3年に欠けていたのは、「聞く力」の量ではない。自らの意思で国家の進路を決め、その責任を引き受ける覚悟である。

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