何もなかった話
夜、皿を洗っていた。蛇口から出る水の音に混じって、少し離れたところに置いたスマホが震えた。手は泡だらけだったから、そのまま画面だけを見る。若林さんのnoteが更新されたらしい。
その通知を見た瞬間に、自分のnoteが出てきた。最後に書いたの、いつだっけ。皿をすすぎながら頭の中で日付をたどる。昨日じゃない。その前でもない。もう少し前。そこまで戻って、ようやく一週間くらい何も書いていないことが分かった。
一週間か。早いな。
そうやって一週間を戻ってみる。仕事はしていた。ご飯も食べた。寝てもいる。そのはずなのに、何をしていたかと言われると、最初に出てきたのは仕事でも家のことでもなかった。
Tシャツに一言だけ書くなら、何を書くか。
仕事中、パソコンの前でメールを返していた。画面には硬い文章が並んでいて、言葉尻を直したり、変に失礼になっていないか読み返したりしていた。耳ではオードリーのオールナイトニッポンが流れていて、その中でそんな話をしていた。
Tシャツに一言だけ書くなら、何にするか。
くだらねー、と笑った。
笑ったのに、そのまま自分でも考え始めた。
メールには丁寧な言葉を打っている。よろしくお願いいたします、とか、ご確認ください、とか、たぶんそんな感じの文章だったと思う。その横で頭だけが勝手にTシャツを作り始めている。
「明日から本気出す」みたいなやつ。
いや、つまんねぇな。
もうちょっと何かあるだろ。
何個か考えて、結局残ったのが、
「なんとかなりませんか。」
だった。
誰に言ってるんだ。
何をなんとかしてほしいんだ。
自分で出しておいて、しばらく画面を見ながら考えた。白いTシャツの胸に「なんとかなりませんか。」とだけ書いてあるところまで浮かべてみる。
微妙だな。
センスねぇな。
メールを送信する。ラジオではもう別の話をしていた気がする。それでも、しばらく頭の端にはTシャツが残っていた。
なんとかなりませんか。
なんとかしてほしいことがあったわけでもないのに、何となく残った。
それから一週間が経っている。
皿を洗いながら、その場面だけはすぐ出てきた。
他は。
少し待ってみる。
水を止めずに次の皿を取る。
何も出てこない。
一週間あったのに。
それくらいしか出てこねぇのかよ。
誰もいない台所で、自分にだけ聞こえるくらいの声で言う。別に落ち込むわけでもないし、笑うほどでもない。スポンジを持ち直して、皿の端に残った泡を流す。
時間が過ぎるのは早い。
一週間前には、Tシャツに何を書くかを考えていた。それから何日も普通に生活して、振り返ったら、そこだけが残っていた。
たぶん来週になったら、この洗い物のことも忘れている。
若林さんのnoteが更新されたことも。
一週間書いていなかったことも。
でも「なんとかなりませんか。」だけは、またどこかで出てくるかもしれない。
そう考えながら最後の皿をすすいで、水を止めた。シンクの中の音が消えて、濡れた手をタオルで拭いた。
