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なぜ日本の政策はうまくいかないのか?―入門「効果がある政策」を見抜くEBPM入門「日本の政策はなぜ機能しないのか?~EBPMの導入と課題~」を小学生でも分かるように説明します


日本の政策はなぜ機能しないのか?

~EBPMの導入と課題~

著者 杉谷 和哉




はじめに

このnote記事は、無料部分の「小学生でもわかる解説」だけでも十分にご理解いただけます。

有料エリアには「音声考察(日本語版・英語版)」と本のエッセンスをより深く理解するための「大人向けの解説」を用意しております。

なお、この記事は無料・有料・音声考察のすべてにおいて、原著の引用は一切使用しておりません。すべて、私自身の言葉のみで構成したものです。



どうして日本のルールや取り組みはうまくいかないのか?

国や都道府県、市町村は、私たちの生活を良くするためにたくさんの計画を作り、様々なサービスを提供しています。

このような、国や町を良くするためのルールや活動のことを「政策」と呼びます。

政策は私たちの毎日を支えるとても大切なものですが、テレビのニュースなどを見ていると、「どうしてこんな無駄な政策をやっているんだろう」「いつまでこんなことを続けるつもりなんだろう」と疑問に思うことはありませんか。

そのような時、私たちは「政治家や役所の人たちが自分勝手にルールを決めているからだ」とか、「一部の会社だけが得をするようにしているからだ」と考えがちです。

もっとみんなのことを考えられる優秀な人にルールを決めてほしいと誰もが思います。

しかし、実は政治家や役所の人たちがただサボっているわけではなく、彼らもとても過酷な環境で働きながら、解決が難しい問題に立ち向かっているのです。

それでも、今までのように「誰かの思いつき」や「いい加減な根拠」だけで政策を決めていては、社会は良くなりません。

そこで今、世界中で注目されているのが「EBPM」という新しい考え方です。

EBPMとは「エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング」の略で、日本語にすると「証拠にもとづいて政策を作る」という意味になります。

日本政府も最近、「エピソードベースからエビデンスベースへ」という言葉をよく使うようになりました。

これは、「今までは一部の人の体験談や勘だけでルールを決めて失敗したこともあったから、これからはしっかりとしたデータや証拠(エビデンス)にそって政策を進めていこう」という強い決意を表しています。

思い込みではなく、本当に効果があると証明された政策を作り、効果がないとわかった政策は終わらせる。

この当たり前のように見える「政策の合理化」を目指すのが、EBPMの最大の目的なのです。


海外での大発見!証拠を使ったルール作りの歴史。

EBPMという言葉が最初に生まれたのは、今から約30年前のイギリスです。

当時のトニー・ブレア首相が、政府の無駄な出費を減らし、本当に質の高い政策を生み出すためにこの考え方を始めました。

実は、この考え方のお手本になったのは「医療」の世界です。

昔のお医者さんは自分の勘や経験だけで治療をしていましたが、それでは患者さんが治らないことがあります。

そこで「これまでの治療データを集めて、一番効果がある治療法を選ぼう」という動きが始まり、それを政治の世界にも応用したのです。

では、EBPMで一番大切にされる「証拠(エビデンス)」とは一体何でしょうか。

それは、「ある政策をやったから、確実にこういう良い結果が出た」という原因と結果のつながり(因果関係)を証明する情報のことです。

例えば、ある学校で新しいタブレット学習を導入したら、生徒のテストの点数が上がったとします。

しかし、これだけで「タブレットのおかげだ」とは言い切れません。

たまたま塾の教え方が良かったのかもしれませんし、先生が作った小テストがテストの範囲とぴったり合っていただけかもしれないからです。

そこで使われるのが「ランダム化比較試験」という方法です。

生徒をくじ引きでランダムに二つのグループに分け、片方のグループだけタブレットを使い、もう片方は使わずにテストの点数を比べます。

これなら、タブレットの効果だけを正確に測ることができます。

この実験によって、世界では驚くべき事実が次々と発見されました。

有名なのがアメリカの「スケアード・ストレート」というプログラムです。

これは、悪いことをした不良少年たちを本物の刑務所に連れて行き、凶悪犯から「お前たち、こんな風になるな!」と厳しく説教させるというものです。

少年の心を入れ替えさせるための作戦でしたが、ランダム化比較試験で調べた結果、なんと説教を受けた少年たちの方が、再び犯罪をしてしまう確率が高かったのです。

他にも、1930年代のアメリカで行われた「ケンブリッジ・サマービル青少年研究」では、非行に走りそうな子どもたちに優しいカウンセラーをつけて手厚く支援をしました。

しかし数十年後に調べてみると、支援を受けた子どもたちの方が、犯罪をしたりアルコールに依存したりする確率が高かったという結果が出ました。

これらの実験が教えてくれるのは、「良かれと思ってやった政策が、実は逆効果になることがある」という恐ろしい事実です。

だからこそ、勘や思い込みに頼るのではなく、しっかりと実験をして証拠を集めるEBPMが世界中で求められるようになったのです。


日本の挑戦と失敗:評価の歴史と業績管理の落とし穴。

世界でEBPMが広まる前から、日本でも「どうにかして政策を良くしよう」という努力は続けられていました。

1990年代の後半から、日本の多くの県や市町村で「政策評価」という取り組みが始まり、国でも法律が作られて、政策をチェックする仕組みができたのです。

政策を評価する方法には、大きく分けて二つの流れがありました。

一つ目は「プログラム評価」といって、その政策が本当に社会のためになっているかを、さまざまな調査方法を使って細かく調べるやり方です。

しかし、この方法はとても時間と労力がかかり、専門的な知識も必要でした。

二つ目は「業績管理」というやり方です。

これは、普通の会社がやっているように、目標を数字で決めて管理する方法です。

「いくらお金を使って、どれくらいの成果が出たか」を計算するだけなので、比較的簡単に導入することができました。

そのため、日本の市町村や国では、この「業績管理」のやり方が大流行することになりました。

しかし、これが日本に大きな問題を引き起こしました。

本当の政策評価は、「その政策に効果があるかどうか」を調べるものだったはずです。

ところが、数字で管理するやり方が広まった結果、みんな「どうやって予算を減らして効率を良くするか」ばかりを気にするようになってしまったのです。

予算を減らした後に、本当に人々の生活が良くなったのかどうかを確認しないまま、ただお金を削るだけになり、現場で働く人たちが疲れ切ってしまいました。

テレビのニュースなどで「事業仕分け」という言葉を聞いたことがある大人は多いはずです。

これは、政治家が役所の人を呼び出して、「この事業は無駄じゃないですか」と厳しく質問して、政策を続けるかどうかを決めるというものでした。

しかし、これも科学的な証拠にもとづいて判断するというよりは、口げんかの強さやその場の雰囲気で決まってしまうようなところがありました。

その結果、たくさんの時間と労力をかけて評価の仕組みを作ったのに、日本の政策はちっとも良くならないという悲しい結果になってしまったのです。


日本版のEBPMはちょっと違う?ロジックモデルの登場。

このような失敗を乗り越えるために、日本でも2018年頃から本格的にEBPMが始まりました。

海外のEBPMが「どんな政策が一番役に立つか」を実験で探すことから始まったのに対して、日本のEBPMは「もっと色々な統計データを使いやすくしよう」という目的からスタートしました。

日本のEBPMの取り組みで最も特徴的なのが、「ロジックモデル」という道具を使っていることです。

ロジックモデルとは、「もしこうしたら、最終的にこういう良い結果になるはずだ」という計画を図にまとめたものです。

例えば、「みんなを健康にする」という政策のロジックモデルを考えてみましょう。

まず、健康診断を開くための予算というお金を用意します(これをインプットと呼びます)。

次に、実際に健康診断を開きます(アクティビティ)。

その結果、たくさんの人が診断を受けます(アウトプット)。

すると、みんなの健康に対する意識が変わります(アウトカム)。

そして最終的に、みんなが長生きできるようになります(インパクト)。

このように、最初のお金から最後の結果までのつながりを分かりやすく矢印で結んだものがロジックモデルです。

新型コロナウイルスの時に経済産業省が行った「Go To イベント事業」でも、このロジックモデルが作られました。

予算を使ってイベントのチケットを安くし、新しい感染対策を取り入れたイベントの需要を増やし、最終的に新しいイベントの楽しみ方を社会に定着させるという計画図が描かれたのです。

ロジックモデルを作ると、関係する人たちが「何のためにこの仕事をしているのか」を理解しやすくなるという良い点があります。

しかし、ロジックモデルには大きな弱点があります。

それは、あくまで「頭の中で考えた予想(仮説)にすぎない」ということです。

本当に健康診断を開けば長生きする人が増えるのかどうかは、厳しい実験をして証明したわけではありません。

そのため、海外の厳しいEBPMの基準からすると、「ただの予想図をいくら立派に書いても、それは証拠(エビデンス)とは呼べないのではないか」と批判されてしまう部分があるのです。


証拠(エビデンス)に隠された罠に気をつけろ。

では、厳しい実験をして証拠さえ集めれば、すべての問題は解決して、みんなが幸せになる完璧なルールが作れるのでしょうか?

実は、証拠を扱う時には「偏り(バイアス)」と呼ばれる恐ろしい罠が隠されていることがあるため、注意が必要です。

罠の1つ目は、自分たちに都合のいい証拠だけをわざと集めるという問題です。

例えば、タバコを売っている会社は、タバコが売れなくなると困るので、「タバコはそこまで健康に悪くない」という結果が出るような実験ばかりをして、それを証拠として発表することがあります。

地球温暖化の原因についても、石油を売る会社が同じように自分たちに都合のいい証拠を作り出すことがあると言われています。

罠の2つ目は、お金にならない問題の証拠は誰も集めようとしないことです。

例えば、貧しい国で流行している寄生虫などの熱帯病は、たくさんの人が苦しんでいるのに、薬を作ってもお金儲けにならないため、研究する人が少なく、証拠が集まりません。

証拠がないからという理由で、本当に困っている人たちを助ける政策が後回しにされてしまうのです。

罠の3つ目は、証拠の「良いとこ取り(チェリーピッキング)」です。

例えば、アメリカの銃のルールの問題です。

銃を持っていれば強盗から身を守れるというデータ(証拠)だけを見れば、「みんな銃を持つべきだ」という結論になります。

しかし、銃があるせいで自殺や事故が増えているというデータ(証拠)を見れば、「銃は禁止すべきだ」という結論になります。

同じ証拠という名前がついていても、どこに注目するかで、作られるルールが全く逆になってしまうのです。

罠の4つ目は、ある場所で成功した政策が、別の場所でも成功するとは限らないということです。

岩手県の学校で成功した教育のやり方が、東京都の学校でも同じように効果があるかはわかりません。

社会の状況は場所によって全然違うからです。

さらに、どんなに効果があるという証拠があっても、道徳(倫理)的にやってはいけないこともあります。

ある薬を使えば絶対にテストの点数が上がるという証拠があっても、体に悪い副作用があるなら、国がそれを配るわけにはいきません。

証拠の数字だけを信じて突き進むのは、とても危険なことなのです。


なぜ日本の政治で正しいルールを作るのは難しいのか。

どんなに素晴らしい証拠があっても、日本の政策を良くするのはとても難しいのが現実です。

その理由を考えてみましょう。

1つ目の理由は、私たち国民の無関心です。

役所の人たちは、「政策がどう役に立ったか」を国民に説明する責任(アカウンタビリティといいます)を持っています。

その責任を果たすために、役所の人たちは毎日残業をして大量の資料を作ります。

しかし、ほとんどの国民はその資料を読みませんし、選挙の時に参考にしようともしません。

読む人がいない資料を大量に作り続けることで、誰も得をしない状況が生まれています。

2つ目の理由は、政治家の行動パターンです。

政治家にとって一番大事な目標は、「次の選挙で勝つこと」です。

国民が政策の評価データに興味を持たず、そんな難しい話をしても選挙の票につながらないのなら、政治家もわざわざ証拠(エビデンス)を使って活動しようとは思いません。

3つ目の理由は、「アカウンタビリティのジレンマ」と呼ばれる問題です。

これは、効果を証明するための書類作りに追われてしまい、肝心な仕事をする時間がなくなってしまうというジレンマ(板挟み)のことです。

学校の先生が、教育委員会に出す報告書ばかり書いていて、明日の授業の準備や子どもたちの相談に乗る時間がなくなってしまうのと同じです。

正しく管理しようとすればするほど、現場の人たちが疲れ切ってしまい、かえってルールがうまく働かなくなってしまうのです。

4つ目の理由は、社会の問題が複雑すぎることです。

これを「ウィキッド・プロブレム(厄介な問題)」と呼びます。

例えば、新型コロナウイルスのパンデミックの時、「病気を防ぐためにお店を休ませるべきか」、それとも「お店が潰れないように営業を続けさせるべきか」という激しい議論がありました。

どちらも正しい意見であり、証拠のデータだけではどちらを優先すべきか決めることはできません。

社会がどのような価値観を大切にするかという問題は、科学的な証拠だけでは解決できないのです。


これからの未来に向けて私たちができること。

EBPMは、すべてを解決する魔法の杖ではありません。

しかし、過去の政策評価の失敗から学び、「少しでも無駄をなくして、より良い社会を作りたい」という人類の夢を引き継いだ大切な挑戦です。

最近では、コンピュータが発達し、スマートフォンの位置情報やインターネットの履歴などから、膨大なデータを集められるようになりました。

そのため、昔よりも精度の高い証拠(エビデンス)を見つけることができるようになっています。

これは、過去にはなかった大きなチャンスです。

しかし、どんなに素晴らしい証拠が見つかったとしても、それを政治家や役所の人たちだけに任せておけば、勝手に理想の社会がやってくるわけではありません。

証拠をどう使うかを決めるのは、最終的には政治の力であり、その政治家を選ぶのは私たち国民だからです。

難しい専門用語や、細かすぎる数字ばかりが並んだ報告書では、誰も読んでくれません。

だから最近では、研究者や役所の人たちも、イラストを使ったり、動画を作ったりして、政策の評価を私たちにわかりやすく伝えようとする工夫を始めています。

これらは、証拠を社会に生かすための素晴らしい第一歩です。

完璧な政策も、どんな問題でも解決できる完璧な政治家も、この世には存在しません。

それは、ルールを作るのも、ルールを守るのも、完璧ではない私たち人間だからです。

だからといって、「どうせ何も変わらない」と諦めてしまえば、社会は絶対に良くなりません。

少しでも社会を良くしていくために必要なのは、行き過ぎた期待をすることでも、すべてを悲観して文句を言うことでもありません。

私たち一人ひとりが、国や市がやっているルール作りに興味を持ち、テレビやインターネットの情報を鵜呑みにせず、証拠(エビデンス)をもとにした議論に少しでも参加していくことが大切です。

明日からの社会を良くするのは、データを正しく読み解き、自分たちの頭で真剣に考えようとする私たちの姿勢にかかっているのです。

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