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言葉を味わう暮らし1 お茶とご飯のお話し

ACE(逆境的小児期体験)サバイバーとトラウマサバイバーの暮らしを調える当事者ナースのあまさずいしかわです。自己の日々の暮らしを通して、当事者研究と生活探究を在野でしております。
ACE(逆境的小児期体験)であっても、トラウマがあっても、自分らしく生きるための情報発信と活動を通して、当事者が不利益を被らない社会を目指しています。


「言葉あれこれ」のマガジンでは、私自身が言葉を楽しみながら感じたことや、日々の中で見つけた小さな発見を、皆さまとご一緒に味わっていけたら嬉しいです。

※言葉によるACEサバイバー・トラウマサバイバーの暮らしの調え方については、当事者研究のマガジンで綴っていく予定です。



・伝えていきたいこと

私は、日常の中で「言葉」を大切にしていきたいと心がけております(まだまだ精進中ですが…汗)。

それは単に、「ポジティブな言葉を使いましょう」という範疇だけに留まるものではありません。
私にとって言葉は、「自分創造」にもつながっているように感じています。

なぜなら、私たちの體(からだ)は、美味しくいただいた食べ物だけでなく、自分自身が発する言葉や、耳にする言葉、心の中で巡らせる想い、人様へ贈る言葉、自分自身の中で腑に落ちた言葉によっても、日々育まれていくように感じているからです。

そしてそれは、體だけではなく、情緒までも静かに育み、少しずつ洗練していくのではないでしょうか。

言葉にふっと心がほどけたり、気づきが生まれたり、思わず笑みがこぼれたり。そんな小さな彩りが、毎日の景色を少しずつ豊かにしてくれるのかもしれません。

そしてその豊かさは、私自身だけに留まらず、家族や友人、人とのご縁、暮らしの空気感など、私を取り巻く様々な豊かさへと、そっとつながりの手を伸ばしているようにも感じています。

また、私は昔から“不思議なこと”が大好きです。
言葉というものもまた、とても不思議な存在だと思っております。

たった一言で心が軽くなったり、懐かしい記憶が蘇ったり。
同じ意味のはずなのに、表現が変わるだけで空気感まで変化してしまう。

そんな「言葉の不思議」についても、これから楽しく綴っていけたらと思っております。


・「お茶とご飯のお話し」について

もう、かれこれ20年以上前のお話しです。
とある方が、こんな言葉たちについてお話しされていました。

「お茶が入りましたよ」
「ご飯が出来ましたよ」

私は当時、この表現に不思議なあたたかさを感じたことを、今でも覚えています。

ご飯は、自動的に出来上がることはありません。
お茶も、お茶自らが入ることはありません。

そこには、ご飯を作った人がいて、お茶を淹れた人がいるはずなのです。

けれど、この言葉たちは、

「(私が)お茶を入れましたよ」
「(私が)ご飯を作りましたよ」

とは表現しません。

つまり、“私がやりました”という動作主を前面に出さず、お茶やご飯そのものを主語にしているのです。

その行為をした人の気配を、ふわりと後ろへ下げるような表現。
まるで、場の空気をやさしく整えるような言葉遣いです。

私はこのお話しをお聞きした時、心がほんわかとあたたまると同時に、日本語という言葉の不思議さに心が躍りました。


・特殊な配慮表現

日本語には「配慮表現」と呼ばれるものがあります。
相手との距離感や空気感を、言葉によってやわらかく調えていく表現です。

その中でも、私は「ご飯が出来ましたよ」「お茶が入りましたよ」という表現に、日本語特有の繊細な美学を感じています。

これは、自動詞と他動詞を使い分けることで生まれる配慮表現です。「お茶が入りましたよ」を例に、少し詳しくお伝えしますね。

・他動詞の場合

「お茶を入れましたよ」

こちらは、動作主である“私”の存在が比較的はっきり見える表現です。

「私があなたのために用意しました」という気配が含まれ、場合によっては少し“恩”のニュアンスが強くなることもあります。

・自動詞の場合

「お茶が入りましたよ」

こちらは、“お茶が自然に整った”という結果に焦点を当てています。

茶葉を入れ、お湯を注ぎ、準備をした人の存在を完全に消しているわけではありません。
けれど、その過程や主観をやわらかくぼかすことで、場の空気を穏やかにしているように感じます。

自分が用意したという事実を強く主張せず、自然に整ったように伝える。
そのことで、相手の心理的な負担を減らし、恩着せがましさから離れた、やわらかな表現へと変化していく。

私は、この感覚に日本語特有の情緒の豊かさを感じずにはおれません。

世界から「日本語は特殊だ」と言われる理由の、そのほんの小さな片鱗を見せてもらったような気持ちになります。

言葉は、単なる情報伝達ではなく、空気や温度、人と人との間合いまでも運んでいるのかもしれませんね。


・終わりに

言葉は、目には見えません。
けれど、不思議なくらい、私たちの心や暮らしに静かに影響を与えているように感じます。

だからこそ私は、言葉を「正しく使う」ことだけではなく、
“どんな空気を纏わせるのか”も大切にしていきたいと思っております。

ほんの少し表現が変わるだけで、心の受け取り方まで変化する。
その繊細さや奥深さに触れるたび、日本語という存在の美しさに魅了されます。

これからも「言葉あれこれ」の中で、日常の中にひっそりと隠れている、言葉たちの美しさや不思議を、ゆるやかに楽しんでいけたら嬉しいです。



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