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午前二時の熱帯夜

熱帯夜になると、いつも思い出す記憶がある。

今から40年ほど前。
エアコンがまだ当たり前ではなかった頃、僕の家族は夏になると、海の近くに住むおばあちゃんの家へ毎年遊びに行っていた。

向こうに友達はいなかったけど、そんなことはどうでもよかった。
海に潜ったり、虫を捕まえたり、自然の中で一日中遊び回っていました。

今とは気温もだいぶ違っていたし、田舎だったこともあって、窓という窓は全開。
玄関まで開けっ放しだった。

縁側でスイカを食べたり、かき氷を食べたりして。
今思えば、The・夏見たいな事をして過ごしてたな。

寝る時は、もちろん扇風機。

ブランケットをかけて、扇風機を最強にして眠る。
だったらブランケットをかけなければいいのに、子どもの僕はそれが一番気持ちよかったんですよね。

夜になっても窓は全開。
田舎の夜は早く、21時頃には家の中全体が眠っていたと思う。

寝苦しさで、ふと目を覚ます。

枕元の時計を見ると、午前二時。

僕は、この時間が大嫌いだった。

午前二時になると、世界の音が変わる。

それは、たった一分間。

目の前にある時計の数字が一つ進むだけの時間なのに、子どもの僕には異様に長く感じられた。

おばあちゃんの家で聞こえたのは、風の音だった。

突然、風が吹き荒れる。

「ビュービュー」という音ではない。「ゴォー」とも聞こえるし、遠くで誰かが「あぁぁぁ」と声を上げているようにも聞こえる。

窓はすべて開いている。
布団をかぶっても、耳を塞いでも、風の音から逃げる場所はなかった。

怖くなって周りを見渡すと、なぜか縁側にお母さんとおばあちゃんがいた。
午前二時に、二人で何かを話している。

僕は布団から抜け出し、二人のところへ助けを求めに行った。

何を話したのか、二人が僕に何と話しかけたのか。
本当にあれは母だったのだろうかと、今になって考えることがある。

もちろん、子どもの頃の記憶が曖昧になっているだけかもしれませんが。

その一分間さえ過ぎれば、すべて元に戻るんです。でも、怖くて時計を見ていられない。

目をつぶり、耳を塞ぎ、布団をかぶる。ただただ時間が過ぎるのを待ち続ける。

たった一分。

その一分が、いつも長かった。

時計を見なくても分かる。音が消えれば、一分が過ぎた証拠だった。

不思議なのは、おばあちゃんの家だけではなかったんです。自分の家でも、同じようなことが起きていました。

家で聞こえるのは、お風呂の水の音。

ポチャン。

ポチャン。

布団をかぶっても聞こえる。耳を塞いでも聞こえる。

一度だけ、お母さんを起こしたことがある。

「お風呂から水が落ちる音がする。見てきて」

眠そうな母は、渋々お風呂場を見に行ってくれました。しばらくして戻ってきた母は、「水なんて出てなかったよ」って。

僕が聞いていたのは幻聴だったのか。それとも、別の音を水の音だと思い込んでいたのか。

違う夜には、廊下から「ギー」という音が聞こえました。

僕たちが住んでいたのは宿舎だったので、廊下といっても一分間も歩き続けられるような長さではなかった。
建物だって木造じゃないんです。

ただの家鳴りだったのかもしれない。

でも、なぜいつも一分だけだったのだろう。

説明できない感覚は、午前二時以外にもあった。

台所で歯を磨いていると、後ろから視線を感じることがあったんです。
振り返ると、そこには物置がありました。

開けるのにも苦労しそうな扉。
中はぐちゃぐちゃで、何が入っているのかも分からないほど。

僕は、その物置が怖くて仕方なかった。

どこで仕入れた知識なのかは分からないけど、ある日から子どもの僕は視線を感じる方向へ向かって、お辞儀をするようになった。

誰にも見られないように、そっと頭を下げる。

「君のことは気付いているよ。」

そんな意味だったのだと思う。

すると不思議なことに、それから視線は感じなくなった。
その行為が正しかったのかどうかは分からないけど。

歳を重ねるにつれて、そうした感覚は少しずつ消えていった。

僕が感じていたのは、子ども特有の感覚だったのか。眠りと目覚めの間で見た夢だったのか。それとも、単なる勘違いだったのか。

今でももちろん分かりません。

今は、エアコンの効いた部屋で眠っています。窓も玄関も閉まっているし、風の音に怯えることもない。

それでも熱帯夜にふと目を覚まし、時計が午前二時を指していると、僕の脳裏にはあの夜が蘇ります。

縁側に座る母とおばあちゃん。

一分間だけ聞こえた、あの風の音。

大人になった今では、もう聞くことのできない音。

あれは一体、何だったのだろう。

子どもの頃、みなさんにもそんな一分間がありませんでしたか。

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森田 理愛 いつも記事を読んでいただき、本当にありがとうございます! みなさんから頂いた応援(チップ)は、これからもNOTEの執筆を続けていくための「本の購入費」や「勉強のための費用」として、大切に使わせていただきます。 これからも現場のリアルや気づきを素直に発信していきます。