創作大賞って、なんでしょね
今回いろいろ引っかかってることを、皆さんがうまくまとめているので、私はまとめずにダラダラと。
創作大賞って、少なくとも出版社の各レーベル編集部が一次から直接読んでいるわけではないんですよね。
まず、創作大賞運営事務局が一次選考をする。
そこを通った作品が、出版社やメディア側へ進む。
つまり、
note運営事務局の謎の一次フィルター
↓
出版社・メディア
という構造になっている。
で。
この一次選考って、作品を深く読むというより、短時間で企画価値を判定する方向にならざるを得ないんじゃないかなぁ、と。
これだけの応募数です。
一作一作、時間をかけて沈みながら読む、という選考は現実的にはかなり難しいでしょう。
要するに。
作品全体の強度より先に、
「これは何の話なのか」
「どこが面白いのか」
「どういう読者に届くのか」
「商品としてどこへ持っていけるのか」
この辺が、短時間で見える作品の方が有利になる。
そうなると、
じわじわ世界が立ち上がる作品。
タイトルが象徴的で、内容を即説明しない作品。
冒頭で主題を隠している作品。
途中から意味が反転する作品。
読者が少し考えてから意味が立ち上がる作品。
この辺は、かなり不利になる。
作品の強度とは別に、
「短時間で評価可能か」
という能力が必要になる。
私は今回、
大量一次選考そのものに、
「理解コストの低い作品が有利になる構造的なバイアス」
があるんじゃないかなぁ、と感じました。
別に誰かが悪いという話ではなくて。
大量に読む仕組みを作ったら、どうしてもそうなるよね、という話です。
で。
そうなると、
創作大賞に出す意味って、私の場合なんだろう。
というところまで来る。
同じ時間を使うなら、私は重く沈むような物語の方が得意です。
なら、文学系の公募へ出した方がいい。
ファンタジーなら、じっくり読ませる紙のファンタジー公募もある。
ラノベならラノベ公募がある。
ライト文芸寄りの公募もある。
それぞれ、そのジャンルを読む前提の人間が最初からいる。
一方で創作大賞は、
最初に共通の一次フィルターを通る。
ここが結構大きい。
出版社の編集者に直接読まれて落ちたのなら、
「あ、このレーベルとは合わなかったんだな」
で終わる。
でも、その前に共通一次があるとなると、
作品とレーベルの相性以前に、
まずこの一次選考を通過できる形である必要がある。
じゃあ、創作大賞ってなんでしょね。
という位置づけになってしまった。
多分、
ラノベのもっとラノベなやつとか。
企画が一行で伝わる作品とか。
読んですぐ「あー、わかるわかる!」となるエッセイとか。
そういうものを置く場所としては、かなり相性がいいのかもしれない。
逆に、
読んでいる途中で形が変わるもの。
読み終わってから意味が戻ってくるもの。
最初はよくわからないけど、あとで効いてくるもの。
そういう作品を出す場所としては、
私はもう少し考えた方がいいかな、と思っています。
少なくとも、
「自分が一番好きな作品を、とりあえず創作大賞へ」
という使い方は、もうしないと思う。
作品によって、出す場所を変える。
当たり前といえば当たり前なんだけど。
今回、その当たり前がかなり具体的に見えました。
まぁ、来年は応募もさらに増えるでしょうし。
20万件は超えてくる。
入口は、もっと狭くなるんでしょうね。
なんなら、タイトルをあらすじにするとか?笑
そこまで含めて、
何か考えなくちゃいけないところにいるんでしょうね。
