天国に堕ちろ
いのちと引き換えに、この世で得られるなにごとかを手にしたことはありますか。
わたしは、ある。
お金、賞賛、わたしというものの価値。
いのちというのは、魂のこと。
魂を削ったこと。
それを差し出してしまったことが、ある。
今では何回ぶんか向こうの過去生のような気持ちがするが、風俗というものをしていたことが、ある。その前後には、パパ活のようなことをしていたことも、ある。
それは、若さやうつくしさをお金に換え、それを賞賛され、わたしを湯水のように消費されるという悪夢だ。
甘いお菓子のような悪夢。
食べても食べても消えることのない、甘い甘いお菓子。
それでもたしかにそれは、身や心を蝕み、魂さえ侵していく。
多くの人はわたしに言った。
「きみのような子はほかにいない」
当たり前だ。わたしはわたし、おなじ子がいるわけがないでしょう。
だけど、だから、その言葉の重さと軽さに、慣れてしまった。
たくさんの人がわたしに狂いました。
ダイヤモンド。ルイ・ヴィトンが、それを拒むわたしに与えられ、テレビを観たいと言えば大型テレビが、髪をうまく乾かせないと言うと最新のドライヤーが、わたしのもとに届けられた。競ってこぞって贈られた。
その代わりとして彼らに渡すものを、なにひとつ持たなかった。
だから、せっせといのちを削りつづけた。
彼らは言った。
「ただ受けとりなさなさい」と。
たくさんの服があることは今日の選択肢を広げるということ、受けとったものはいつか誰かにまわせばいいということ、食べたものを吐いてしまうのならまた食べればいいというマリー・アントワネットのような言葉。
それでもわたしは、それをよしとはしなかった。
だからかけらを配りつづけた。いのちのかけらを。
あらゆる趣味志向の人が、さまざまな格好をわたしにさせました。
女子高生に痴漢をはたらいてみたかった人。
セーラームーンに憧れてきた人。
メイドさん。ナース。チア・ガール。
わたしはころころ転げて見せた。
笑ってスカートをたくし上げた。
王子様みたいな白いタイツを履くから見ていてほしいと言われれば見つめ、髪の毛がほしいと言われれば切って渡した。
郵便屋さんは雨の日や雪の日の配達の話をしてくれて、役人は毎週、役所で起こったことについての長い長い手紙を書いてくれた。
「この棚の、端から端まで買ってもいいんだよ」という馬鹿げたことも言われた。
わたしは店を出て、近くの土産物屋に入り、オイルサーディンの缶詰めをひとつ買ってもらった。
「ヘリコプターに乗る?」と言われた。
「乗らない」と言った。
わたしはそれよりも、その旅行で何回マシュー・ボーン版『白鳥の湖』を観られるかに執心していた。
踊る、白鳥。
上半身裸の男性が踊る野生の白鳥は、猛々しく、それでいてうつくしかった。
自由を知らない王子は、白鳥に憧れる。
そんな憧れを持ったことがなかった。
憧れられることに、すべてのいのちを減らしてきたから。
それなのに、恋をした。
出会ったその瞬間から、ほかの人とはまったくべつのいきものに見えた。
わたしは彼を、わたしの内に、住まわせた。
消費され尽くしたわたしにただひとつ残っていた、言葉の力を使った。
言葉にすべてを託して、彼に渡した。
言葉は彼とわたしをつなぎ、わたしは気のすすまぬ結婚の約束を反故にした。
わたしは彼との結婚を、夢見た。
わたしは悪夢に苛まれた。
生まれ出てこれまで、わたしという人間の輪郭をかたちづくってきた、たくさんの悪い夢。
その夢は、わたしが明るくうつくしい夢を見ることを阻んだ。
わたしが風俗やパパ活のようなことをおこなったのは、わたしに勝手にふれた人たちがいたからだ。彼らは破壊し、奪い去っていった。
わたしは自分の手で、自分を破壊しなおした。
これは誰かに壊されたのじゃない、わたしがわたしを壊したのだ。そう言い聞かせて。
そのすべての暗い夢が、わたしたちをちりぢりに焼いた。
その炎のなか喘ぐ彼は、それでも強く、やさしかった。
それなのに、どうして。
わたしはわたしを破壊し尽くす力で、すべてを終わらせた。
彼を損ないたくなかった。それだけのこと。
みんな、みんな、天国に堕ちろ。
わたしを損なったすべての人よ。
わたしに大金を投じた、あの人は、あの人は。
親を疎むあの人には、マフラーを編んで渡した。
いつもださいあの人には、ベルトやかばんをせっせと買った。
彼らは今、どう生きながらえているだろう。
わたしに無惨に捨てられた彼らよ。
苦しい、なんて叫ぶ資格があるだろうか。
かなしい、なんて言う力が、さみしいと、泣く心が。
わたしはわたしをこの腕で抱きしめ、今日1日を灯すろうそくに、火をつける。
その火は、わたしたちを焼いた炎のなかで見つけた、小さく、それでいてまごうことなき火だ。
わたしの価値は、わたしのこの身にある。心にある。魂にある。
それは、いのちを差し出さずとも、自ずからここにあったものであった。
わたしは、なんて馬鹿なことをしたのだろう。
そう思うのはかんたんなこと。
わたしは願う。
この冥土の淵で。
そのあわいに溶けてしまいそうになりながら。
天国に堕ちて、そして、這い上がって。
天国なんてね、うつくしいことばかりでなにもない、この世の奈落の底だから。
あなたを、あなたを、そしてあなたを突き落として、存分にここを味わったら、わたしも上がっていきましょう。
すべての夢から覚めた、岸辺へ。
よるべのない、この身ひとつで。
