シメる
梅仕事、というか、紫蘇仕事をした。
梅干しに塩もみした赤紫蘇をまぶして、残った赤紫蘇でジュース作り。
赤紫蘇は、昔働いていた自然食品店で、無農薬のものを買った。
虫がついていたり、穴あきや傷みのある葉っぱがあったり。使えないものをよけながら、茎から葉っぱをもいでいく。
スーパーなどだと葉が茎からはずされたものが売っていることも多く、もちろんそれはその手間のぶんらくができるのだが、誰かがその面倒を引き受けてくれているということ。
わたしはできる限りそれを自分で引き受けること、そして手間のかかることを好む面倒くさい人間だ。
もちろん、意味のない手間には意味がない。
意味のない手間をかけることは、実務的世界の王者である山羊座(わたしは元旦生まれ山羊座です)の沽券にかかわる。
だから、これには意味があるのだ。
食べものが食卓に並ぶまでの過程のなかで、自分の手でできることがあるのなら、それはなんであれよろこんでやりたい。
それが「食べる」を知ることであり、ひいては「生きる」を知ることであると思うから。
かつてわたしは、その態度をもって、鶏をしめるまでした。10年くらい前の話だ。
猟師さんが教えてくださる、鶏をしめるワークショップに行ったのである。
「しめたい人!」
と言われて、ワンテンポ待って誰も手を挙げないのを確認してから、
「はあい!!」
と、挙手した。
基本的に覇気に欠け、公衆の面前では萎縮しかしないわたしとしては、最大限にみなぎるやる気で。
春だった。
伸びはじめた芝生の上で、鶏たちは今から自分たちの身に起こることを知ってか知らずか、陽射しのなかで、淡くはかないペールトーンのもやのなかにいるように見えた。
猟師さんが、まずお手本を見せてくださった。
だが、そもそも歩いている鶏をつかまえるところからできない。
廃鶏という、産卵率が低くなった親鶏だった。
もしかしたら、若くフレッシュな鶏よりも元気にばたつきはしなかったのかもしれない。
それでも動物をかたつむりくらいしか飼ったことのないわたしには、つかまえ方すらわからなかった。
だけれどどうにか、じたばたと羽根を散らす鶏を抱え込むようにつかまえた。
さて、ここからである。
まず、首をぽきりと折るのだ。
骨を折る。そして頸動脈をナイフで切る。
息の根を止めてしまう。
頸動脈を切ったら、返り血を浴びた。
お手本を見せてくださった猟師さんは浴びていない。
でも、自分の白いシャツと生成りのパンツに点々とたくさんの血が飛んでいることに気づいたのは、ワークショップが終わってからだった。
首を、一思いに切り落とす。
そして、首のないからだを逆さにして血を抜いた。
そのあいだにお湯が沸き、首のないからだをつかんで、その湯につける。
そうすると羽根がわらわらととれるようになるので、羽根をむしっていく。
どの時点か思い出せないけれど、首を切ったはずの鶏がばたばたと動いたと記憶する。広がるどよめきと、猟師さんからの説明。
でもなにを説明していたかなんておぼえていないし、当然のことのように思った。
いのちがどれほど生きようとするかなんて、何度も本当に死のうとしたことのあるわたしは、この身をもって知っている。
死ぬって大変なことだ。だから、殺すってもっと大変なことだ。
羽根をむしって鳥肌があらわになると、見学している子どもたちから、
「おなかすいた!」
「早く食べたい!」
の声があがる。
大人はざわついたり笑ったりしていた。
でも、笑いごとなんかじゃない。
笑ってんじゃねえよ。
食べるためにしめてんだろうがよ。
悪態はそっとしまって、ここからが腑分けである。
わたしは人体解剖の研修にアメリカに行ったことがある。
日本でその資格があるのは、医師や医師を目指す学生などのみだ。
アメリカではカイロプラクターなどの専門職を目指す人もその研修を受けられる。それに参加した。
たくさんのご献体が並ぶ、薄暗く寒い部屋で見た、人の肉、内臓、骨、神経。
それを、鶏で、一から行った。
詳しいことはなにも記憶がない。
猟師さんが、
「ここが胸肉」「これがささみ」「キンカン入ってるね」
などと教えてくださるのだが、まったくあたまに入ってこない。
それは、肉であり、からだだった。
鶏がそのいのちを生きてきた、乗りものだった。
今、鶏はどこにいるんだろう。
鶏のいのちは、魂は。
魂は人間にしかないのだろうか。そんなことはないでしょう。
すべての腑分けが終わったあと、みなで食べたのは、あらかじめ料理されてあった廃鶏だった。
ふだん口にすることの多いブロイラーなどの若鶏に比べて、ぎしっと締まって、噛んで味わうような肉だった。
そして、わたしの返り血を心配したほとんど初対面の方が、家まで1時間くらいの道のりを、車で送り届けてくださった。
その日そのワークショップがおこなわれたイベントには、タレントさんも来ていて、わたしはテレビの取材を受けた。
「どうして鶏をしめる役に立候補したんですか?」
と聞かれたと思う。
「とてもそんなふうに見えないんですが」
タレントさんにも繰り返し言われた。
わたしは非常に的を得ない返事をした。
そもそもテレビ局の方に話しかけられたのは、鶏をしめることについての話を真剣にしたいからだと思ったのだ。人の姿を撮って映すテレビを志したというのは、「生きる」に対する熱い思いがあるものかと勘違いした。
口を開いたわたしにカメラが向けられる。
ああ、カメラなんだ。
そう思って、わたしはなにも言えなくなった。
だから、
「やってみないといけないと思ったんです」
とかなんとか、そんなことだけを答えたと思う。
やってみないといけないと思った。
それは本当のことだ。
でもわたしにとってそれは、そんな言葉で説明のできない、切実な気持ちだった。
そもそも、食べ方がわからない。
生き方がわからないからだ。
食べて、吐く。
自然に吐いてしまうことも多いが、ときに指を喉に突っ込んで吐く。
口に入れたときとかたちや色が変化したものが出てくる。素早く溶けていくものと、丸一日経っても原型をとどめているものとがある。
それを理解したくて、人体解剖には行ったのだ。
当時、肉はほとんど食べられなかった。
いきものの、におい。色。かたち。
牛の子どもが飲むべきである牛乳も、ひよこになれなかった卵も。
自分はそんなものを口にするに値すると思えなかった。
吐くことのほうが罪深いかもしれないのに、付き合いや流れで無理やり食べてしまったものなどはもれなく吐いた。
そうこうしているうちに、性的な被害を受けた。わたしは野菜も食べられなくなった。
そうしたいろいろが極まり、病気になって入院した。
10年の時が流れて、今、わたしは。
せっせと紫蘇をシメている。
梅干しが、いつかの先のわたしの食卓を小さく賑やかすことを願って。
梅ジュースに飽きたときに飲むことのできる、きれいなマゼンタ色の液体も、おまけに仕込む。
紫蘇の色が、指先をうっすらと染める。
わたしのためのアントシアニン。
そうよ、シメたその先にあるのは、わたしの未来、すこやかさ。
そのためにこの世に現れて出でたいのちの、なんたる尊さ、このわたしの身勝手さ。
この剥き出しのエゴは、同時にわたしのなかにある唯一の謙虚さだ。
謙虚であることなんて、全然謙虚なんかじゃない。
謙虚っていうのはな、エゴなんだよ。
だからこのエゴはな、謙虚なんだよ。
わたしがわたしを生かすために、口にし、消化、吸収するもの。
それを獲得し、食べられる状態にシメるということ。
そのことに、わたしはずっと、剥き出しでいたい。
こんなになんでもかんでも馬鹿みたいに誰かやAIがお膳立てしてくれる世界で、紫蘇くらいシメたい。
わたしにできないことなんて、わたしが知らないことなんて、知らずに生きて死んでいくことなんて、山ほど朽ちるほどあるから。
紫蘇くらい、シメたい。
そうしてわたしのふんどしをしめて、この人生に、あたるのです。
いつかの先に、わたしは死ぬから。
生きてるうちに、精いっぱい、いのちのことどもをおこなって、幕をしめる。
それ以外に、なにができましょうか。
