何にでもなれる時代が、ちょっとしんどい。
こんにちは、amotaです。
小2娘と年少息子を育てながら、投資や法人経営を通じて「人生のハンドル」を自分で握る練習をしています。
「ママだから」と諦めない。
自分も家族も丸ごと幸せにするための「余白」の作り方を、今日も等身大でお届けします。
突然ですが
武家の子は武家。
農家の子は農家。
お茶屋の娘は、お茶屋。
もちろん実際はそんなに単純ではないけれど、
昔は今よりずっと「生まれた場所」や「家」によって、人生の選択肢が限られていたのではないかと思います。
それに比べて今は、
何にでもなれる。
どこにでも行ける。
好きなように生きていい。
……最高じゃん。
と思う一方で、
自由すぎるの、ちょっとしんどくない?
と最近思うのです。
選べるって、思ったより疲れる
今って、選択肢が本当に多い。
どこで働く?
会社員?フリーランス?起業?
どこに住む?
結婚する?しない?
子どもを持つ?持たない?
どんな家に住む?
どんな教育をする?
そしてSNSを開けば、自分とは違う生き方がいくらでも流れてくる。
「わ、あの人海外駐在か、、」
「こういう働き方もあるのか」
「私、今のままでいいのかな?」
選べることは自由だけど、
選択肢が増えるほど、“選ばなかったもの”まで見えるようになる。
これ、割とキッツイんじゃないかなと。
SNS見てると疲れる理由と一つだなと思っています。
不自由。でも、迷いは少なかったのかもしれない
昔の暮らしがよかった、と言いたいわけではありません。
生まれや性別で人生を決められるなんて、今の感覚からしたらかなり不自由。
現代の「自分で選べる」という自由は、
間違いなく大きな価値だと思います。
でも一方で、最初からある程度道筋が決まっている世界には、
「選ばなくていい安心」
もあったのかもしれないなと思うのです。
これは、今が自由だからこそ感じる感情だと思いますが、、😌
「私は何者になるべき?」
「この選択で本当にいい?」
を、毎回ゼロから考えなくてもいい。
今の私たちは、昔より自由になった代わりに、
人生の正解を、自分で決め続けなくてはいけなくなってしまったのかなと思うのです。
不安。だから私たちは「枠」を求める?
そう考えると、
MBTIだったり、
手相占いだったり、
四柱推命だったり、、
「〇〇タイプの人はこうするといい」
みたいなものが人気なのも、ちょっと分かる気がします。
もちろん、単純に楽しいですし、私も大好きです🤣すぐ占い見ちゃいます🔮
でもそれだけじゃなくて。
「あなたはこのタイプです」
「〜に適性があります」
と言われると、
ちょっとホッとする。
あぁこれでいいんだね?と自分の背中を押してくれるような、、。
人は自由を求めるけれど、
完全な自由の中に放り出されると、今度は枠を探し始める。
なんだか面白いですよね。
(こういう話を悶々と考えるの、大好きです笑)
欲しいのは「檻」じゃなくて「足場」
じゃあ、昔みたいに選択肢をなくせば幸せなのか。
もちろん、そんな話ではなくて。
私が今ほしいのは、
自分を閉じ込める枠ではなく、自分で選んだ枠
なんだと思います。
たとえば、
「私はこういう働き方を大事にする」
「家族との時間はここまで確保する」
「買い物はこの基準で決める」
「今はこれを優先する」
みたいに、自分の価値観からルールを作る。
そうすると、毎回すべての選択肢から選び取ることも、悩むことも、後悔することも減ると思うんです。
自由を捨てるための檻ではなく、むしろ自由に動くための足場。
そんな枠なら、むしろあった方がラクなのかもしれません。
「何にでもなれる」は、「何にでもならなきゃ」じゃない
何にでもなれる。
どこへでも行ける。
選び直すこともできる。
それはすごくありがたい時代です。
でも、
何にでもならなくていい。
すべての可能性を残しておかなくてもいい。
自分にとって大事なものが分かってきたら、
「これは選ばない」
と決めてもいい。
もしかすると今の時代に必要なのは、
選択肢をもっと増やすことではなく、
自分にとって必要な選択肢だけを残すこと
なのかもしれません。
自由すぎて疲れたら、自分から少しだけ枠を作ってみる。
その枠は、あとで変えてもいい。
自分で選んだ枠なら、それもまた自由のひとつなんだと思います。
自由とは、何でも選べることだけじゃない。
「私はこれでいく」と、自分で決められること。
最近は、そんなふうに考えています。

