A Hard Day’S Night ① / The Beatles
The Beatles "Songs From the Film A Hard Day's Night"
(諸元)
タックスコード:KT
レーベル外周部の文字:THE PARLOPHONE CO. LTD.〜
RECORDING FIRST PUBLISHED 1964表記:あり
SOLD IN U.K.〜表記:あり
レーベルの曲名表記:フォントは幅の広いサンセリフ体(のちに細字)
ジャケット制作:Ernest J. Day社
前面がラミネート加工されたフリップバック式。
ジャケット右上 mono表記:ミドルロゴ
インナースリーブ:オリジナルEMI TEXインナー。
PMC 1230 Mono
Ⅰ.XEX - 481 - 3N / XEX - 482 - 3N ①4-RL ②1-M "Y&B 横広文字"
B面はマザーが1番でスタンパーは1桁(A面はマザー4番、スタンパは2桁)。PMCのレーベルが横広文字が初期プレスの証。
盤の見た目は薄く広くキズがみえます。しかしずっしりとした重さを持っています。ジャケットはヘロヘロでペラペラだが破れはありません。
B面が感無量です。多少のチリパチノイズはあるものの、全体としてローノイズで気になるキズ音もボツ音も全くありません。モノラル盤特有のこれでもか、という圧倒的な音圧がスピーカを通して部屋の空気を震わせてきます。
1M盤はやっぱり、音の切れ味が鋭いです。わたしみたいなド素人でもはっきりと2桁・3桁番とはちがいがわかります。盤自体はけっこう傷もあり、スピンドル周りもホゲホゲで穴がガバガバかと思うくらい遣いこまれている感じですが、ところがどっこい出てくる音が違うのです。案外、溝自体は荒れずにキレイかもしれません。最初のAny Time at Allの「ドンッ!!」からしてハッとするが、その直後のジョンの唄が始まる数コンマゼロゼロ秒の無音部分が素晴らしいと思うくらい、コントラストがはっきりとしています。アルバム自体が割と詰め込まれた音の印象ですが、ステレオ盤のように楽器間の分離が良いと感じます。ジョージのリッケン330の12弦とジョンのJ160Eのストロークの違いも聴き分けられるし、ポールのホフナーベースが埋もれないできっちりとブンブン聴こえてきます。
A面については2桁スタンパですが、これはこれで良い感じです。A-1のジャーン!からの迫力がすごい。B面と同じで、楽器間の分離が良いので、曲が曲として素晴らしく、安心して聴いていられます。A-2のジョンのボーカルはいつ聴いても鳥肌モンですが、この盤はボーカルが特に鮮明に聴こえます。サビの部分は背中に電流が走ります。
普段は、うちのシステムが古く針もステレオ針で、雑音混じりのモノラルレコにはイライラすることもありますが、これはアルバム全体として堪能できた一枚でした。このアルバムはスペック以上に個体差が大きいとプロの先生が評していたが、この盤はアタリを引いたようです。
わたしのレコード収集の手段として、祖父譲りのレコード以外は、海外のe-Bayや国内のY!オクで購入することがあります。この盤を手に入れたときは、ビートルズの別のアルバムを本命盤として入札していたのですが、その盤は入札中に(当時の)福沢諭吉先生が6枚とか8枚に跳ね上がってしまい、チキンなわたしは戦意喪失して終戦。で、同時に入札していたが、なんとなくほったらかしにしていたこの盤が、それほどのバトルもなく落札できていたという次第です。この盤は(当時の)福沢諭吉先生一枚で十分お釣りがきたので、このレベルで考えると超格安(業務スーパーレベル)で手に入れられたことになります。こういうことがあるから、コレクションはやっぱりやめられない、と思います。
PMC 1230 Mono
Ⅱ.XEX - 481 - 3N / XEX - 482 - 3N ①2-RM ②2-OO "Y&B 横広文字"
初期プレスのレーベルが横広文字。
マザーが両方とも2番でスタンパーは2桁。
この盤も見た目はキズだらけで、一瞬ヤバイと思うくらいのデカい穴もあありました。「掴まされた」と思ったくらい。ただし、ショップのコメントでは「傷はあるが再生は良好」とあり、それを信じました。で、実際に音を出してみると、経年のノイズやプチ音はあるものの、たしかに音は良好。懸念した針飛びもなくストレスなく再生できました(このショップは信用できる)。音自体はクリアで轟音。聴くには何の障害も気になる傷音やノイズもない良盤です。そういう意味では、この盤は傷はあれども致命傷には至らず、溝も荒れていないので音が濁っていないものです。
某ガイド本によると本当の初期盤以外は、2桁も3桁もそう違いはないし、どっちかというと個体差による部分が大きいらしいです。とにかく相当数のレコードがプレスされたので、(イニシャルオーダーで50万枚以上!!)スタンパーもかなりの数が用意されたみたいです。だから一般的に出回っている盤は3桁盤が多い。もちろんコンディションの良い3桁盤もあるし、そもそもこのアルバムは4トラック録音ながら、いろんな楽器の音が詰め込まれています。結構音がダンゴになって聴こえる部分もあり、分離が良いとはいえません。だが、この盤は既存の3桁盤よりかは(少し)よく聞こえる。ギターのストロークが歯切れよく聞こえたくらい。楽器の少ない「And I Love Her」が珍しく一番気持良く聴けた曲だった。
PMC 1230 Mono
Ⅲ.XEX - 481 - 3N / XEX - 482 - 3N ①3-RPO ②3-RLG "Y&B 細文字"
monoの盤面のPMC表示が「細文字」。マザースタンパーから2ndプレスあたり。3桁スタンパーでノイズ盤で、とてもとてもノイズが多い。なぜ、こういうものを買ったのか、自分でもわかりません。たぶん、とにかく安かったので、としか思い出せません。ビートルズのレコードでは価格帯はピンキリで、ワンコインで買えるものから、数十万円するものまで幅広です。しかし、相応の価値のあるものは、やはり高価格ですね。
とにかくプロデューサー以下EMIスタッフが総力を結集して作り上げた傑作になります。2ndアルバムでは、売れ筋を読み切れず、他社にプレスを依頼するという失態を招きましたが、それを繰り返さず。映画とタイアップもあり、爆売れが予想されるため、あらかじめ相当数のマザー・スタンパーが事前に用意されたそうです。で、予想通り爆売れしたが、十分に用意されたプレスが途切れることはなかったそうです。で、結果的に「太文字」が一般的に出まわっていることになります。かくして、「細文字」はあまり出回っていないそうです。
ガイド本でもマトリクスがずっと当初から「3N」のままだったので、バリエーションはありません。マザースタンパーもいろんな組み合わせがあるので、何番目のプレスかわからない限り意味ないとのことです。
【後からでは、なんとでも言える=結果論】
あのとき、ああしていれば・・・
あのとき、もう少し考えていれば・・・
アメリカの映画会社「ユナイテッド・アーティスツ(ユナイト映画、United Artists、UA)は、あるジレンマに直面していました。
UAは、ビートルズと1963年10月に映画出演とサウンドトラック盤発売の契約を結びました。ビートルズ人気を当て込んで、映画の配給権をもつUA社のイギリスオフィスがとにかく映画で損してもいいから、アルバムの売り上げで儲けを出そうと考えたのです。いよいよ、アメリカでもビートルズブームに火がついて、大旋風が吹き荒れる直前です。ここでも、目利きのある会社がいち早く目をつけたわけです。米Capitolがモタモタしている間に、2か月先んじることができました。
UA社はイギリスで活躍していた映画プロデューサーのウォルター・シェンスンを仲介役としてビートルズを主演とした映画の企画をBエプスタインの元へ持ってきました。ビートルズとUA社との契約では「ビートルズはこの映画のために7曲の新曲を提供する」「サントラ盤の北米での発売権はアメリカのユナイテッド・アーティスツ社が保有する」というものでした。
ここで「詰めの甘い」2者がいます。エプスタインは、「ビートルズの曲が入ったサントラ盤の発売権をUA社に渡してしまった」UA社は「サントラ盤を北米限定発売としてしまった」ためです。大阪商人からすれば、「何やってんネン!」です。
というのも、彼らが契約を交わした1963年秋の段階では、映画の公開時にはビートルズの人気がどうなっているか、誰にもわからなかった、ということに尽きます。たしかに本国イギリスでは、大ブームですが「アイドルブーム」というのは、大概一過性のものが多く、来年どうなっているかなんて誰にも予想できません。アメリカで、さらに世界で大爆発するのは1964年からです。この時点で、アメリカではマイナーなバンドの映画を作る、アルバムの発売権を得る、というのはUA社にとって、一種の賭けだったのかもしれません。髪の長いコイツ等に賭けていいのか?以前書いたVee-Jay社やCapital同様のジレンマに陥っていたのかもしれません。
ただ、"虎穴に入らずんば虎子を得ず""リスクのないところにリターンはない”の原則通り、UA社は若干腰が引けた感じでしたが、リスクを取って莫大なリターンを得ました。
ただ、「あの時、もう少し突っ込んでいれば・・・」「北米限定といわず、全世界での販売権を持っていれば・・・」といっても後の祭りです。後からでは、何とでも言えます。その時に決断しないと、ね。
我らがマネージャー、Bエプスタインも同様です。興行界のマネジメントの難しさ、ド素人の彼にとってはビジネスが大きくなればなるほど、ドンくさい方向へ行くようです。後にジョンに「俺たちは奴のおかげで、大いに儲けそこなった」とまで言われる始末です。
とにかくUA社は映画監督にアメリカ人のリチャード・レスター(スーパーマン・シリーズも監督した)を起用し、50万ドルという「低予算」で一攫千金を狙いました。この目論見は大いにアタルわけですが、なんといっても想定を遥かに越えたのが、新曲の素晴らしさと彼らの演技力(特にリンゴ)が並みのアイドル以上だったことでしょうね。予算としては、足元を見られたような感じでしたが、彼らにしたら「このビートルズ、見くびってもらっては困る。恥を知れ、俗物!」てな感じだったのかも(笑)。
映画のクランクインは、1964年3月2日にクランクインし、4月15日にクランクアップされています。その間に、サントラ用の新曲録音を行っていました。7月6日に、ロンドンのピカデリーサーカスにあるパヴィリオン劇場でプレミアショウが開催され、マーガレット王女も出席したそうです。その後一般公開へ。
アメリカでは、1964年の8月から全米約500の映画館で同時封切り、その後全世界でロードショー公開されました。1964年だけで、50万ドルで作られた映画が、1,200万ドルの興行成績を上げました。今の為替相場でいうと、1ドル=約147円くらいとすると、約7,350万円の投資で約17億7,000万円くらいのリターンになります。ウォーレン・バフェットさんもビックリの投資ですね。興行権はUA社にあるわけですから、儲けのほとんどはUA社の懐に入ってウハウハなわけです。ウォルター・シェンスンの「ほらみろ、やっぱりオレが見込んだ通りだったな」と、高笑いが聞こえてきそうです。
レコードについていえば、UA社はビートルズとの契約には「この映画用に7つの新曲を提供する」という条項がありました。映画用のサウンドトラック盤の発売権は、UA社が獲得しました。ただし、それはアメリカ国内限定の発売であり、ビートルズ側は「映画用7曲と新曲7曲を加えたオリジナルアルバム」をこれまで通り、EMIからリリースする権利を持ちました。
UA社のサントラ盤アルバムは、ビルボード誌アルバム・チャートで14週連続第1位を獲得しました。キャッシュボックス誌でも14週連続第1位を獲得しています。イニシャルオーダーでミリオンセラーになり、発売2か月で200万枚を突破。アメリカだけで400万枚以上のセールスを記録しました。
またまたシェンスンの「ほらみろ、やっぱりオレが見込んだ通りだ。オレは見る目があったんだ!」と、後からならナントでも言える話です。
【同じ轍を踏む(二の舞を演じる)】
さてここで、またまたドンくさいCapitol社が登場します。
実は、もともとUS CapitolにはUAアルバム収録の楽曲に対してリリースする権利を持っていました。ところが、ビートルズのことを見くびっていたCapitol社は何も考えずに、以前にはVee-Jay社に契約を認めてしまい、あとから臍を噛む思いをしました。映画に関しても何も考えていなかったのか、UA社にサントラ盤の発売まで含めて契約の許可を出してしまったのです。大体1963年のころの話です。何も考えていませんね(笑)。
その年の終わりころから急激にビートルズがブームになりだして、Capitolとしても「同じアホなら踊らにゃ損損」とばかりに、ブームに便乗することになりました。Vee-Jay社との契約はそのままで、ビートルズとCapitolは12月に晴れて契約を結んだのです。で、出したアルバム「Meet the Beatles」が爆発的な大ヒットを記録して一躍ブームの主役になりました。
そんな中で、ビートルズの主演映画が公開される話が出てきました。ところが、そのサントラ盤の発売の権利が”ユナイテッドアーティスツ"UA 社にあることがわかりました。Capitol社幹部たちにとっては発売権利がないという「驚愕の事実」で「残念なお知らせ」だったにちがいなく、おそらく現在なら「総統閣下はお怒りのようです」シリーズで閣下から、お叱りを受けていたことでしょう。
【七転び八起き】
だが、転んでもただでは起きない、儲けに目ざといCapitol社は、正攻法では勝てないので奇策を考え出しました。
それが、”Something New(新しい何か)"。一応、アルバムの発売権を持つCaptolは、文字通りもう一つのサントラアルバムを強引にリリースしたのです。UA社とCapitol社の事前の話し合いで、UA社は映画の公開に先駆けてアルバムを発売することができることになりました。Capitol社は映画公開と同時にアルバムを発売するが、サントラ盤とは銘打たないことになりました。つまり、この2枚のアルバムは3週間とちょっとの時間差で発売されたことになります。曲がダブりまくりの、”The content is duplicated”な状態です。
このアルバムは、英国オリジナルアルバムと同時期に発売した英国盤EP「のっぽのサリー」とを混ぜこぜにしたキメラみたいです。
当時のアメリカの多くの少年少女たちは、この収録曲が重なった、同じような内容のアルバムを2枚も買わされるハメになりました。英国オリジナルなら一枚ですんだのに。そこは、大人の事情というヤツですか?
後追いの形で、リリースされたものの、賢明なるアメリカのファンたちは賢明な判断をしたようです。この「新しくもない何か」は、チャートアクションは最高で2位に甘んじ、どうしても「サントラ盤」を抜けなかったそうです。イニシャルオーダーで50万枚、1964年8月8日にビルボードチャートに125位で初登場。翌週に6位にあがり、3週目からは9週連続で「2位」という結果でした。
実は、当時この陰で「我らがVee-Jay社」も細々と奮闘していました。裁判所命令で同社は"Introducing the Beatles"の曲順を変えて販売することが禁止されているため、アルバムタイトルを変えて同じ内容のアルバムを発売していたのでした。1964年の10月に販売ライセンスが切れるため、それまでに手を変え品を変えてでも、売りまくっていたわけです。しかしさすがにこれは、いくらなんでも、というわけで、さしたるヒットもせずに消えていきました。そして同社は1965年に倒産してしまいました。
⇒ ②へ続く。
