見出し画像

間食 ソーネチカ、聖書を抱いてドーナツの穴だけ食べる方法を教えよう

友人は今日仕事が休みで、職場の知人と出掛けている。夜まで戻らないから、食事はいらないんだそうだ。

一人きりの家。
少し、真面目な話をしよう。
自分自身の現状について。

そもそも自分はなぜここにいるか。
ひと月前、自分は湯布院で自殺を図った。
まあ未遂である。
薬で痛みを紛らわせて、サックリ頸動脈を刺して終わらせようと、色々準備はしたのだが……。
怖いんだなあ、死ぬのって。
いや、当たり前の話なんだが。
希死念慮がずーっとあると、平生、その当たり前を忘れるんだよな。
死にたいけど、単に痛いのが怖くて自分は実行できないのだ、とそう思っていた。
でもほら、ちゃーんと鎮痛剤や患部を麻痺させる処置をして、スパッといけるよう選び抜いた切れ味の刃物を準備したにも関わらず。いざ首筋に当てると、すんごい怖い。

「えー怖、引くわ」

そんな感じ。
死にたいのか生きたいのかわかんねえなこれ。

首の皮って鶏皮みたいなんだ。
ギコギコしないと切れないし、でもそれは痛い。
「なら、勢いつけて突き刺せよ」
わかってるんだけどなあ。
どうしてこんなに怖いんだろうな。

『こゝろ』の友人K。
彼は立派だ。
向上心がないばかでも、自分と違って潔い。
生き汚い自分が恥ずかしい。

かつて小説家を目指していた。
自分の思想はあまり生きるのに向いていない。
小説として綴るたび、先生が明治の精神に殉死したように、いつか自分自身の精神に殉死しようと考えた。

究極的な自己愛なのかもしれない。
自己を肯定するために死ぬ、なんて妙な話だが。
自分には『罪と罰』でラスコーリニコフが殺人を犯した理由がわかる。
確かめたかったのだ。
能うのか?値するのか?

本当はわかっている。
ラスコーリニコフはナポレオンではなかった。
自分もまた、ナポレオンではないだろう。
ラスコーリニコフよりマルメラードフの方がよほど、合っているのかもしれない。
しかし、それを認められない。
故に自己の死に拘る。
救い難い。

友人の家に匿われて長い。
実は友人に
「僕は四月になったら出て行くよ」
と言った。

あてはない。
京都に帰ったって仕方がないのだ。
家電やら家具やら、金になるものをみな、売ってしまったから。
しかしその金も尽きた。
友人は暫く金を貸してくれるという。
借りてどうする。
どこへ行く?
両親は病で働けなくなって、彼ら自身の生活費にさえ困っている。
兄弟は学費を稼ぐのに精一杯。
自分ばかり何をしている。
働かず、かと言って医者にさえかからず、友人に迷惑をかける。
潔く死ね!
死んでしまえ!
保険金で両親を楽にしてあげろ、とそんなことばかり考える。

半笑いでヘラヘラ生きてきたが、いよいよ年貢の納め時かもしれない。
腹を決めろ、腹を決めろ。
そう思う一方、どうして希望を探してしまう?

クソ。
京都の家に、売れなかった蔵書がある。
かつての情人にそれを残す気でいたのに、今更惜しい。
死ぬ前に、四万十の流れを見たかった。
津軽の山々を見たかった。
鈴鹿峠、飛騨の天生峠を見たかった。
ドイツに行きたかった。
ミュンヘンのピナコテークに行きたかった。
山が欲しかった。
深山幽谷に霞を食み、季節を愛でてそれを書き綴りたかった。
そしてそれを誰かに読んでもらいたかった。

どうして今更noteなんか始めちまったのか。
その実、今日、もう一度自殺を図る気でいたのに。どうしてここに書き綴っているのか。
クソ。書きたいのだ、新しい話を!残したいのだ、自分の思想を!

希望はない。
未練ばかりある。
死にたくない。
だめだ、自分は。
向上心のないばかのくせに。
死に損ないが。
生き汚い。
死んでしまえ。

くそ。どうして今日も麗らかに日は照るのだろう?



血を吐くような 
倦うさ、たゆけさ

  • 今日という日に

  • 何も求むまい


今日の学び

  1. ドーナツを半分に折りたたんで潰します

  2. 穴なんてなかった

いいなと思ったら応援しよう!