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「誰でも書ける時代」の次に何が起きる? あふれる応募作、あふれるWeb小説。これからどう書いていけばいいのだろう|書籍化ログ(#創作論 #Web小説 #なろう #カクヨム #note #創作大賞 #エッセイ#文章術 #公募)

先日、noteの創作大賞の中間選考が発表されましたね。
応募総数は18万作品を越えたとあり、本当に驚きました。

今回は残念だった方、本当にお疲れさまでした。
選考を通過された方は、この先もよい結果につながることを願っています。

こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

生成AIが普及すれば、
創作の世界はもっと自由になる。

私は少し前まで、
そんな未来をぼんやり想像していました。

文章を書くハードルが下がる。
絵を描けなかった人も作品を作れる。
これまで創作とは無縁だった人まで、
自分の物語を世の中へ出せるようになる。

いわば、
「誰でも書ける時代」です。

ところが最近、
Web小説と公募をめぐるニュースを続けて見ていて、
違うことを考えるようになりました。

確かに、
「書くための入口」はものすごい勢いで広がっています。

でも、その反対側にある
「作品を公開する場所」
「誰かに読んでもらう場所」
「評価してもらう場所」
は、むしろ狭くなり始めているのではないか。

AIによって創作の民主化が進んだ結果、
今度は別の場所で渋滞が始まっているのです。


●「誰でも読める」が壊れ始めたWeb小説

先日、Web小説界隈で気になる出来事がありました。

公開されている小説を第三者が生成AIへ丸ごと読み込ませ、
そのAIに批判文を書かせて作者へ送りつける、
という悪質な行為です。

問題は、
批判をAIに書かせたことだけではありません。

それはそれで問題なのですが、
それよりももっと深刻なのが、

作者が望んでいないのに、
公開作品であれば第三者が簡単にAIへ入力できてしまうという事実。

しかも、
それを技術的に完全に防ぐのは難しい。

そこで一部の作家さんは、
無料公開していた作品を取り下げたり、
有料読者だけが読める場所へ移したりする動きを見せています。

もちろん、
これがWeb小説全体へ広がるかどうかはわかりません。

でも私は、
この出来事をかなり象徴的だと思っています。

Web小説の大きな魅力は、
「誰でも書けて、誰でも読める」
ことでした。

お金もいらない。
出版社を通す必要もない。
知らない作家の作品でも、
検索すれば今日から読める。

その開放性こそが、
Web小説という文化をここまで大きくしたはずです。

元・読み専として、
良質な作品が無条件で読み放題という環境は、
本当に素晴らしいものでした。

ところが今は、
あまりにも開かれているからこそ、
作品を守るためには閉じるしかなくなってきた。
なんとも皮肉な話です。

●今度は「公募」がパンクし始めた

そして同じ頃、
公募の世界でも別の問題が起きています。

第14回ハヤカワSFコンテストの応募数が、
1012作品に到達したというニュースが話題になりました。

例年は400作品前後だったそうなので、
単純に考えても倍以上です。
林芙美子文学賞や新潮新人賞などでも
応募増加が見られているそうです。

もちろん、
この増加すべてを生成AIだけで説明することはできません。

Web小説から公募へ活動の軸を移す書き手もいますし、
公募そのものへの関心が高まっている可能性もあるでしょう。

ただ、
文章を作るコストが劇的に下がったことが、
応募総数を押し上げる要因の一つになっている可能性は十分あります。

ここで困るのが、選考する側です。

応募が400作品から1000作品になったからといって、
編集者や下読みを担当する人が
突然2.5倍に増えるわけではありません。

書く側の生産能力だけが一気に上がり、
読む側の処理能力はほとんど変わらない。

すると当然、
「選ぶ」という工程が詰まります。

生成AIの使用箇所を明記してもらう。
参加方法を変える。
選考方法を見直す。
様々な対策は考えられるでしょう。

「それならAIに下読みさせればいい」
という考え方もあります。

でも私は、ここにも少し怖さを感じます。

AIが選考の入口を担うようになれば、
AIが評価しやすい文章へ作品が寄っていく可能性があるからです。

人間には魅力的に映る癖や脱線、
妙な言い回しや自虐なんかも、
AIに添削させると、
だいたい綺麗に消してくれますからね(笑)

それが文学賞の一次選考で起きるようになったら……。
なかなか恐ろしい世界です。

●AI時代に不足するのは「作品」ではない

こうして二つの出来事を並べてみると、
共通しているものがあります。

AI時代に不足するのは、
「作品」
ではありません。

不足するのは、
「人間の時間」

なのだと思います。

小説を書く人はいくらでも増やせる。

AIを使えば、
一人が生み出せる文章量も増やせる。

でも、
一人の読者が一日に読める小説の量は増えません。

編集者が一日に読める応募作の数も、
突然10倍にはなりません。

人間の一日は、どう頑張っても24時間です。

AIは供給をほぼ無限に増やせるのに、
受け取る側の時間だけは増やせない。

だから、
作品が増えれば増えるほど、
「誰に読んでもらえるのか」
という場所での競争が激しくなります。

私は最近、
Web小説市場で起きている問題の多くは
ここにつながっているのではないかと思うようになりました。

ランキングもそうです。
公募もそうです。
SNSもそうです。

作品を作ることより、
「無数の作品の中から誰かに選んでもらうこと」
のほうが、どんどん難しくなっている。

AIは創作の入口を確かに広げました。
その代わり、
出口に巨大で不毛な行列を作ってしまったのかもしれません。

●昔の「正解」が使えなくなるとき

この状況を見ていると、
私は就職氷河期だった頃のことを思い出します。

当時も、
それまで多くの人が信じていた一本道が
突然うまく機能しなくなりました。

学校を卒業する。
会社へ入る。
そこで働き続ける。

それまで「普通」だと思われていたルートです。

ところが本人の努力とは関係なく、
その入口そのものが極端に狭くなってしまった。

それでも当時は、
「就職できないのは努力不足だ」
という自己責任論が強くありました。

でも今振り返れば、
個人の努力だけではどうにもならない
大きな構造変化が起きていたことは明らかです。

今の創作にも、私は似たものを感じています。

読まれない。
公募に通らない。
ランキングに入らない。

すると私たちは、自分に原因を求めてしまいます。
もちろん、
作品を改善する努力は必要です。

でも、
応募数そのものが数倍になっているのなら、
以前と同じ作品を書いても単純に通過確率は下がります。

世の中の作品が10倍になれば、
以前と同じように書いているだけでは
見つけてもらいにくくなるのも当然です。

それは必ずしも、
作品が以前より悪くなった
という意味ではありません。

業界のルールそのものが変わっているのです。

●「作家への道」が一本道ではなくなる

就職という一本道が揺らいだ就職氷河期の時、
ほとんどの人は不本意な「非正規雇用」の道を選びました。
これまでの「学校卒業→会社で働く」という常識があまりにも根強かったからです。

そんな風潮の中で、僅かですが、会社以外の働き方を探す人も現れました。

フリーランスになる。
ネットで商売を始める。
自分で企業する。
複数の仕事を横断的にやる。

もちろん、
その道なら必ず成功するわけではありません。

ただ、
「会社に入る」
という一つの正解だけに
人生を預けることをしなかったのです。

創作も、今の状況がこの時に似ているなと感じています。

Web小説でランキング上位を取って、
出版社から声がかかる。

文学賞へ応募して、
受賞してデビューする。

それらの道がなくなるとは思いません。

ただ、
それだけが「作家になる道」ではなくなっていく。

noteを書く。
SNSで読者とつながる。
作品を直接販売する。
クローズドなコミュニティを作る。
Web、公募、商業出版を行き来する。

もっと複数の場所を使いながら、
自分なりの読者との接点を作っていく。

今はキャバ嬢になる前に、
「まずはSNSで影響力を持つ(インフルエンサーになる)」
という人が出てきているそうです。

ひょっとしたら、創作の世界もその例と同じで、
「まずはSNSで有名になってから物語を発表する」
という手順を踏む人が出てくるかもしれません。

そして、
こういう一本道ではない「複線型」の創作活動が、
これからは当たり前になるような気がしています。

●書くことの価値は変わらない

正直なところ、
私はこの変化を楽観視しているわけではありません。

作品が増え続け、
公募の倍率が上がり、
Webの公開環境まで閉じ始める未来は、
書き手にとって決して楽なものではないでしょう。

「良い作品を書けば、いつか誰かが見つけてくれる」

私自身、そんな物語をどこかで信じてきました。

だから、
その前提が崩れ始めていることには
やっぱり寂しさがあります。

でも、
良い作品を書くことの価値まで
なくなったわけではありません。

変わったのは、
書いたあとなのだと思います。

以前は作品を書いて、Webへ投稿する。
あるいは公募へ送る。

そこまでが作家の仕事でした。

これからは、

書く。
届ける。
読者と出会う。
自分の居場所を作る。

そこまで含めて
創作活動になっていくのかもしれません。

AIによって、
誰でも物語を作れる時代がやってきました。

だからこそ逆説的に、

誰が書いたのか。
なぜその人が書いたのか。
その作品をどこで読み続けられるのか。

そういう「作品の外側」にあるものまで、
以前より大切になっていくのでしょう。

創作の扉が閉じるわけではありません。
ただ、
これまで使っていた扉だけを見ていると、
閉じたように見えてしまう。

だったら、
別の入口を探してみる。

なければ、
自分で小さな扉を作ってみる。

そんな時代へ、
私たちはもう足を踏み入れているのだと思います。

●創作がつらくなったら、うら表紙のnoteへ


●サクッと読める毎日note(日替わり猫ちゃん付き♡)

https://note.com/ample_tulip6509/n/n3c5e660bb8b7


●中の人はこんな感じです

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うら表紙|無名→書籍化の記録(WEB小説) 読んでくれたこと、心より感謝します。いただいたチップは真心と思い、大切にします。私は時間がかかりましたが、あなたが私よりもっと短い時間で、自分の人生を愛せるよう願っています。