『マイペンライ・ロックンロール』#夜店から#シロクマ文芸部【ショートショート】
夜店から、強烈なスパイスとナンプラーの匂いが、スコール上がりの熱気とともに立ち上っていた。
バンコクの路地裏、極彩色のネオンが明滅するナイトマーケットの喧騒に、私は完全に呑み込まれていた。
タイ支店に出張して三日目。
昼間は仕立ての良いスーツをスマートに着こなし、完璧な日本語で私をサポートしてくれた現地社員のギタ。
「バンコクの夜は安全よ。僕についてきて」
彼はそう言って白い歯を見せて微笑んだ。
しかしギタは、私が串焼きの煙に目を細めた一瞬の隙に、いつの間にか姿を消していた。
「あれっ」
スマートフォンを取り出すも、人混みの電波は最悪で繋がらない。
「ギタさん?」
ここまでの道のりは覚えていない。背筋を冷たい汗が流れる。
謎の現地音楽が鳴り響く。私が部外者であることを教えてくれているようだ。
地鳴りのようなベース、空気を切り裂くような激しいドラム。
音に引き寄せられるように、人だかりをかき分ける。
マーケットの中央。極彩色のネオンに照らされた特設ステージの上で、一人の男がスタンドマイクを握りしめていた。
昼間の細身のスーツを脱ぎ捨て、黒いタンクトップ姿で汗を飛び散らせ、喉が張り裂けんばかりのハイトーンボイスでシャウトしている。
「ギタさん......?」
昼間のあの穏やかな笑顔はどこへやら。最前線の観客たちも熱狂して拳を突き上げている。
ステージの上の彼と、一瞬、目が合った気がした。
彼はマイクを持ったまま、私に向かってニカッと不敵に笑ってみせた。
唖然としながら、私は心の中で猛烈に突っ込んでいた。
『なんだよ。これを見せたかっただけかよ』
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