#05 分からないことを尋ねる勇気
社歴や業界歴が長くなってきて、分からないことがあってもなかなか他人に尋ねづらくなっていないだろうか。最近なら、今さら質問しづらい「こんなこと」でも、こっそり、しれっとAIに訊けるようになったから、そうした気まずさを味わう機会が減ってはいると思うが、しかしである。
わたしはいまいちAIを信用していない。だってAIの回答はWeb上の情報の平均をとったものだ。知りたい内容によっては、出力された回答は本当に適切な内容だといいきれるだろうか。
それに、PCやスマホをさわれない状況だったら、AIに助けを求めることは叶わない。恥を忍んで誰かに尋ねるか、知らないことがばれないようにハラハラしながらその場をやり過ごすか、どちらかだ。
わたしは、できるだけ自分で調べるなどの努力はしたうえで、それでも分からなければプライドも恥もかなぐり捨てて誰かに教えを乞うようにしている。
だけど、知らないことがバレないようにハラハラしながらその場をやり過ごしがちな人は、知らないことがバレてそれこそ恥をかいた経験はないのかな。と、散歩中にふと疑問に思った。
わたしはある。
小学校3年か4年生のころ、母親に連れられて、ある水泳教室の体験入会に参加したときの話だ。
プールサイドでの準備運動を終えて、いよいよレッスンが始まる。はじめはウォーミングアップとして、バタ足で25m。生徒はわたし含めて6~8人ぐらいだったと思うが、不運にもわたしの順番は頭から数えたほうが早かった。前の子が5mか10mぐらいいったところで次々スタートする。プールに心臓が落ちるんじゃないかと思うぐらい鼓動が大きくなる。
先生がわたしにスタートの合図を出す。頭が真っ白になる。
…真っ白になった頭に色が戻ってきたとき、わたしはなぜかプールにはいなかった。フローリングっぽい、キャメル色っぽい風景のなか、わたしの身体は横たわっているようだった。
何が起きて、なぜ今ここにいて、そのあとどうしたのか、完全に記憶が途切れている。
あとで母から聞いた話によれば、わたしはプールで失神してしまったらしい。あろうことか泳ぎを教わる場所である水泳教室で。
なぜか。
ビート板のないバタ足で息継ぎする方法を知らなかったからだ。それなのに、知らないから教えてほしいと先生に申し出られなかったからだ。だってすでにここに習いにきているほかの子たちはみんな息継ぎのしかたを知っている。自分だけはじめてで知らないなんて、恥ずかしくて言い出せなかった。
そのせいで、水泳教室で溺れて失神するという、さらなる恥ずかしさを味わった。母親もさぞ恥ずかしかっただろう。そういえば、横になっているわたしの横で「ご迷惑をおかけしてすみません」と謝っている母の声を今思い出した。当時はきょとんとしていたが、それは本来わたしのセリフである。
今となっては笑い話だけど、当時はもう本当に情けなくて、長らく黒歴史としてパンドラの箱にしまってあった一件だ。自宅からわりと離れた水泳教室だったから、同じ小学校の子がいなかった点は不幸中の幸いだった。
その恥ずかしさに比べれば、と思うから、今は「分からないから教えてください」といえる。会社員時代には「もう◯年目なのにそんなことも知らないの!?」とめちゃくちゃ怒られたこともしばしばだったが、もっと時間が経ってから聞けば2倍、3倍の剣幕で怒られただろう。どうせ怒られるなら傷が浅くすむうちのほうがよいに決まっている。
恥も傷も大きくならないうちに、素直に聞こう。これからも。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたの「知らなくて恥をかいたこと」は何ですか?
いいなと思ったら応援しよう!
応援ありがとうございます。いただいたチップは宝焼酎のお茶割りを買うために使います。乾杯!