求む、ミスター 第3のリベロ Vol.54
父の仏前にスポーツ新聞を供えたのは、初めてのことだ。昼までには売り切れているかもしれない。今日に限って、相応しいのはあの新聞だろう。水曜日の早朝5時過ぎ、出勤前のコンビニで買い求めたのは報知新聞だった。6月3日に伝えられた、長嶋茂雄さんの訃報。日本スポーツ界最大のスターは数知れぬほどの国民に愛され、亡き父もその一人だった。
アントニオ猪木とは、奇しくも同じ2月20日生まれ。その燃える闘魂が逝去した2022年も、同じような喪失感に苛まれたものだった。神格化されたヒーローとは、つい永遠に生きてくれるように錯覚してしまうが、彼らといえども病や老いからは逃れられない。そんなごく当然のこと、人間の宿命を強烈に意識させられるのが、ヒーローとの別れなのだ。
2021年の夏、コロナ禍を経て1年遅れで開催された東京五輪の開会式でもっとも印象に残ったのも、長嶋さんだった。1964年の東京五輪の翌年から始まった巨人V9の象徴は、愛弟子の松井秀喜の肩を借り、不自由な身体で懸命に歩いた。松井は全ての競技を通じてもっとも敬愛するアスリートの一人で、いかにアンチ巨人でも、歳を追うごとにプロ野球熱が冷めても、彼のことだけはファンであり続けている。「もう少しいい選手になれたかもね、ですかね」―引退した2012年の記者会見、「いま自分にかけたい言葉」を問われ、そんなふうに答えた人だからだ。
日米通算507本塁打を誇る大打者でありながら、かくも控えめな言葉をごく自然に発する人柄に感心していたら、当日のNHKのニュースで長嶋さんの言葉が紹介された。「これまでは飛躍を妨げないよう、あえて称賛することを控えてきたつもりだが、ユニホームを脱いだ今は、『現代で最高のホームランバッターだった』という言葉を贈りたい」―謙虚な弟子を最大級の賛辞で労った師匠、なんと美しい師弟愛だろうか。
翌2013年、二人は同時に国民栄誉賞を受賞した。舞台は東京ドーム。初めて首相官邸以外で開催された授与式は、深く記憶に刻まれている。その晴れやかな雰囲気は、プロ野球と巨人軍が、好むと好まざるとにかかわらず、わが国で特別な存在であることを印象づけるのに十分だった。「一番じゃなきゃダメですか?」そう問いかけた政治家もいたが、一番でなければ、なし得ないこともある。プロ野球と巨人軍をその地位に引き上げた最たる功労者だからこそ、長嶋さんはいつまでも愛され、その栄光を受け継いでいるのが松井なのだ。
長嶋さん、そして松井の不在。わが国のフットボールについて、個人的な不満を端的に示せばそうなる。フットボールが、日本で"国民的"と呼べる地位に上り詰められたか。いまなお個人によって見解は分かれると思うが、その理由も、真の国民的ヒーローの不在ではないか。人びとの注目が集まる大舞台での活躍、そして親しみやすいキャラクター。それが長嶋さんと松井の共通項であり、そのまま日本人が国民的ヒーローに求める条件だろう。
その地位に肉薄したのはこちらも2月26日に生まれた三浦知良かもしれないが、残念ながらワールドカップ出場がならなかった。その初出場を牽引した中田英寿や3大会連続得点を決めた本田圭佑は、「大舞台での活躍」なら存分に満たしてくれた。しかしながら、贔屓目にも「親しみやすいキャラクター」とは言い難い。どちらも俗に言う"クセ強"な人物で、野球界で例えるなら落合博満や江夏豊だろうか。一時代を築いた選手たちが国民的ヒーローになり得ていないことは、日本のフットボール界にとって惜しまれる問題だと思う。
I live in Edo―「I live in Tokyoを過去形にせよ」という問いに、長嶋さんはそう返したという。大喜利なら、見事な大正解だ。ほぼ全編を追悼の記事に充てた報知新聞は期待どおりの読み応えで、微笑ましいエピソードも満載だった。いくつかは、父が笑いながら聞かせてくれたとおりだった。国民的ヒーローは、死してなお人びとを愉しませ、父との思い出までも呼び覚ましてくれる。長嶋さん、ありがとう。追悼しつつ、フリークとして希求せずにはいられない。野球の星に還った長嶋さんが、いつか、フットボールの星から舞い戻ってくれないものだろうか。
