見出し画像

美術展感想|パウル・クレー展 3 完結編 出会うべくして出会った言葉|愛知県美術館

パウル・クレー展 創造をめぐる星座
*兵庫県立美術館にて巡回展あり(2025.3.29 - 5.25)

三編に及ぶクレー展 in 名古屋、完結編。
新幹線で出向いた価値のある展覧会だった。
兵庫での巡回展も是非行きたい。


1. 「まさにいま、私に必要だ」という直感

フォロン展もクレー展(vol.1, vol.2)も関西での巡回展があるのだから、客観的に考えればそれを待てばよかったのだが、なんとなく「いまの私に必要だ」という直感が働き、わざわざ新幹線に乗って名古屋へ向かった。

私はこの「何かに呼ばれる」ような自分の直感を割と信用している。この直感に従って訪れた場所では、滞った状況を打開するような気付きを得られることが多い。実際この日もそうだった。

はじめてのnote」に書いたように文章を書くことを始めてみようかと思い立ったものの、正直なところ初めは躊躇いの方が大きかった。

オンライン・オフライン問わず情報が氾濫し、日々ネット記事が星の数ほど量産される社会で、果たして私が書く必要があるのか、私の書く文章に価値があるのか、私の書いたものなど人様が読んでくださるのか、という否定的な感情があった。

そんな折、クレー展で出会った三つの言葉が私の背中を押してくれた。必要なものとは、本当に必要な時に出会うように出来ている。

2. クレー展で出会った言葉たち

その1《コンステレーション(星座)》解説

自然が草原に一種類の花を配置する際の、その方法の想像もつかぬほどの多様さ、あるいは子どもがひとつの積み木箱に入っている同じ積み木からつくり上げる無限に異なった様々な建物。私は限定された言葉によっていくつもの詩を書いた。

ハンス・アルプ《コンステレーション(星座)》愛知県美術館 解説より(走り書きメモのため誤記の可能性あり)

限られた要素による無限の組み換えの可能性

ハンス・アルプ《コンステレーション(星座)》愛知県美術館 解説より(走り書きメモのため誤記の可能性あり)

その2《攻撃の物質、精神、象徴》解説

クレーは手の届かない場所へと到達しようとする人間の精神が、矢という武器を生み出したと論じた。(中略)「肉体的には無力であるにもかかわらず、精神的には地上と天上を思うがままに股にかける人間の能力は、人間が本来的に有している根源的な悲劇である。精神的であるがゆえの悲劇なのだ。」(中略)人間の根源的な悲劇性こそが、創造の重要な契機となるのである。

パウル・クレー《攻撃の物質、精神、象徴》愛知県美術館 解説より(走り書きメモのため誤記の可能性あり)

その3《蛾の踊り》展覧会グッズしおり裏面

vol.2で触れたように《蛾の踊り》に強いシンパシーを抱いた私は、ミュージアムショップにて息をするように自然に《蛾の踊り》のブックマーカーを購入したが、その裏面に印字された文章もまた素晴らしかった。

私は再び思い切って、いままさに魂を圧迫するものを形にすることができる。何も見えない夜であっても、おのずから線へと変換されるような体験を描き留める。ずっと前から、ここに新たな創造の可能性が存在していたのだ。

パウル・クレー展 創造をめぐる星座 展覧会グッズ
パウル・クレー《蛾の踊り》しおり裏面より

3. 三つの言葉から得た気付き

アルプの立体造形の配置のように、
クレーの色彩と線の配置のように、

言葉は確かに有限だけれど、感性がそこに介入する限り、誰かが書いた文章と全く同じになることはない。その人がその時にだけ書ける文章がある。

人は元来無力であり、その能力は個々に有限であるにもかかわらず手の届かない場所に憧れて、より遠くへ行こうと欲心を抱いてしまう。

それは時に自らの無力さに失望する原因にもなるけれど、だからこそたどり着ける場所があり、出会える人やものがあり、創り出せるものがあるのかもしれない。

だから私は再び思い切って、いままさに魂を圧迫するものを形にしてみようと思う。

何も見えない夜であっても、おのずから線へと変換されるような体験を描き留めたい。

以上、三編に及んだパウル・クレー展ルポ、完結編でした。ここまで読んでくださった方がいらっしゃるか分かりませんが、最後までご覧いただきありがとうございました。

パウル・クレー《窓のあるコンポジション》1919
パウル・クレー《北方のフローラのハーモニー》1927
パウル・クレー《バラの風》1922

いいなと思ったら応援しよう!