美術展感想|パウル・クレー展 兵庫県立美術館編 1|巡回展を追いかけて
パウル・クレー展 創造をめぐる星座
場所: 兵庫県立美術館(2025.3.29 - 5.25)
愛知県美術館編… vol.1 スイスの思い出|vol.2 蛾の踊り|vol.3 完結編
巡回展をめぐる楽しみ
なぜ同じ展覧会を何度も観るのかと思う方もいらっしゃるかもしれないが、会場が変わればもうそれは別の展覧会だと私は思う。
同じ演劇でも違う座席で観れば視野が変わって印象が大きく変化するように、同じ絵画でも飾られる場所によって全く別の作品に見えることがある。
また、会場によって展示作品が変わることもある。しかも作品リストによれば、本展は会期の前半と後半で展示替えが行われるそうだ。
さらに、自身のその日のコンディションによっても作品の受け止め方も惹かれる作品も変わるだろう。
余談だが、私は数年前にフィンランドの陶芸家ルート・ブリュックに魅了され、東京・伊丹・岐阜・新潟という全国四ヶ所の巡回展をコンプリートしたことがある。
*ちなみに、彼女の夫タピオ・ヴィルカラ展は現在、東京ステーションギャラリーにて開催中です(2025.4.5-6.15)。
《蛾の踊り》と光

愛知県美術館で心を奪われた《蛾の踊り》は、再び出会ってもやはり魅力的な絵だった。今回はちょうど目の前にベンチがあり、しばらく座ってぼんやり眺めていた。
私は画面全体が光で満ちた明るい絵よりも、暗い画面に一筋の光が差している絵の方が圧倒的に好きだ。暗闇にいるからこそ光は眩しく、光に焦がれる。
ちなみに、擬人化された蛾から下方向に伸びる矢印は、光に向かって上昇する力と拮抗する重力、肉体的・精神的な限界を表しているらしい。
*ベンチに置かれていた展覧会公式カタログに掲載されていた解説。悩みに悩んだ末に結局購入しなかったため表現はうろ覚えです。ごめんなさい。
前回の記事でも触れたが、人間が手を伸ばせる範囲は有限であるにもかかわらず、人は手の届かないものに憧れ、自らの非力さを思い知る。
しかし、手の届かないものに少しでも触れたいという願いは、人を生かす希望にもなる。
この話については、こちらの方が素晴らしい記事を書かれているので、僭越ながらここでご紹介させていただきたい。
《破壊された村》と痛み

芸術家が沢山の人や物事から影響を受けながら、人生を通して作風を変遷させていく過程にいつも興味をそそられるが、戦争がそこに及ぼした影に接する度、胸がつまる。第一次世界大戦で友人を亡くしたクレーの描いた絵からは、静かな「痛み」を受け取った。
一筋の光が印象的な《蛾の踊り》とは対称的に、人の気配のない《破壊された村》に昇る太陽は光の消えた錆びた鉄塊のようだ。

《女の館》と音楽

前回はあまり印象に残らなかったが、改めて解説をじっくり読んでみると、ミュージカルの一幕のようにも見えてきて面白かった《女の館》。
ふたりの女性が、舞台の幕を左右に開いているようだ。(中略)水平に分節された構造のなかにリズミカルに収められていて、その様子は五線譜のなかに収められた音符を連想させる。
美術館における照明について
個人的な体感であるが、兵庫県立美術館では愛知県美術館よりも全体的に照明が暗いと感じた。
もしかすると兵庫では外が快晴で明るく、愛知では雨が降っていて外が薄暗かったせいで、室内が相対的に暗く見えたり明るく見えたりしたのかもしれないし、もしくは当日の自分の体調にもよるかもしれない。
美術館の照明は明るすぎると絵が傷むから、敢えて暗くしていると聞いたことがあるが、照明の明度や角度によって作品の印象が大きく変わると実感した巡回展でもあった。
美術展に関する感想を書くにあたり、こういった学芸員資格の知識があれば、もっと多角的に展示を楽しめるようになるだろうと思う。
(vol.2『原点回帰の街』に続く...)
