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5年ぶりに第二の故郷メキシコ🇲🇽に帰って、キャリアを見つめ直してみた

今年の年始、休暇をとって、学生時代に留学していたメキシコに5年ぶりに帰った。メキシコは、自分の人生を変えてくれた国、自分の価値観形成に大きく影響を与えてきた国である。コロナとか社会人になってからの忙しさとかで、戻るまでに意外と時間を要してしまった。。「今年こそは戻るね!」と言い続けて結局5年経ってしまったので、メキシコの友達には申し訳なく思ってた。

5年経ったとはいえ、自分は日本でもかなりメキシコと接点を持っていたと思う。メキシコ料理屋でバイトしたり、メキシコでの移民をテーマに卒論書いたり、メキシコ大使館の人たちと仲良くなってfiestaに行ったり、メキシコ海軍が横須賀に来た時にツアーの通訳を担当したり、その海軍の人たちと仲良くなって観光に連れ回したり、メキシコリーグの配信を見続けたり、メキシコの音楽ラジオを残業・通勤中にずっと聴いていたり。。そして何よりメキシコにいる友達とは連絡をとり続けていた。

去年メキシコ海軍からもらったお土産

仕事の関係で、同じ中南米であるペルー、コロンビア、ホンジュラスに行く機会もあった。

ホンジュラスに行ったときに飛行機から見えたメキシコ
ユカタン州のビーチ

でもやっぱりメキシコという国が恋しくて、ずっと戻りたいと思ってて、ついに5年ぶりに帰ることができた。約10日間の短い滞在だったけど、メキシコでしたかったことをギュッと詰め込んだような素敵な滞在だったので、忘れないうちに振り返ろうと思う。

10日間の中でも、4つの州に行き、食べたいメキシコ料理を食べ尽くし、大好きなメキシコリーグを見たりと、書くネタにキリがない。なので今回は、大好きな友達と行ったベラクルス遠征のことを書こうと思う。自分のキャリアをふと見つめ直す機会にもなったので。

5年ぶり再開

以前、下記のブログで書いたように、5年前のメキシコ留学はコロナウイルスが原因で、最後はほぼ家から出られなかった。なので、大切な友達とかとはちゃんとお別れもできていなかった。

そんな彼らと、再会することができたのが感動的だった。そして、5年前と全く同じ空気感で話せたのが、何よりも嬉しくて心が温まった。

ベラクルス州へ、5年前と同じメンバーでおもちゃを届ける

5年ぶりにメキシコへ帰還する直前は、ペルーに行っていた。ペルーで、ちょっと食中毒に当たってしまったりして体調がかなり悪い中、メキシコ入りした。朝メキシコシティについて、その日の深夜バスでベラクルス州に向かうという結構キツい日程であった。
なぜベラクルス州に行くのか。それは、めちゃくちゃ留学時代にお世話になったNGOボランティアの人たちと会うためである。
1月6日はメキシコで”Día de los Reyes Magos”、メキシコ版クリスマス、子どもにおもちゃをあげる日。その日にちなんで、経済的に必ずしも恵まれてはいない地域の子ども達に、おもちゃや生活物資を届けるNGOの人たちに、5年前知り合った。まさに5年前ベラクルス州に一緒に行ったその人たちと仲良くなったわけだが、今回も全く同じ活動に一緒に行かせてもらうことにしたのだ。

今回も10人くらいのグループで行くことになっていた。みんなは準備のために先に行き、メキシコ人2人と自分は一日遅れでベラクルス州に入るスケジュール。その2人とは、メキシコシティの大きなバスターミナルであるTAPO(Terminal de Autobuses de Pasajeros de Oriente)で待ち合わせをして一緒にベラクルスへバスへ向かうはずだった。だがここで、ああ、自分メキシコに来たんだなという「事件」にあう。
なんとその2人が大遅刻して、予定のバスには乗ることができず、自分が一人で一旦先にベラクルスに行くことに。長く住んでいた国とはいえ、久しぶりに来たメキシコの初日にそれか。。と不安になるも、まあ、メキシコらしいな〜〜となんか嬉しくなった。中南米の人は基本、時間にはルーズなのだが、メキシコ人はレベルが違うと思う。今回はそれが証明された笑

CDMXからベラクルスのCórdovaへ5時間の往路。疲れ切っていたからずっと寝た。

というわけで往路こそは一人でベラクルスに行くわけだが、無事にNGOの友達とベラクルスにて5年ぶりの再会を果たすことができたのだった。ベラクルスのバスターミナルでみんなと会ったが、その時のことは忘れない。久しぶりにあっても、以前と全く変わっていなかった彼ら。とても暖かく迎え入れてくれて、友情というか人の繋がりを実感した瞬間だったし、何より、ああ自分はメキシコにいるんだ、やっと大好きな国に戻ってこられたんだ、と強く思うことができた瞬間だった。

5年ぶり再会のNGOの人たち

その日は一旦休んで、翌日は結構田舎の山奥まで入って、小学校や教会をまわった。
NGOが募金や民間企業からの支援を募って購入したおもちゃを配ると同時に、自分は日本から可愛い小さな消しゴムをたくさんもってきたから、それを小学生たちに渡した。
家から小学校まで数時間かかるという子どももたくさんいた。寒さで肌が凍傷になっると思われる子もいた。そういったメキシコ社会の一部、普通の観光とかでは絶対に関わることができないような人たちと直接関わることができたのは、改めてとても勉強になった。

山間部にある小学校にて
教会でもおもちゃを届けた

やはり何より嬉しかったのは、そのNGOのメンバーたちとの時間である。5年も経ったので、お互いの近況を話しているだけでとても面白かった。前と全く同じ空気感でたわいもなく話せたのが、何より嬉しかった。
自分が大好きなメキシコの音楽を一緒に歌うことができたのも最高だった。5年前も行き帰りのバスでたくさん歌った記憶があるが、5年も経てば自分もかなり多くの歌を覚えていたわけである。特に自分は、一昔前のPopのバラードとかが好きなのだが、メキシコ人の間でもいまだに人気があるジャンルだ(レゲトンが若者の間では流行ってるとはいえ)。それを一緒に共有できることがとっても嬉しかった。

ここで、自分が大好きなメキシコの音楽ラジオを紹介させてほしい。"Amor 95.3" だ。日本でも専用のアプリを使ってずっと聞いていた。卒論書いてる時、ドライブの時、残業の時、通勤の時とか。
メキシコ留学時代に、タクシーとかレストランにいる時によくラジオがかかっていたが、いい感じの音楽の合間合間に、"Solo música rómantica🎵" っていうフレーズが流れてくるラジオ音楽があった。これが、"Amor 95.3" だ。曲のセンスが本当に好きで、メキシコにいる感覚にもなるから、日本でもずっと聞いていたのだ。
メキシコを中心に中南米、スペインのスペイン語 Pop を流している。
このラジオのおかげで、本当にたくさんの素晴らしい曲たちに出会うことができた。最近では、JEANS🇲🇽、Yuridia🇲🇽、Marta Sánchez🇪🇸、Gloria Trevi🇲🇽、María José🇲🇽、Flans🇲🇽らへんに、このラジオのおかげでハマっている。
今回の滞在中もメキシコシティの街を歩いているだけで"Solo música rómantica🎵"が聞こえてきて、結構嬉しかった。


すいません脱線しました。話を戻します。

彼らと話している中で、NGOの活動からも改めて刺激をもらうことができた。みんな、メキシコシティで働きながら、並行してこのNGOの活動を続けているわけである。
今のリーダーは元々UNAMの教授であるが、その頃の学生と一緒に立ち上げて、その後、理念に共感する人メンバーが少しづつ増えて今に至る。
メキシコは、生活をしている中で社会格差という現実を簡単に体感できる国である。メキシコシティの周辺部には不法に人が住み着いて形成された、治安の悪い地区が多く存在する。彼らがどこからくるのかというと、メキシコの地方の開発が遅れている州から、職を求めてくる人たちなのである。

メキシコシティ、Iztapalapaの風景。カラフルな地区ほど、危険。

そういった現状に無関心な人も多いが、使命感を持って自分も何かしたいと行動に移す人にも個人的にたくさん知り合ってきた。
特に今回一緒に行ったNGOの人たちは、仕事と両立、とある人は子育てとも両立させて、活動を続けてきてるのは本当にすごいなと思った。だからみんな、一見楽観的でも(時間にはルーズだったりするけど笑)めちゃくちゃ芯・軸がしっかりしてる。

5年前からの違いとして感じたことは、むしろ自分自身の変化である。5年前はただの社会問題に興味がある学生であったが、今回は自分も、仕事で国際協力に関わっている立場として一緒に活動に参加した。まさに5年前の留学中のメキシコ留学のさまざまな体験が、国際協力の仕事をするモチベーションとか起点、原体験になってることを思い出した。このベラクルスの子どもたちと関わった経験もそうなのだが、中米移民に関わったこと経験も大きい。ベラクルスは、南からくる中米移民のルートでもあるが、今回の遠征でも前に訪れた中米移民を支援する人たちのもとを訪れることができた。

中米移民を乗せる列車が通る線路に入ってみた(2020/1)
中米移民を乗せる列車が通る線路(2025/1)

支援者の話によれば、5年経った今でも移民は多いという。中米のみならず、ベネズエラやハイチからも近年では増えている。
列車に乗るといっても、不法に貨物列車の上に文字通り乗っかる形なので極めて危険だ。落下し死傷する人も後をたたない。徒歩でひたすら北上する人もいるが、メキシコの警察に見つかれば強制生還になるリスクもある。数日前にも、サンダルで歩いてきた移民の家族がいたと、支援者は話していた。

こうした、現地で社会問題をなんとかしようと行動に移す人を見て、本当にかっこいいなと思った。
さて自分はどうだろうか。留学後、そして社会人の3年間、ちゃんと自分のしたいことに向き合えているだろうか。結論から言うと、時々目の前のことでいっぱいになってたけど、自分なりにはできていた。でもまだまだ、もっとやらないといけない。といったところだろうか。
前のブログでも書いた気がするが、メキシコにいた時に、そういった社会問題、特に途上国のそれを解決することに仕事で関わりたい、と強く思ったのを覚えている。あと、中南米が好きすぎて、絶対に中南米に関わり続けたい、と本気で思ったのも覚えている。こういうのは、誰かに言われてとかじゃなくて、単純に自分の心の中かわ自然と湧き出てくる想い・声であるが、それらに素直に、誠実に向き合って、留学後もバイトとか卒論とか、就活も頑張ることができた。
結果、その二つに仕事でも、プライベートでもかなり関わりを持てているのは、幸せなことである。
仕事では中南米の複数の国を訪れた。ホンジュラスでは、首都圏の上水設備の整備の案件を現地の人と形成をしたりしたが、これはまさに自分が中米移民に関わっていた時に、彼らの出身国の社会問題をどうにかしたいと思ったこと、それが形になったものである。
そんなことをベラクルスの山奥でふと考えたりしていた。改めて自分の原点が生まれた場所の一つに、それを与えたくれた人たちと一緒に戻ることができたのは、これまでを振り返るいい機会になった。そして、もっともっと頑張らないとな、と強く思うきっかけにもなった。

その日はちょうど、メンバーの誕生日だったので楽しくお祝い。

こんな感じで、とても充実した数日のベラクルス遠征は終わった。メキシコシティでは、思い出の場所を巡ったり、これまた最高に楽しい時間を過ごした。

5年前の日本からきていた留学仲間と会う機会があったので、それについて書いて終わりたい。その子は、日本の大学を卒業後、またメキシコに戻ってこっちで就職していた。
留学中にその子と話していたことを覚えているが、ずっと「メキシコが好きだからメキシコで将来働きたい」、と言っていた。そういう自分軸を持つのは本当にかっこいいなと思ったし、それを実際にこのメキシコで有言実行していることに、この人はすごいなと思った。

いつも食べたてたPozoleを5年ぶりに、当時の留学仲間と

メキシコ人にも、メキシコで頑張る日本人にも、大いに刺激・エネルギー・情熱をもらった。なので、今年は仕事もプライベートも通常の1.1 いや 1.4倍くらいの熱量でがんばれている気がする。
またメキシコに戻る日まで、メキシコで頑張るかっこいい彼らに会う日まで、自分も頑張ります。

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