「泣いた=ダメ」なの?──3歳の運動会で感じたこと
先日の幼稚園の運動会で、3歳の子どもが泣きながら登場しました。
大勢の人の前に出るのが怖かったのか、終始先生に抱っこされながら演目が終わりました。
その姿を見て、僕はどこかに漂う
「泣いちゃってこの子はダメね」
という空気を感じて、なんとも言えない気持ちになりました。
もちろん誰も口には出しません。
でも、その“雰囲気”に強い違和感を覚えたのです。
「できなかった」=「問題」なのか?
事実として、予定していた演目を“楽しくやりきる”ことはできませんでした。
けれど、それは本当に問題なのでしょうか。
泣いてしまった、怖がってしまった。
それは「できなかった」ではなく、感情を表現できたということ。
3歳の子どもにとって、たくさんの人に見られながら何かをやるというのは、
大人が思っている以上に大きなストレスです。
むしろ、それを「怖い」と感じられる感性は自然であり、健全な成長の一部だと思います。
大人の「期待」と子どもの「現実」
運動会のような行事は、どうしても“ちゃんとできるかどうか”に目が向いてしまいます。
でも、それは大人の基準です。
子どもにとっては、「泣いた」「立ち止まった」という行動にも意味があります。
それは、自分の気持ちを自分で守る力の芽なのかもしれません。
大切なのは、「予定どおりに演じること」ではなく、
その子がその場で感じた気持ちを、どう受け止めてあげるか。
言葉で話せない年齢の“対話”
3歳という年齢では、まだ自分の気持ちを言葉でうまく説明できません。
だから、「やめてもいいけど話そうね」という対話は難しい。
けれど、それでも対話はできます。
言葉ではなく、表情や空気、スキンシップで。
言葉より先に「安心」を伝える
「なんで出なかったの?」ではなく、
「怖かったね」「抱っこしようか」
そんな短い言葉と、穏やかな声色で十分です。
子どもは親の反応を敏感に感じ取ります。
怒られた記憶より、「大丈夫だった」という体験の方が、
次の挑戦へつながります。
泣いたあとに迎えられた“安心感”が、
子どもの中に「もう一度やってみよう」という小さな勇気を育てます。
成長は“やりきること”だけで測れない
出られなかった運動会も、失敗ではありません。
泣いたその日も、その子にとっての大切な一歩です。
泣けたということは、感情を出せる場所があるということ。
それは、家庭や先生との信頼があるからこそできる行動です。
僕は「出られなかったね」よりも、
「泣いちゃったけど、頑張ったね」と言ってあげたい。
最後に
3歳の子どもにとって大切なのは、
“ちゃんと出ること”ではなく、“安心して泣けること”。
泣いてもいい。
できなくてもいい。
その気持ちを受け止めてくれる大人がそばにいること。
それこそが、子どもの成長にとって一番の“土台”なんだと思います。
