見出し画像

あと2年の命では足りない、孫世代に何を託すのか〜ヒロシマの記憶を引き継ぐ、私の旅路〜

まもなく8月7日、私の誕生日を迎える。
若い頃、「60歳で人生を終えても良い」と漠然と考えていたことを思うと、その期限まで残り2年という事実は、私に深い問いを投げかけます。
この限られた時間で、私は何ができるのだろうか。
特に、8月6日の広島、そして8月9日の長崎という、人類が経験した最も悲劇的な日付が迫るこの時期に、その問いは一層重みを増します。

この国と、彼の国の平和を、どうすれば実現できるのか。この問いは、この春、私の初孫が誕生したことで、さらに切実なものとなりました。
この子らの世代に、この平和な日常を伝え、守り、発展させること。その「砦」となることこそが、今、私に課せられた使命だと感じています。

私の平和への原体験は、小学生の時に読んだ「はだしのゲン」にあります。凄まじい戦禍を経て今があること、そしてそれを経験した人たちが皆、「二度と戦争を起こしてはならぬ」と語っていたことに、大きな衝撃を受けました。

高校生の頃には、原爆投下当時成人であった被爆者の方々から語り部として直接お話を聞く機会を得ました。その生の声は、教科書にはない、皮膚感覚で伝わる重みがありました。

そして大学生の時、友人に無理やり聞かされた「うたごえ」の中で、一つだけ忘れられない曲がありました。それが、きたがわてつ氏の「ヒロシマの有る国で」です。
独特な雰囲気の歌は苦手だったけれど、「ヒロシマの有る国でしなければならないことは ともるいくさの火種を消すことだろう」という一節だけは、高校時代の被爆者の語り部の記憶とリンクして脳裏に焼きつきました。

今、世界ではウクライナとロシアの戦争も長期化し、ガザ・パレスチナなど、各地で紛争が絶えません。
核保有や核抑止論が蔓延る現代において、きたがわてつ氏のこの歌は、私たちに何をすべきかを問いかけているように思えてなりません。
これは、特定の思想や自虐史観の問題ではなく、原爆が落とされ、多くの命が失われたという揺るぎない史実から、私たちが目を背けてはならないという、普遍的なメッセージなのです。

第1章:私たちが聴いた「心の声」

私たちは、原爆投下から長い年月が経った今、複数の生き証人である当時大人であった被爆者の語り部から直接話を聞くことができた、おそらく最後の世代です。 
彼らの言葉は、歴史の教科書に記された事実をはるかに超え、皮膚感覚で感じられる「心の記憶」として、私の心に深く刻まれました。

「八月の青空に 今もこだまするのは 若き詩人の叫び 遠き被爆者の声」
彼らの声は、単なる過去の出来事の証言ではありませんでした。強烈な熱線と爆風、そして放射線が、一瞬にして街と人々の命を奪い去った現実 。
白血病などの長期的な健康被害に苦しみながらも 、生き続けることの苦しみ、そして悔し涙 。
その一つ一つが、特定の思想やイデオロギーを超えた、普遍的な「人間の痛み」として、私の魂に訴えかけてきました。

焦土と化した街が「70年間草木も生えないだろう」と言われたにもかかわらず、約1ヶ月後には草木が芽吹き、力強く復興を遂げたという事実 は、人間の「生きる力」と平和への強いコミットメントを物語っています。特に長崎では、「平和は長崎から」を合言葉に、復興と平和活動が一体となって進められました 。
この「心の記憶」は、私たちが次世代に引き継ぐべき、最も尊い遺産です。私の孫が生きる未来に、二度と同じ過ちを繰り返させないために、この記憶を風化させてはならない。それが、被爆者の声に直接触れた世代としての、私たちの責任だと強く感じています。

第2章:核抑止論という「本末転倒」

「核兵器があるからこそ平和が保たれる」という「核抑止論」。一見すると合理的に聞こえるこの議論は、しかし、私には「本末転倒」としか思えません。

広島と長崎の史実は、核兵器が「使われるかもしれない」という可能性を、現実として世界に突きつけた揺るぎのない事実です。
1945年8月、人類は核兵器時代の幕開けを経験し 、その恐ろしさを身をもって知りました。核抑止という概念は、常に核使用の可能性を内包した「脅し」の上に成り立っています。それは、平和ではなく、いつ破綻してもおかしくない、極めて脆弱な均衡でしかないのではないでしょうか。

きたがわてつ氏の歌にある「ともるいくさの火種を消すことだろう」 という歌詞は、まさにこの核抑止の構造そのものに警鐘を鳴らしています。
核兵器は、平和を守る盾ではなく、常に燃え盛る「火種」そのものなのです。広島、長崎だけでなく、核実験による放射能汚染(第五福竜丸)や原子力発電所の事故(福島) が示すように、核の脅威は兵器だけに留まりません。核を保有し続けることは、平和を遠ざけ、常に破滅の可能性を抱え続けることに他ならないのです。

これは、特定の政治的イデオロギーや自虐史観の問題ではありません。原爆が落とされ、多くの命が失われたという揺るぎない史実から、私たちは目を背けてはならないのです。

第3章:
ヒロシマのある国の民として、未来へ

私たちは「戦争反対」というスローガンを叫ぶだけでなく、「戦争を起こさないための防止策」を具体的に行動で示す必要があります。ヒロシマのある国の民として、私たちにはその使命があります。

核兵器に頼るのではなく、対話、外交、情報発信、教育、そして報道といった多角的な努力こそが、真の安全保障であると私は信じています。
これは、私がこれまで「心の争いをしない」と努めてきたことにも通じます。日々の生活の中で、理不尽なことも含めて沈黙するのではなく、まずは自分自身と対話し、そして他者と対話ができるように努めること。

「対話の力」は、例えばイランとイスラエルの緊張が続く現代において、夢物語のように聞こえるかもしれません。しかし、そこで思考停止するのではなく、「どうすれば攻めさせないか」を本気で考え、その道を粘り強く模索し続けることこそが、ヒロシマのある国に課せられた責務です。

私の初孫が、この平和な国で、笑顔で暮らせる未来のために。私は、彼らの世代に伝え、守り発展させることの「砦」となりたい。

世界は常に変化し、困難も存在しますが、私たちは平和への探求を続けるべきです。
憲法9条の精神は、その旅路の羅針盤となり、争いを乗り越え、より豊かな世界の調和へと導いてくれると信じています。


生き証人としての被爆者の方々の時間はもうわずかです。
付録記事も併せて読んでもらえたら嬉しいです。


付録記事

ノーベル平和賞が認めた、ヒバクシャの声

〜日本被団協と核廃絶の歩み〜

2024年、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が、ノーベル平和賞を受賞しました。
広島・長崎の被爆者を中心に1956年に設立されたこの団体は、半世紀以上にわたり、核兵器の廃絶を世界に訴え続けてきました。

核の現実を伝える「生きた証言」

被団協の活動の軸は、被爆者自身の証言です。
焼け爛れた街の光景、家族を失った悲しみ、放射線による長期的な苦しみ――。
これらを国連や各国政府の会議で語り、核兵器がもたらす現実を「数字」ではなく「人間の声」で伝えてきました。

ノーベル委員会が評価したこと

ノーベル平和賞委員会は、被団協の活動が「核兵器を使わせない」という国際規範の維持に大きく貢献したと評価しました。
世界で核の使用が現実味を帯びる中、その声は**「核のタブー」を守る砦**として認められたのです。

受賞式のメッセージ

オスロでの授賞式では、代表が次のように呼びかけました。

「核兵器のない世界は夢ではない。
それは人類が果たすべき使命だ。
被爆者の声を、未来への行動に変えてほしい。」

未来へ渡すバトン

被団協の受賞は、単なる栄誉ではなく「次の世代への課題」を突きつけています。
被爆者が語ることのできる時間は限られています。
その証言を聞き、記憶し、行動するのは、今を生きる私たちの役目です。


ヒロシマのある国に生きる私たちへ――
核を使わせない、争わない社会を標準にするために。
あなたは何をしますか?


こちらはZ世代を、意識してリライトしたやつ

いいなと思ったら応援しよう!

あにちゃん 世の中、人との関わりが薄れがち、あなたに繋がれて感謝です。