地下に続く筒石駅は、幼いころ、現実と空想のあいだに存在していた
筒石駅は、子どもにとって少しだけ不思議な駅だった。
地上に駅舎があるのに、ホームは深く地下に潜っていて、長い階段を下りなければ電車に乗れない。初めてその構造を知ったとき、わたしは「駅」というより「秘密基地」に近いものを想像した記憶がある。地上と地下をつなぐあの階段は、日常と非日常の境目で、下りきった先には別の世界が広がっているのだと、子ども心に本気で信じていた。
小学生のころ、わたしたちはよく筒石駅の周辺で遊んだ。といっても、遊具があるわけでも、広い公園があるわけでもない。ただ、あの駅が放つ独特の空気が、わたしたちを引き寄せていたのだと思う。
冒険ごっこをするには、十分すぎるほどの舞台装置がそこにはあった。
新聞紙を丸めて剣を作った。
何重にも巻いて、最後はセロハンテープでぐるぐるに固める。切っ先が少し歪んでいるほうが「使い込まれた剣」らしくて格好いい、という暗黙の了解があった。段ボールは宝の地図になった。適当に切り貼りして、黒いペンで線を引き、×印をつける。実際に宝が埋まっているわけではないのに、地図を持つだけで世界は一気に広がった。
駅の周辺を歩くだけで、そこはもう城の廃墟であり、地下への入口であり、敵が潜む通路だった。
筒石駅の地下ホームは、特に異様な存在感を放っていた。コンクリートの壁、ひんやりとした空気、反響する足音。子どもたちが声を上げると、それが少し遅れて戻ってくる。その「遅れ」が、わたしたちを現実からほんのわずかに引き剥がした。
決定的だったのは、電車が通り過ぎる瞬間だ。
遠くから低い唸りのような音が近づき、風圧が一気に押し寄せる。体がぐっと煽られ、髪や服がはためく。音と風と振動が同時に襲ってきて、その一瞬、足元の地面が現実のものではなくなる。わたしたちはそのたびに、顔を見合わせて笑った。怖いのに、楽しくて、やめられなかった。
あの風の勢いと音は、ただの物理現象ではなかった。
電車が通るたびに、世界が一枚めくれるような感覚があった。次のページには、モンスターがいるかもしれないし、宝箱があるかもしれない。そう信じることが、少しも恥ずかしくなかった年齢だった。
今思えば、あれは「想像力」が最も自由だった時間なのだと思う。
現実と空想の境界線がまだ曖昧で、世界のほうがこちらに合わせて形を変えてくれると、本気で思っていたころ。筒石駅は、その境界線を意図的にぼかしてくれる場所だった。地下に潜る構造そのものが、日常を脱ぐための装置のようだったのだ。
大人になってから、改めて筒石駅を訪れたことがある。
階段はやはり長く、ホームは相変わらず深い場所にあった。けれど、もう剣は持っていないし、宝の地図もない。電車が通り過ぎる風を受けても、あのときのように世界が揺らぐことはなかった。
それでも、あの音を聞いた瞬間、胸の奥で何かがわずかに動いた。
現実とは違う世界に引き込まれそうになった、あの感覚の名残だと思う。完全に失われたわけではなく、ただ奥にしまわれているだけなのだ。
筒石駅は、わたしにとって「冒険ごっこをしていた場所」以上の意味を持っている。
想像力が世界を塗り替えていた時代の、確かな痕跡だ。あの場所で、わたしたちは何もないところから物語を生み出していた。新聞紙と段ボールと、通り過ぎる電車の風だけで。
もう同じ遊び方はできない。
けれど、あのとき確かに存在していた「別の世界」は、今もわたしの中に残っている。物語を書いたり、過去を振り返ったりするたびに、筒石駅の地下ホームの冷たい空気と、轟音と風が、ふとよみがえる。
あの駅は、わたしにとって今もなお、現実と空想の境目にある。
冒険ごっこをしていた小学生のわたしが、どこかでまだ剣を振り回しているような気がしてならない。
