《悪魔とのおしゃべり》が教えてくれたこと──「わかる」とか「わからない」とか
Audibleで《悪魔とのおしゃべり》を聴いた。
「思考が現実をつくる」みたいな、スピリチュアルとか引き寄せとか、 そういうものに少し距離を置いてきた私が、この本を聴いて、うっかり──
うなずいてしまった。
「現実は幻想だ」とか
「思考があなたの世界をつくっている」といった話。
要するに、
私たちの認識や思考が現実を形作る、ということ。
私のいうところの、
「人生はあなたの見方」というやつだ。
「苦しみが生まれるのは正しさのせい。 自分を責める暇があれば正しさを疑え。」
↑ なんというか、説明が秀逸。✨
あの本が素晴らしいのは、
“気づき”の入り口をこれでもかというほど分かりやすく描いているところ。
すばらしい表現力で、正直、羨ましいとすら思った。

「気づき」までは一緒。でも、そこからが違う。
一方で、むかし聞いた
ある禅の老師が言った言葉を思い出した。
「わかりやすく説明するなんてことは、しちゃぁいけない。」
「え?」と思いませんでした?
そのこころは
「わかる」ってことは「わかってない」ということだから。
禅の世界でも
「現実は幻想だ」
「私たちの認識や思考が現実を形作る」
そういうことは言われてきた。
ちがうのは、
禅はどこまでも実践の道だってこと。
現実がほんとうに幻想なのか
自分で実証する。
そのために
徹底的に、向き合う。
自分と。
やり方はこのnoteでも折に触れ、お伝えしていることです。
「今」に意識を向ける。(できる限り、それを続ける)
思考と同一化せず、「頭の中のおしゃべりは自分ではなく、思考」だと見切ること。そのために坐禅やマインドフルネス瞑想は有効だと。
ジタバタしてエゴ(自我)にエサを与えるようなことをしない。ただ思考が浮かんだら、手をつけないで、放っておく。
放っておけば、消えていく。
やがて、
究極的には、「何一つわからない。」
とわかる。
「わからない」ままに、安住できるようになる。
「わかる」も「わからない」も同じになる。

人(自我)は、
わからないものが理解できると、快感を感じるようにできている。
気持ちいいのだ。満足なのだ。
だから「わかった」となったら、それ以上は探求しなくなるだろう。
他人に教えること(知識の共有)も同じ。
特に、相手が理解してくれたり、感謝してくれたりすると、より満足する。
「人の役に立った」「貢献できた」という感覚が気持ちいいのだ。
社会的なつながり、承認欲求が満たされるから。
それの何が悪いの?
な~んにも、悪くない!
でも人間世界は二元の世界。
「気持ちいい」があれば「気持ち悪い」も、ある。
というか、相反するものがなければ存在(認識)できない。
いいとこ取りはできないのだ。
これが抜けてしまっているひとの多いこと。
そして
「気持ちいい」も「気持ち悪い」も
「わかった」も「わからない」も
「自分」がいないと成立しない。
だから、前述の老師は
「わかりやすく説明するなんてことは、しちゃぁいけない。」
と言ったのだ。
個人的には、禅については
ある程度までは「わかる」ということがないと、大抵のひとは続けられないと思う。
わからないことを
わかりたい、というのも本能の一部だ。
だから、わからなすぎると、
あきらめたり、興味を失うこともあるだろう。
「それではもったいない」と私のエゴは考える。
だから、「悪魔とのおしゃべり」のような本がきっかけでこの世の不思議さとか、何もなさ、に関心を持ったひとは
もう一歩、踏み込んで欲しいな、と。
禅僧じおんという、人間スーツを着た何かが、わからないままに書いている。
そして、ぜひ徹底的に、自分と向き合って欲しいと思う。
「わかる」必要がないことが、わかるまで。
合掌🙏
じおん
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