理想の一人暮らしが、一瞬で崩壊してしまった話
あそこ人が住んでるの?
牛小屋だと思ってた…
僕がこれから住むことになる学生寮のことだった。
浪人の一年で、音楽業界での仕事に目覚めて、抱えきれない大きな夢を持って大阪へやってきた。これから起こること全てに希望を持って。
大学の合格通知に同封されていたのが、大学公式の寮一覧だった。
写真は載っていなかったし、現地まで見学に行くのも難しかったので、書いてあることだけを頼りに申し込んでみた。
六畳二間
夕食付き
風呂、トイレ共同
大学へ徒歩5分
家賃:28000円
確かこんな風に書かれてたと思う。
なかなかいいじゃないか。
大学に近いし、なにより安い。
念願のひとり暮らしだ。
部屋が2つあるなんて夢のようだ。
一つは寝る部屋、もう一つは音楽部屋だな〜なんて想像は膨らんだ。
しかし、この寮はとんでもないものだった。畑の中にポツンと建ち、木造で明らかに傾いているような建物だった。まさに魔境という言葉がぴったりだった。
これが本当に大学が公式に認めた寮だなんて信じられなかったし信じたくなかった。
部屋に入って衝撃を受けたのは、6畳の部屋の真ん中に板で壁が作ってあったことだった。
6畳が二つあるんじゃなくて、6畳を無理矢理2間にしてあったのだ。要するに3畳2間だった。
部屋の扉はドアではなく、ガラガラ〜と横に開ける方式で、鍵は南京錠だった。
壁が薄いベニア板で、隣の部屋からコンビニ袋のカサカサ鳴る音が聞こえる。
僕の快適なひとり暮らしの夢は一瞬で崩壊した。
初のひとり暮らしの部屋は、黒と白のツートンカラーにしようと決めていた。
あらかじめ、黒のものと白のものを揃えて引っ越してきたんだけど、そんなものはまったく意味のないものだった。
3畳2間の狭い部屋は、カーテンレールすらなく、おしゃれにするとかそういう世界線にはまったくなかった。
こんなところで、友達もいないひとりぼっちで生きていけるのか?
この時は不安しかなかった。
お風呂の時間になった。
ルールでまずは先輩から入ることに。
僕ら新入生は最後だ。
僕が入った時は、汚いお湯が湯船に15センチくらいしか残っていない状態だった。
この風呂がまたくせもので、蛇口をひねればお湯が出るという現代のお風呂の作りではなかった。出るのは水だけ。溜まった水を、お風呂の外にいる寮のお婆さん(愛情込めてみんな"ばばあ"と呼んでいた)が薪をくべて溜まってる水をお湯にするのだ。
僕ら: ばばあお湯にしてくれよ。冷たくて死ぬ
ばばあ:今から薪をくべて暖かいお湯にするからなー。まっときやー。
ばばあ、薪をくべる
僕ら: あっち!ばばあ熱いよ!茹でるつもりか?
ばばあ: すまんすまん。薪をくべすぎた
こんな会話は毎日続いた。
夕食付き。
これはもちろんばばあ手作りのものになるんだが、どうやったらこんなに不味くなるのだろう?
味がしない。
とりあえず醤油かけてみるやつ、ソース派もいた。どちらにせよ美味くない。
肉料理も出るのだが、なんの肉か分からず、しかもいつも半焼けだ。誰も手をつけない。
食べ終わると、ばばあのところに「ご馳走様でしたー」と食器を返すのが普通だが、この寮ではみんな「お粗末様でしたー」と食器を返していた。
部屋への訪問者は常にいる。
プライベートはほとんどないと考えた方がいい。
コンコンとノックをして、はーいと応えたら扉を開けるのが常識だと考えるが、ここは違った。
コンコンと同時にガラッと扉が開く。
扉が開いて、「お前、東京から来たらしいのぉ。ちっと東京弁聞かせてくれや」と話したこともないやつから言われたりした。
寮には日本全国から集まっていて、北海道から名古屋、静岡、広島、山梨、四国、九州まで全国ばらばらだった。
とにかく言葉の意味が通じない。
「デラ多いにゃあ」、「けった買わなあかん」とか、最初は何言ってるのかさっぱりで、とても日本語で喋っているとは思えない異文化交流が行われていた。
雑誌「デラべっぴん」の意味をここで初めて知ることになる。
友達の女子を連れてったら、入口の前で「ご、ごめん。今日は帰るわ…」なんて部屋まで来てくれないことなんて何度もあった。僕だけじゃない。他の部屋もみんなそうだった。
だから、部屋に女子がいると、珍しくて寮生全員が見にきた。
大学へ行く時間と、帰ってくる時間。
下駄箱のところで椅子に座ってばばあがお見送り、お出迎えをしてくれる。
もう、かなりボケてしまっているんだと思うんだけど、ばばあはいつも全裸でイスに腰掛け、「いってらっしゃい」「おかえりなさい」を言うために、毎日そこに座ってる。
とても女の子が入って来れる場所ではなかったんだ。まさにこれは魔境の入口だった。
入学した翌月のゴールデンウィークに、家族が様子を見にきた。
それは僕の親に限らず、みんなの親が見にきてた。
そして、ゴールデンウィークが終わった頃に、3人寮を出て引っ越していった。
親が「こんな所に住むもんじゃない」とでも言って、別の寮を探してくれたんだろう。
僕は羨ましかった。
だって、僕の親は「確かにボロいけど、こういう生活もいい経験になるだろう」と言って帰っていってしまったんだ。
いや、どう考えてもならないだろ。
そう思いながら、僕はまたあのベニヤ板の部屋に戻った。
でも、この寮での生活が、そして大阪での生活が、これからの自分を変えていくことになる。
まだ、この時は何も知らなかった。
青くてごめん。
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