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「無理ならいいよ」という言葉は、HSP気質の私には「やって欲しい」と同じ言葉なんです

私の周りにいる人は、
よくこんなことをと言う。

「無理なら迎えに来なくていいよ」
「無理ならご飯作んなくていいよ」

同じような言葉で、
「迎えに行ってもいいよ」
「子どもといてもいいよ」
「子どもと一緒に寝てもいいよ」

そう言われると、その言葉たちの裏側を感じ取ってしまうから、
「無理ならいいよ」は「本当はやってほしい」
「やってもいいよ」は「どうしてもならやるよ」と私の中では変換される。

だから、どちらも「無理してでもやる」を選んでしまう。
自分がどんなにしんどい時でも、誰かに迷惑をかけるくらいなら、自分でやった方がいいと思ってしまう。

「本当はやってほしい」
「本当はやりたくない」
それらが透けて見えてしまうから。

そんな言葉を聞いてしまうと、「やらない」「やって」を選べない。
それを選ぶと、すごく悪いことをしたみたいで居心地悪くて、「やれば良かった」と思うほどに自己嫌悪に陥るから。

考えすぎ、感じ過ぎと言われると思う。
でも、それがHSPで、"私"なのだ。

だからね、もしできるなら、
もっと優しい言葉が溢れてくれると嬉しい。

裏を詮索しないで済むように。
「無理ならいいよ」じゃなくて「やらなくていいよ」
「やってもいいよ」じゃなくて「やるよ」と
そんな言葉を使ってもらえると、全く罪悪感なくとは言えないかもだけど、罪悪感も軽くなる。

感じすぎる私たちは、生きづらさを感じる。
「そんなこと思ってないし」って言われてしまうかもしれない。
だけど、思ってないならそういう言葉は出てこないと思う。

私なら、気を使わせるのわかるから使わない。

言った本人たちは、言葉の使い方で私たちのような人がこんな風に感じるなんて思いもよらないということも理解してる。

ただ、もし、この文を読んで下さっているあなたのそばに繊細な人がいたら、ほんの少しだけ言葉を柔らかくしてくれたら嬉しいです。

その“ほんの少しの優しさ”が、
生きづらさを抱える私たちに、ホッとひと息つける瞬間をくれるのです。


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蒼井瑠璃 私の幸せ時間のために、大事に大事に使わせて頂きます。 幸せ貯金に感謝です! ありがとうございます(ペコリ)