思考の言語化を練習する
言葉がまたこぼれ落ちる前に、今日は嬉しかったことを書き止めておきたい。
noteを再開してから読んでる方から感想のメッセージや、そこからはじまる思考とかをもらうようになった。昨日、見られることこそが私らしい文章だと思うようなことを書いたけど、それがわかるとやっぱり、単純に嬉しい。
本当は嬉しいって一言じゃ言い表せないくらい色々な気持ちや感想があるのだけど、やっぱり今はうまく書けなくて、込み上げるシンプルな「嬉しい」を取り出すことしか出来ない。それでもスマホを握りしめて下唇を噛みながら少し震えるように視界が滲んだくらいには、心が揺れた。
色々ある毎日にも年明けまでは少しゆっくりしよう、と思って気持ちがほぐれたところで、
今は片手で猫のふわふわしたお腹を触りながらこれを書いている。
鬱々とした感じはかなり減ってきた。朝日を浴びていること、引っ越してきてからはずっとぶあつい遮光カーテンで過ごしてた私の中では大きくて、それのおかげなんじゃないかと今日も思ってる。思いたい。私がなにかをしたアプローチでいい方向に行ってたら、自分にやるじゃんって言いたくなるから。
名古屋で暮らしてた時は最上階で、レースカーテンしかつけていなかったな。窓が多くて日当たりがよくて朝は眩しさで目が覚めていた。家に来た人に「よくこんな明るくてハッピーな感じの部屋で病めるね」と言われた。
その時から私の中では明るい部屋はハッピーなんだ、というイメージがある。地元に帰ってきてからは防犯のこともあるからレースカーテンだけで過ごすことは難しいけどさ。
人間って近づきすぎるとすぐ壊れちゃうから、見られているくらいがちょうどいいのかも。その状態を心地いいと感じる私の場合は、きっとそう。
なんでもかんでもはっきりとさせなくてもいいよね。ふんわり、やんわりと、関係性も、気持ちも。そのほうが優しくなれることもあるから。
お金があまりないから週末はどう過ごそう。明日のことを考えられるって、たぶんいいこと。
思考をそのまま文字に落とす練習もだいぶ慣れてきた気がする。軽やかな気持ちのまま今日はこのへんで。
山口葵
いいなと思ったら応援しよう!
文章を楽しく書いている中で、
いただくサポートは大変励みとなっております。
いただいたサポートは今後の創作活動への活動費等として
使わせていただこうかと思っています。
皆さま本当に感謝いたします。