人を信じたいと叫んでいたあの頃のわたしへ
Instagramを整理していたら、noteの引用をしている記事があった。自分の写真と共に、そこにはこう引用がしてあった。
【人を信じることとは】
人を嫌いになれれば
人を諦められれば
楽になれるのかな。
私はそんな風に
簡単に人間を諦められないよ。
できれば嫌いな人なんて、作りたくない。
でもそれが無理な人もいる
それは理解してる。
人を嫌うこと
諦めること
裏切ることが得意な人が
存在することも、理解している。
でも
それでも私は。
人を信じて
愛していたい。
ー山口葵note「たとえ愚かでも、私は人を信じたいんだ。」より
私はnoteまでやってきて、もとの記事を探して読んでみた。
自分の記事をあまり読み返すことはないから、この記事も新鮮な気持ちで読んでみたけれど、なんだかとっても苦しそうで、
「人なんか信じなくていいよ!ばか!」って言ってその時の自分を抱きしめてあげたいな。が一番に湧いてきた感想だった。
この記事のわたしは、人を信じて裏切ることが続いて、ひどく傷ついていたようだった。だけど助けられたこともあるし、と人間を完全に見限ることもできないと。なんのことだったか、誰とのことだか、今ではまったく思い出せない。「傷ついたっぽいな~」というくらいだ。
そう、きっと経験なんてそんなもんで、一番一生懸命生きている今がどうかだけに集中していけばいいんじゃないかなって、今の私は思うんだ。
傷つくことも、感謝することもどっちもある。だけど、全部違う「経験のひとつ」で、いっしょくたにする必要なんてどこにもない。
今日は人に感謝したけど、明日は人間なんてしね!って思ってるかもしれないし。
でもそれでいい。好きだったり、嫌いだったり、みんなしね!っておもったり、わたしなんかしね!って思ったり。でも人間も、私もしぶといから、そんな簡単にはさ、死ねないんだよ。
それを生きて行く中でわかってきたから、そんなことを時々つぶやきながらも、今を大切に生きていけばいいかなと思う。大事な思い出も、嫌われた過去も、無理に捨てることなく、私は私らしく誰かに刃を向けながら、時には温かく見守ったりして、そんな自分でいいって、自分自身をあったかくくるんであげて、そうやって進んでいく。
不器用だとか、そんなことはどうでもいいの。それは周りの評価だから、私の人生には関係ないのだから。この人とはうまくいかないとか、もっと別のすてきな人を探せとかも、そんなふうに言われて別の誰かに惹かれていたとしたら、私が私じゃないみたい。
この胸の中に一番大切にしまっておくのはなにか?人を信じることなのか。ちがう、人より先に自分を大切にすることだ。這いつくばって、ぼろぼろになって「誰かを愛したい」だなんて、滑稽すぎる。でもその時はきっとそれが、自分を守るために必要だったのかもね。
桃の節句に必ず思い出すあの人のことなんて今年はこれっぽっちも何も思い出せなくて、ちょっと悔しかったけどそれが進んでいるってことかなぁ。
春に向かって、前向いてあるこ。
それでは。
山口葵
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