優しさは踏み躙るために使うの
ショッキングなことがあった。私の目の前にまるで雨に濡れて泣いてるような、飼い主から酷い目にあっている子犬のようなそんな人が現れて話を聞くことにした。
聞けば聞くほどに痛みを伴うようなそんな現状や過去ばかりで、私はフラッシュバックを起こしてしまい過呼吸で倒れた。
現状が辛く抜け出したいという悲願を少しでも助けてあげたいと、私の伸ばせるありったけの手をのばしてこちらに来たら、またやりなおせるよ、あなたの人生はまだまだ終わっていない、ゆっくりゆっくり、愛を知っていけばいい。
そう伝えたかったし、そういう思いだった。だけど話をしたあとはいつもえもいわれぬ不気味さがあって、「怖い……」と感じたし、涙が出た。
今となっては、どこまで本当だったのか、嘘だったのか、そもそもその人はいなかったのか、本当のことはわからない。だけど「借金の保証人」というワードが出た時に、ああ、この話はそういうものだったんだなぁ、と諦めもついた。
家庭内の暴力や支配、色々なものから私が逃げ出そうとしたとき行く手を阻むのは自分のマインドコントロールされた脳みそだった。
本当は優しい人だから……自分に原因があるから……
そんなことを言って、行動を拒んだ。
それでもそんな私を無理やり安全な場所に連れて行ってくれた人がいたんだ。怒鳴り声のない、支配のない、大きな足音に怯えることもない、安心であたたかな、日曜日の昼下がりの毎日を私は与えてもらってあんまりにも幸せで、今でも思い出すと胸がほんわりと優しい色がつく。
そんな過去があって、大切にしてる今があって、
だから助けたいと思った。それだけだったのにそれは結局嘘でしかなくて、不幸な人間がいなかったということは嬉しいけど、こんな、こんな思い出がある私に言わないで欲しかった。よそをあたってほしかった。
私が思う 優しさ はいつも誰かに利用されてきた。誰かの得になるように使われてきた。そしてまた今日も私の優しさは、私の思う優しさの場所にたどりつかないまま静かに地面に落ちた。
みすぼらしく、粉々にふみにじられ、跡形もない。
優しくしても損するばかりだな。
人はこうやって心を閉ざしていくのかな?
それならば最初から人に優しくなんてしないでいいのに。
どうして私は救われたいと助けを乞われたら応えようとしてしまうのか
生きづらいよ、死んでしまってもいいくらいには
山口葵
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