スナック 「深爪」 ①
喫茶 「絶不調」
「はじめまして。あなたの、noteに書いたエッセー『暗くて悪いか』に、いたく感銘を受けました。一度お会いできないでしょうか? ヨシミ」
とのメールが届いたのは、昨日のこと。
俺は、先週、これまでの37年間で、もっとも運気が下がったと思われる時間を過ごした。
8年ほど、新宿の繁華街のバーで、バーテンとして働いていたのだが、いきなりオーナーから解雇された。
理由は、オーナーの娘とは知らず、客として来た女の子に手を出した、ということだった。
だが、彼女の方から言い寄ってきて、こちらの都合も聞かず、俺のアパートに押しかけてきたのだ。
まあ、若くて多少可愛い子だったから、こっちも来るもの拒まず状態だったことは確か。
しかし悪いことに、その一回だけの「来るもの拒まず」状態の時に、本命の彼女である美鈴が訪ねて来たのだった。
ベッドにいる俺とオーナーの娘を見て、驚き、怒り心頭。頬を思いっきり引っ叩かれ、二度と会いたくない宣言をされた。
ほどなくオーナーの知るところとなり、彼もまた娘をたぶらかされた、と怒り心頭、即解雇を言い渡してきた。
いや、たぶらかされたのは、こっちなんだが。
仕方なく、近所のコンビニでバイトを始めたが、この理不尽な状況について、勤務中につい考え込んでしまい、それで、店長に言われたのだ。
「君、表情が暗いよ」
無理に笑顔を作る気力も無く、もうすべてが嫌になって、結局、辞めた。
踏んだり蹴ったりのこの状態を、以前から暇つぶしに書いていたnoteにぶちまけたのが、エッセイ「暗くて悪いか」であった。
そのエッセイの一体、どこに感銘を?という疑問はあったが、万が一出版社などからの連絡だったら良い話かもしれない、と思い、どうせ暇だから返信し、ヨシミと名乗る人物と会う約束をとりつけた。
ヨシミが指定してきた喫茶店は、新宿のゴミゴミした細い路地裏にあった。
新宿の小滝橋近くに住んで10年ほどだが、こんな店、あるの知らなかった。
非常にわかりづらい看板。
喫茶「絶不調」。
小さな古い店に入ると、やってんだかやってないんだか、わからないような薄暗さ。
店内を見渡すと、奥の席にいる60がらみのおっさんと目が合う。
「藍沢さん?」
おっさんが俺の名前を呼び、はい、と言って近くに行く。
えー、この人がヨシミかよ、女性かと思ってた、と、ガッカリしつつ、向かいに腰掛ける。
ところが、ヨシミの方も、俺を見て、なんとなくガッカリしたような風情。
「どくだみブレンドでいい?」
とヨシミが言って、え?と聞き返す前に、注文される。
「今は、仕事は?」
と、意外に鋭い目で見つつ訊かれ、
「無職です。あのエッセイの通りで」
と俺が答えると、ヨシミは名刺を出した。
見ると、
さかむけグループ社長
吉見 与太郎
とあり、下に何やら店の名前らしきものがいくつも書いてあった。
「えーと、それで.…あの?」
俺が訝しげに尋ねると、横からいきなり「お待ちどお様」と消え入るような声がし、カップが俺の前に置かれた。
店員らしき顔色の悪い若者が、吉見の前にも同じ茶色の液体が入ったカップを置き、去る。
「藍沢さん、うちの店で働かないか?バーテンをやっていたんだろ。バーやカフェ、スナックなど色々手掛けているから、好きな店でいい」
「.… 」
出版社じゃなかったのか。
俺は気落ちしたが、吉見はかまわず話し始めた。何故、俺にメールしたかを。
「人は落ち込んでる時、明るく元気な奴には会いたくない。よけい落ち込むだけだからな。
悩みを抱え、落ち込んでいる人が求めているのは、自分より暗くてネガティブな相手なのだ。
落ち込んでる人が寛げる場所を提供するのが、私の仕事。だから、暗い性格の人材を日夜探している。それで、君のエッセイを読んで、会ってみようと思った」
「… 」
「会ってみたら、君は意外に元気そうで、正直務まるかな、と思ってるところだが、どうだろう。今、仕事がないのなら、試しにやってみるか?」
俺は、考え込んだ。
何故なら、普段の俺は、そこまで暗くないから。
ただ、今の自分の状況を考えれば、暗くなるのは難しくないし、暗い顔をしても、怒られるどころか喜ばれるみたいだし。
何より、仕事が欲しかった。
それで、気がつくと、言っていた。
「わかりました。よろしくお願いします」
