アーチャリーと思うか松本麗華と思うか
『それでも私は Though I'm His Daughter』(2025年/日本/119分/制作・配給:Yo-Pro/配給協力:きろくびと)監督:長塚 洋 出演:松本麗華
娘なことは、罪ですか?
「父の名は、松本智津夫。」
“麻原彰晃の娘”として生きることを強いられた彼女の41年
1995年3月、日本を震撼させた地下鉄サリン事件。その首謀者の娘として生まれた松本麗華(まつもと・りか)は父親が逮捕された 当時12歳。以来、どこに行っても父の名、事件の記憶、そして「お前はどう償うのか?」という問いがつきまとってきた。
「虫も殺すな」と説いたはずの教団の信徒たちが起こした数々の凶行に衝撃を受け、父親が裁判途中で言動に異常を来したために、彼がそれら犯罪を命じたこともまだ受け入れ切れない。死刑の前に治療して事実を話させて欲しいとの彼女の願いに識者らも賛同し、真相を求め続けるが、間もなく突然の死刑執行。麗華は社会が父親の死を望んだと感じ、極度の悲しみと絶望のうちに生きることになる。それでも人並みの生活を営もうとするが、定職に就くことや銀行口座を作ることさえ拒まれる。国は麗華に対して教団の「幹部認定」をいまだに取り消さず、裁判所に不当を訴えても棄却されてしまう――。
社会からの絶え間ない差別や排除の中、 自らの生き方を模索し続ける6年の記録
加害者の家族が背負う罪とは何か。オウム事件を含む犯罪報道に長く身を置いてきた長塚洋監督(『望むのは死刑ですか オウム“大執行“と私』)が考え続けた当事者たちの事件後の人生。松本麗華と出会い、その答えを求めて6年間に渡り記録し続けた。
社会が被害者の代弁者となり加害者の家族を責める。バッシングに負けずひたむきに自身の人生を築こうともがく麗華の姿は、この世界で苦しみながら生きている人に向けた希望のメッセージとなりうるか。
こういう叙情性は弱いのだ。もうすこしカメラ目線でも良かったかも。父の名を松本智津夫としていることからも松本麗華寄りなのはわかると思う。ドキュメンタリーに中立などあるはずはなく、どっちかに寄っていくものだというのが監督の気持ちだろうか。ただ麻原彰晃のイメージが強すぎて松本麗華には寄り添えない気持ちが強いのは、妹のように父と私は別だという方が共感は得られるのではないかと思ったのだ。マスコミバイアスがあって麻原彰晃のイメージが強いのかもしれない。娘に取ってはかけがえのない父なのかもしれないが、父離れしてもいい年頃だとは思う。そのきっかけがこの映画であり、トレーニングの成果なのかもしれない。死刑制度と家族ドキュメンタリーは別のはずなのに、映画でもそれを主張しているがゆえに松本麗華の物語に疑問が起きるのだ。姉は顔出しはなしで松本麗華のキャラ性なのかもしれない。叙情を誘う物語として、妹の仲違いを撮るとか、出来なかったものか。松本麗華の映画であり、彼女の叙情に引っ張られてしまうような気がする。映画自体は悪くないと思うのだが反発も出る映画のような気もした。
