見出し画像

30代、実家で闘病中の女「ライフの半額シールを狙うのが生きがい」の何が悪い


「サバ2パックに、こんな大きいホッケ2匹。ほんでお父さんタコ好きやろ? これも半額やで!」

スーパーのライフから帰宅後、エコバッグから今日の戦利品をひと品ずつ取り出して語るわたしの目が、あまりにもキラキラしていたらしい。いつもむずかしい顔をしている父が、目尻を思いっきり下げて笑っていた。

「えっ、バカにしてる? 今はこれがわたしの生きがいや!」

そう返すと、父は「参りました」と言わんばかりの勢いで天井を見上げ、おなかを手で押さえて大笑いしはじめた。

「お母さん!お父さんにバカにされてるねんけど!」

わたしがそう言うと、母は「違う違う!あんたがそこまで元気になったことがうれしくて、お父さんは笑ってるんやで」と言った。


そんなことを言われたら、許す、しかない。


何かがおかしいと思いながらも止まれなかった10年


3日間休みがあれば、ひとりでタイに旅に出るような人間だったわたしが、今は実家に戻り療養に専念している。ライフの半額商品をゲットするのに精を出しているのも、家計の負担を少しでも軽減できたらと思ってのことだ。

今までは海外に行くことでしか生きがいを感じられなかったのに、今や近所のスーパーでドーパミンを出してワクワクしている。世の中、何が起こるかわからないものだ。

「何が起こるかわからない」というと、わたしの体の異変もそのうちのひとつだ。

幼い頃からの夢をかなえ、新卒で幼稚園教諭として働いた。でも数年で退職した。辞める頃には吐き気や胃もたれ、異常な倦怠感、そのほか多数を抱える体調不良のデパート状態。でもよく言われるやる気の減退はなく、病院でも「適応障害」だと言われたから、すぐにどうにかなると思っていた。

けれど、当時の状況は深刻だったらしい。それを言われたのは昨年、最初の異変を感じてから10年という月日が経ってからだった。


わたしはずっと苦しんでいた。体の重さは年々増し、すぐに寝込むようになっていた。体重はガリガリと呼ばれていた中学生時代と同じくらいにまで痩せてしまい、3年ほど前からは、仕事終わりに目を開けていられないほどの眼精疲労にも悩まされていた。

この間、いろんな病院に行って検査をし、藁にもすがる思いでよくわからない治療にも手を出した。だけど何も変わらなかった。

理由がはっきりしなかったことや、じっとしていることが苦手な性格も相まって、ずっと働いていたし、趣味で海外に行くこともやめなかった。

そんな娘のことを心配性の母はより気にかけるようになり、わたしに対して意見をすることが増えていた。そのせいで、母と距離を取りはじめるようになっていった。

両親との溝を必死に掘っていたのに、あっけなく白旗を上げた


わが家は父が厳しい人で、そのルールを伝えてくるのは母だった。そのせいか、何かをするときに母の顔がよぎるようになっていた。

20代後半、ささいなことでも自分で決められないことに気づき、急に怖くなった。そしてコロナ禍になり、予定していたカナダへのワーキングホリデーが延期になったことで、わたしの心はどんどん窮屈になっていた。

そんなある日、とある母のひと言で何かがブチッと切れてしまった。


「お母さんがどんどん口を出してくるようになったのはわたしの体のせい。わかってる。でも、それをされればされるほど自分がどんどん惨めになるから、もうやめて!!」


こんな口答えしたのは初めてだったかもしれない。最初こそ威勢は良かったけど、だんだん鼻の奥がツンとしてきて、声はか細くなり震えていた。母の顔が歪んで見えた。わたしの目に溜まった涙のせいだったのだろうか。

それを機に、わたしは家で口をきかなくなってしまった。

そんなわだかまりを残したまま2021年、カナダに渡った。ひとりで過ごせる環境は心地よく、物理的な距離ができてやっと「自分で決める」をたくさん経験できた気がした。

帰国して1年経った頃、ひとり暮らしを始めた。体を心配してくれていた母はしきりに連絡をくれ、食べ物も送ってくれた。でも「いい加減自由にさせてほしい」そんな気持ちが風船のように膨らみ、段ボールの中に入っていたわたしの大好きなチョコの小袋を、思いっきりシンクに投げつけたこともあった。

母の気づかいをそうやってむげにあしらいながら、体はギリギリの状態で生活していた。

そんな毎日に突然、終止符が打たれた。

「生きる」それだけでいいと思えた母の一言とあの日々


2025年の春、風邪を引いた。なんとこれがきっかけで、体が動かなくなってしまった。

5分歩いただけでも座りたくなり、節々がずっと痛くて頭も回らず、眼精疲労も悪化していた。働くことはおろか、生活していくことも無理だと悟った。

異変を感じてから2週間後、母へ「実家に戻らせてください」とLINEした。母はわたしがその一言だけを素直に送ってきたことで、ことの重大さを理解してくれていた。

あれだけ必死に両親との溝が深く、太くなるように掘っていたのに、あっけなく白旗を揚げたのだ。そんな自分は、お菓子売り場でジタバタしている子どもと変わらないと思った。しかも周りの友人は結婚し、子どもを産み育てている中で、自分はまた子どもとして実家に戻ることが、わたしの心をズタズタにした。

実家に戻った当時のわたしを見て、両親は絶句したらしい。早口でせっかちなわたしが、戦場カメラマンの渡部陽一さんくらいにゆっくり話し、舞台に出てくるときのオードリーの春日さんみたいにのそりのそりと歩いていたからだ。

家ではずっと吐き気やだるさを感じながら横になり、唯一の楽しみの食事も思うようにできなかった。2階の自分の部屋に行きたくても力が出なくて、階段の1段目でずっと座っていたこともあった。そんな姿を両親に毎日見せないといけないことが、より体調を悪化させていた。

だけど両親は何も変わっていないかのように過ごしてくれた。「今日はどう?」「良くなるから!」そんな言葉は喉まで出ていただろうけど、そっと見守ってくれた。母はわたしがたとえ食べられなくても、毎日消化に良さそうなやわらかく温かいご飯を作り続けてくれた。そんな日々がわたしの心を少しずつ溶かしてくれた。

だけど体は重いままだった。

ずっと家にいたけど、それでもテレビから流れてくる音で異常な暑さだと理解していた夏。「アイスみたいに自分も溶けてなくならないかな」なんて考えたこともあった。

ある日、リビングでボーっとしていたら、突然母の声が横から聞こえてきた。

「よく帰ってくる決断をしてくれたね。ありがとう」


きっともがいているわたしのことを、どうにか楽にしてあげたいと思ってくれたのだろう。「こちらこそ、ありがとう……」本当はそう返したかったけど、喉の奥がぎゅっと締まって声が出せなかった。目線を外し、涙が頬をつたわないようにするのに必死だった。

この一言で、わたしは確かに救われた。

経済的にも精神的にも負担をかけている両親にわたしが唯一できること、それは「生きること」しかない。今より少しでも元気な姿を見せることが最大の親孝行になる。だから生きよう、生きているだけでいい。母の一言でそう思えたのだった。

とはいえ、簡単に気持ちが晴れたわけではない。これから親は老いていく。その間に自分はどこまで回復できるのだろうか。また働けるのか。そもそも働き口はあるのか。そして、ひとりで生きていくことになるのだろうか……

うん、ひとりだよな。

そんな不安は尽きず、横になっていても全く休まらなかった。 

それが落ち着いてきたのは、実家に戻って半年ほど経った頃。当初、その時期には友達に会えるだろうと予想していたけど、それは夢のまた夢だと思うほどまだまだヨレヨレだった。

好奇心が強いわたしは、いろんな欲望が自分の手の届かない高さにまで積みあがっていた。一方、体力はこの10年で子どもが作る砂山レベル、つまり、ひと踏みされただけで崩れる脆さになった。今まで何度も何度も簡単に崩れた。崩れるのは簡単なのに、なかなか再生されなかった。

自由に動けなくなってからは、枕に顔をうずめて泣きながら、その欲たちをひとつずつ手放していった。だけどまさか「友達に会うため外に出る」というささいなことさえできないなんて。そんな現実を突きつけられた瞬間、ついに欲は跡形もなく消え去った。

「もういいか……」


期待すること、そして不安がることにも疲れ果ててしまった。だけどやっと、ぷかぷか浮いているように、この世に身をゆだねられるようになった。「心臓が動いているから生きている」それでいいと思えた。

幸せや楽しさの沸点が下がったこれからの人生、得しかない


ライフへの半額セール、通称「狩り」(命名、わたし)に参戦しはじめたのもちょうどこの頃だった。

夕方、買い物について行った日のこと。野菜を買い、鮮魚コーナーに向かった。店員さんが、すでに30%オフだったタラに半額シールを貼った。近くにいたお客さんが数人寄ってきて、それをカゴに入れた。わたしの脳内にドバっと何かが出た。「お得」に目がないのと負けず嫌いな性格が顔を出し、わたしもすぐさまタラを手に取った。母を見つめニヤリとしてしまった。

そのままカートを押して買い物を続けた。生麺の焼きそば、食パン、スイーツなど、期限の近いものが軒並み半額になっている。戦闘モードになっていたわたしは、自分の胃腸やわが家の冷蔵庫状況を無視して、次々にそれらをかっさらっていった。

レジに向かう。少し気が引けたけど、共犯者の母が横にいるので怖くなかった。レシートを見ると「-50%」のオンパレード。合計約1900円。本当だったら3800円近くする。心の中でガッツポーズした。

わたしは制した。ライフの夕方を制した。しかもわが家の家計を支えられている。わたし、すてき!

それ以降、行けるときは母と木曜日に狩りに行くことになった。統計を取った結果、一番収穫があったのが木曜日だったからだ。

一番の目玉はやはり鮮魚コーナー。わたしたちはサッと現れササっと取り、サササと去る。そして再び舞い戻る。というのも、鮮魚コーナーは広く、全てに半額シールが貼られるまでに10分はかかるからだ。「ひとつも取りこぼしたくない!」そう思うわたしたちは、その間にほかのものを見て、再び参戦する。だけど2回目はちょっと勇気がいるので、最近は母だけに行ってもらうことにした。母は平気らしい。強く頼れる相棒だ。

わたしたちの参戦スタイルは、帽子にメガネにマスク。すごく不審者っぽい。きっとあの店員さんに認知されているだろう。「木曜日の覆面親子」なんてあだ名をつけられているかもしれない。えっ、恥ずかしい。

そんな妄想を両親に話したら笑われた。

「そんなん気にするわけないやろ!」
「このご時世、みんな安いもん狙ってるわ!」

なんとも心強い。その言葉を胸に、そして家計を支えたいという一心で、今日まで「狩り」に精を出している。

海外旅行で知らない土地に行き、新しい文化や壮大な自然に触れることでしか心がときめかなかったわたしが、両親とは仲が良いとは言えなかったわたしが、今やライフの「狩り」に母と一緒に参戦し、買ってきたものをドヤ顔で父に報告し、でもたまに出てくるしょうもない妄想であたふたし、それを両親に笑い飛ばしてもらうことでまた「狩り」に行く。そんなことで楽しめる日々がくるなんて、想像もしていなかった。

体がこんな状態になったのは決して幸せとは言えない。だけど、幸せや楽しさの沸点が下がったことは、これからの自分の人生で得しかないはずだ。そう思いながら過ごせるようになっていたのに……

暗い影が着々と忍び寄っていた。

暗さに覆われたことで気づいた、自分に与えられていた豊かさ


実家に戻ってから少しずつ目の違和感が増していた。瞼が勝手に閉じてしまい、目を閉じたときにグっと力が入るようになったのだ。病院を受診するも、ドライアイだと診断されて終わり。そのまま何ヶ月も違和感に耐えて過ごしていたら、次第に異常な眩しさを感じ、アイマスクなしでは過ごせなくなってしまった。年が明け、別の病院に行くと「眼瞼痙攣(がんけんけいれん)」という根治がむずかしい病気だと診断された。

目の前が真っ暗になった。


わたしは書くことが大好きだ。体がこんな状態になってからというもの、外の世界とつながり続けるため、そして自分の存在を示すため、そんなすがるような思いで今まで以上に書くことを求めた。なのに、急に筆を取り上げられた気がした。

目が見えづらくても執筆活動を続けている人はいるから大丈夫、という話ではない。なんで、なんで好きなものをことごとく奪われるのだろう。ここまで十分苦しんでいるのに、まだまだ苦しめられるのか。あまりの不条理さに怒りが湧いてきた。

わたしを守るために、体が全身全霊でSOSを発してくれているのはわかっている。でも今のわたしは病気の下敷きになりすぎている。わたしの人生、主役はわたし。病気じゃない。

しかも、おい、目よ。急に出てきてなんなんだよ。ちょっとどいて?治りにくいとか、そんなの知らないよ。何をどうしたらいいかわからないけど、治してやる。「大丈夫」とか「良くなるだろう」とかそんな生ぬるい気持ちじゃなくて、治す。負けないから。

この病気に出くわしたおかげで、そして書き続けたいという強い気持ちのおかげで、自分を奮い立たせることができた。おかげで目の病気だけでなく、ずっと悩まされている体の不調をまるごと、自分の人生の脇役に追いやってやると強気になれた。

だけど知った。怒りのエネルギーはコロッと恐怖に転じることを。

怒りの裏側は恐怖なのだ。

この病気の治療法のひとつにボトックス注射がある。目を閉じる筋肉を強制的に緩ませて開けやすくするという方法だ。だけど打つ量や位置など、わたしはまだ自分の最適解を見つけられていない。閉めようとする脳からの指令と、開けようとする自分の意思が拮抗して、目元は筋トレ状態になっている。

しかも、瞼が完全に閉じなくなっているので白目状態だ。外出中はどうしても周りの目が気になり、常にサングラスをかけてキャップを深くかぶるようにしている。この前電車で、目の前に座っていた女の子に顔をのぞき込まれて(いる気がして)、特に推理することはなかったけど古畑任三郎のマネをして目元を隠してみた。

歩くときは、3秒閉じて一瞬開けてを繰り返しているけれど、人混みでは光を目に浴びせられたときのように瞼がバシャンと閉じてしまう。だけどそのままでは危険なので、無理くり目をこじ開けようとする。このときの目元の筋トレレベルは超ハードモード。

書くときは、スクリーンの光と細かい文字を見るという負荷がかかる。左目の症状はまだましなので、片手で右目を押さえながら作業しているけれど、これでも持って数十分。しかも、だんだん目に砂が入ったみたいにジャリジャリしてくるのがとても厄介だ。

こうなると充電プラグにつながれているスマホのように、無造作に自分の身を床に放り投げ休むしかない。楽しみにしていたライフの「狩り」どころではなくなってしまう。

目を閉じる。瞼が重い。

暗い暗い世界が広がる。

いつもよく見る「黒」のはずなのに、全てのエネルギーが枯渇したこの瞬間、背後から麻袋を被せられたような恐怖に襲われるのだ。

胃のあたりに居続けている重だるい塊がバケモノに形を変え、そのままわたしを暗闇に引きずり込もうとする。「もう戻って来られないの?」そんな感情に支配され、思わず髪の毛を全部抜きたくなる。でも実際に力はないから、下唇を噛み、鼻息を思いっきり吐いてやり過ごすしかない。

だけど、バケモノは嵐のように必ず去る。たとえ無防備な姿だったとしても、とりあえず耐え抜いたら、それは負けではないのだ。乗り越えた分強くなれるわけではないけど、負けていないからまた前に進める。

わたしは負けなかった。そして進んできた。そうやって進み続けてきたから、当たり前がどれほど尊く幸せなのかをますます痛感できるようになっていった。

嵐が去ったあとは必ず晴れるわけではない。けれど、外の空気を吸えただけでも、散歩中にすれ違う犬がお尻をフリフリさせながら歩いている姿を見られただけでも、とっても心が弾むのだ。

胃のバケモノの気配が薄く、ご飯を3食食べられた日には「今日は最高やったわ!」と母に何度も言ってしまうし、近所で買った格安の切り出しカステラは、デパ地下のケーキを食べているときのテンションで食べてしまう。

そして、自分の目で見られること。これがどれほどわたしの人生を豊かにしてくれているのかにも気づけだのだ。

今までは街中を歩くだけで、自分がモノクロの世界を生きていることを突きつけられている気がしていた。「わたしの手からはふつうがこぼれていった」そんな悲劇のヒロインめいたセリフをよくつぶやいていた。

だけど手元には色づいたカードがまだまだたくさんあった。それをわたしの目が教えてくれたのだ。

目を閉じながらテレビを聞き流していても、ここぞというときは目を開けて画面を見ることができるし、スマホを見ながら「次はどんな髪色にしようかな」なんて選んだりすることもある。この前はミルクレープを買いにコンビニに行ったのに、ザクザク食感と書かれたチョコまみれのシュークリームに心奪われ、思わずそっちを買ってしまった。

もし見えていなければ、これができないのだ。財布から必要なカードをパッと取り出すことも、「今日の晩ご飯のサバは脂が乗ってておいしそうだな」と思うことも、全部。

そして世の中には、わたしが想像しえないあらゆる不自由さや困難さを抱えながら生きている人がいる、ということにも思いを馳せられるようになった。

視界が不自由になったことで、わたしの「みえる」ものが増えていったのだ。

この人生を生きるしかないから、生きて生きて、楽しんでやる


わたしは見える、耳も聞こえる。そして自分の脚で歩ける。だから自分でライフに通えている。

今のわたしにとって唯一の刺激的な時間であるライフでの「狩り」。そのときは、スーパーマリオが星をゲットしたかのように覚醒している。脳内では「♪タッタタ〜ラタッタッタタッタ」のBGMを流して、目のつらさを忘れてしまっていることもある。

ただ以前とは違い、サングラスをかけているので不審者度は増した。でも気にしない。光を遮るはずの黒いレンズからは猛烈な眼光を放ち、半額商品を虎視眈々と狙っている。

だけど本家マリオ同様、ボーナスタイムというのはほんの一瞬。帰宅後はベッドでがっつり休息が必要だ。

まったく生きづらい。生きるのが大変すぎてあきれてる。でも、そうやって自分にあきれられるようになった今の方がとっても楽なのだ。

今までのわたしは休むのは罪だと思っていて、常に進んでいないと不安で、努力は120%して、でも結果が伴わないと全てが無駄だったと自分のことを責めていた。今はまるで真逆だ。働けていなくて収入もなくて、社会どころか家族貢献さえもあまりできていないけれど、今は最高に自分を愛(いつく)しめている。

だって「ライフの半額シールを狙うのが生きがい」と、胸を張って言えるのだから。「30代、無職、独身、実家住み、体がだるい、目がおかしい」それだけ見ると今でも怖気ずくけど、そこに「ライフの半額シールを~」を付け加えて「おもろ」と思ってちょっと笑っている自分、いいじゃないか。

笑ってはいるけど、体はいつもどこか不快で、毎日退屈で窮屈だ。テレビで感動的な話を見たあと、やたら泣き続けていることもある。それでも翌朝はきちんと起きて淡々と生活を続ける自分は、本当にえらい。

そしてできるときは洗濯物を干したり、晩ご飯を一品作ったり、散歩に行ってスクワットをしたりしている。そんな小さなことでも今できることを最大限にやっているわたしは、この町で、いや関西で、いやいや日本で指折りのすごいやつだとしか思えない。世界進出も目前だ。

こうやって加点方式で自分のことを褒められるようになった今の方が、減点方式で生きていたあの頃の自分よりも好きだ。とは言え、もう一度人生をやり直せるとしたら、こんな人生は御免だ。体調にお伺いを立てる毎日なんてしんどすぎる。だけどこの人生を生きるしかないのだから、ちょっとでも楽しんでやらないと。

病気になっていろんな武器を手に入れたこれからの人生、きっと楽しめることばかりだ。でもわたしは少し動けるようになったら、きっとまたあれこれと欲が湧き出すはずだ。それを抑えながら生きることにはフラストレーションがたまるだろう。さて、どう解消しよう……

大丈夫、わたしは知っている。

ライフでの「狩り」だ!


半額シールにドーパミンを出しまくり、溜まったモヤモヤを全てここで解放させたらいい。


そういえば最近、ライフの鮮魚コーナーで半額シールを見なくなった。今まで見なかった40%オフが貼られている。物価高の煽りを受け、半額という太っ腹シールが貼れなくなったのだろうか。いや、日が落ちるのが遅くなったせいで、割引のタイミングが変わっただけかもしれない。

あっ、さっき「ライフを制した」と言ったけど前言撤回する。まだまだわたしはライフに通い、データを集めて分析しなきゃいけない。あぁ忙しい、忙しい。

ライフを制するため、まだまだ生きないとな。

不審者度MAXで行ってきますっ!(撮影:母)

いいなと思ったら応援しよう!