今の現代音楽は100年後、どう聴かれているのだろう
現代音楽は100年後にどうなっているのだろう、と考えることがあります。
ただ、「現代音楽」という言葉自体、かなり曖昧です。
ブーレーズもスティーヴ・ライヒも現代音楽と呼ばれますが、実際に聴くと、かなり違います。前衛音楽と現代音楽は同じなのか。ミニマル・ミュージックも、その中に含まれるのか。きれいに分類するのは難しいと感じます。
それでも、作品が未来にどう残るのかを考えると、三つほどの可能性が浮かびます。
1.難しい古典として残る
私はブーレーズが好きです。特に《プリ・スロン・プリ》は、何度も聴きたくなる作品です。
ですが、この曲が100年後にベートーヴェンのように広く親しまれている姿は、あまり想像できません。
時間がたてば、どんな音楽でも聴きやすくなるとは限らないでしょう。ブーレーズは重要な作曲家として残りながら、難しい音楽であり続けるかもしれません。
でもそれでもよいと思います。
誰もが知っている作品にはならなくても、一部の人が強くひかれ、繰り返し聴き続ける。そういう残り方もあるはずです。
2.今より普通に聴かれる
ミニマル・ミュージックには、少し違う未来があるように感じます。
ライヒの音楽には、はっきりした反復や脈があります。少しずつ変化していく音を耳で追うこともできます。ブーレーズとは、聴いているときの感覚がかなり違います。
もちろん、ライヒやグラスがそこまでポピュラーな音楽になったとは思いません。
しかし100年後には、今より普通に演奏され、現在の私たちがストラヴィンスキーを聴くような感覚で受け入れられている可能性はあると思います。
3.作品ではなく、響きが残る
作品そのものは演奏されなくても、そこで生まれた響きや考え方が、別の音楽に残ることもあるでしょう。
不協和音、電子音、音の塊、楽器の特殊な鳴らし方は、映画やゲームではすでに珍しいものではありません。
作曲家の名前を知らなくても、現代音楽が生み出した響きを、私たちは日常の中で聴いています。
作品は忘れられても、音だけが別の場所で生き続ける。そういう未来もあると思います。
これは音楽史の整理ではなく、私が現代音楽を聴きながら考えていることです。
実際には、三つにきれいに分かれるものではないでしょう。
ブーレーズがそれなりに広く聴かれる時代が来ていたり、逆に現在人気のある作品が忘れられることもあるでしょう。
100年後には、今の私たちが想像できない音楽も生まれているはずです。
その時代の人たちは、《プリ・スロン・プリ》を難解な20世紀音楽として聴くのか。
昔の古典として自然に聴くのか。
今とはまったく違う意味を見いだすのか。
現代音楽を聴いていると、音楽の未来まで考えたくなります。
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