アラカンお嬢|伝わらなかったことから、考えはじめる
🇯🇵
ずいぶん昔に、コミュニケーションの講座の手伝いをしたことがあります。
そのとき、メラビアンの法則をもとに資料をつくりました。
言葉よりも、声や表情のほうが伝わる。
そんなふうに思っていました。
けれど最近になって、
それがどんな場面の話なのかを、あらためて知りました。
好きとか、嫌いとか。
安心とか、不安とか。
そういう感情を伝える場面に限って、
言葉以外のものが大きく働くということ。
それで、ふと思い出したのが、
バレエやオペラのことでした。
説明がなくても、
何が起きているのかが伝わってくる。
バレエは言語すらありません。
何かが起きていることは、なんとなく伝わってくる気がします。
たとえば『白鳥の湖』では、
出来事の流れが、
動きと音楽によって、同じところへと導かれていきます。
一方で、能を観ていると、少し違う感覚があります。
たとえば『葵上』では、
大きな出来事が起きているはずなのに、
舞台の上では、
ほとんど何も起きていないようにも見えます。
けれど、
動きや型、間の取り方、立ち位置は、
とても明確に決められています。
もともと能は、
背景となる物語や教養を共有した人たちに向けてつくられていました。
だから、すべてを説明しなくても伝わる。
けれど今の私たちは、
あらかじめ少し知っておくことで、
はじめてその意味に触れるのかもしれません。
同じものを見ていても、
同じ意味にたどり着けるとは限らない。
それは、
前提がどれだけ共有されているかによって、変わってきます。
設計の現場でのこと。
杉板型枠の「うづくり」を指定し、
図面にも描き、契約図書にも記載し、説明もしていました。
それでも現場に入ると、
「それは何ですか」と聞かれたことがありました。
図面にも書いている。
説明もしている。
それでも、伝わっていない。
ここまでやっても伝わらないのであれば、
それは伝え方の問題ではなく、
そもそも前提がなかったのかもしれません。
同じ意味にたどり着くためには、
同じ言葉だけでなく、
同じ前提が必要です。
日本の社会は長いあいだ、
言葉にしなくても通じることを前提にしてきました。
けれど今、
その前提は少しずつ揺らいでいます。
同じ場所にいながら、
見ているものが違う。
そんな状況の中で、
ただ「察する」だけでは、
意味は重ならなくなってきているのかもしれません。
コミュニケーションのあり方は、時代によって常に変わっていきます。
同じ場所にいないまま、
同じものを見ていないまま、
やり取りする場面は増えていく。
その中で、
何を揃えるのか。
どこまでを言葉にするのか。
そういう選び方が、
これからのコミュニケーションになるのかもしれません。
伝わらなかった、という出来事から、
いくつかのことがつながって見えてきました。
けれど、それをどうすればいいのかは、まだよくわかっていません。
ただ、
何が揃っていなかったのかを考えることは、
これからも続いていく、その積み重ねなのかもしれません。
📮
「伝わらなかった」と感じたとき、
あとから振り返ると、何がズレていたと思いますか。
言葉でしょうか。
前提でしょうか。
それとも、別の何かでしょうか。
💬 よかったら、気軽に教えてください
🇬🇧
I once experienced a moment when something I thought I had clearly communicated simply didn’t get through.
That small incident led me to reflect on how communication actually works — not just through words, but through shared assumptions, context, and structure.
If you’re interested, I’ve written more about it here:
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