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広告は、商品だけじゃなく「欠点」まで売っている。|公共空間に流れ込むノイズについて

最近、というか、二十代くらいからずっと、電車に乗っていてふと思うことがあります。

いや、こっちはそれ、見たいって言ってないんよ。

性的な広告。
脱毛。
美容整形。
ダイエット。
美容医療。

もちろん、私は別に、
性癖を否定したいわけでも、
整形を否定したいわけでも、
脱毛を否定したいわけでもありません。

やりたい人はやったらいいし、
自分が好きな見た目になることで機嫌よく生きられるなら、
それはそれで素晴らしいと思っています。
性癖だって自由だと思っています。表に出すかどうかは別として。

人様に迷惑をかけない範囲なら、好きにしたらええ。
そこについては、本当にそう思う。

ただ。
それを、電車とか駅とか、公共空間にデカデカと出すのは、なんか話が違わんか?と思うのです。


「表現できる自由」と「どこでも見せられる自由」は、同じなのか

「表現の自由」という言葉があります。

もちろん、大事です。

人が自分の考えや作品や価値観を表現できることは、
社会にとってものすごく重要だと思います。

でも私は、

「表現する自由がある」ことと、
「どんな場所でも、誰にでも見せていい」ことは、
別の話なんじゃないか

と思っています。
たとえば私は、好きな音楽を聴く自由があります。

でも、「音楽を楽しむ自由がありますので!」と言いながら、
満員電車でBluetoothスピーカーから爆音を流したら、
たぶん普通に迷惑です。

自由、そこちゃうやろ。となる。

ですよね?

性的なコンテンツだって、
見たい人が自分で選んで見に行く場所なら、
好きに楽しめばいいと思います。

でも電車は違います。

小学生も乗る。
高校生も乗る。
仕事帰りのおじさんも乗る。
疲れ切った会社員も乗る。
性的なものを見たくない人も乗る。

しかも広告は、「見ない」という選択が、意外と難しい。
目の前にありますからね。

ドーン。

いや近い近い近い。うるさいうるさい。


私が嫌なのは、「性的だから」だけじゃない

そして最近、もっとノイズだなと思うのが美容系の広告です。

脱毛。
二重整形。
脂肪吸引。
歯列矯正。
美容医療。

これらの商品やサービスそのものが悪いとは思いません。
ただ、広告の作り方によっては、

商品を売る前に、まずこちらに「欠点」を教えてくる。

これが、ものすごく嫌なのです。
たとえば、「二重になりたい人へ」だったら、まだ分かります。
二重になりたい人が、選択肢として見る広告です。

でも、「まだ一重で悩んでる?」となると、

おや?

となります。
いや、私さっきまで別に悩んでませんでしたけど?
となる。

毛もそうです。
「脱毛したい方へ」なら分かる。
でも、「ムダ毛、大丈夫?」みたいに言われると、
そもそも“ムダ”って誰が決めたんや。という話になる。


広告は、ときどき「悩み」から作る

商品には、人の悩みを解決するものがたくさんあります。
それ自体は、何も悪くありません。

困っている人がいて、そこに解決策がある。
これは、まあ、言ってみれば、健全です。

でも広告の中には、
悩んでいる人に商品を届けるのではなく、
先に悩みをつくってから商品を売るもの

があります。

あなたの目、小さくない?
あなたの毛、気にならない?
あなたの鼻、低くない?
あなたのお腹、そのままでいいの?
あなた、老けて見えてない?

……知らんがな。
こっちは朝から仕事行くだけなんよ。
電車乗っただけや。

なんで駅から会社までの間に、
自分の顔面を5項目くらい査定されなあかんのや。笑

いや、私…起業してから会社通いしてないけど。笑


「改善前」と呼ばれた瞬間、普通だった自分が問題になる

美容広告でよく見るのが、ビフォー・アフターです。
もちろん、変化を見せるためには分かりやすい。

でもこれも、見方を変えると結構すごい。
左側に置かれた顔や身体が、
「改善前」として提示されるからです。

すると、それと似た特徴を持つ人はどうなるのでしょう。

一重。
丸い鼻。
エラ。
毛。
脂肪。
シワ。
シミ。

それまで単なる身体的特徴だったものが、広告のフレームに入った瞬間、
「直す対象」になる。
私はここに、ものすごく違和感があります。

だって、昨日まで普通だった身体の一部が、
「それ、改善できますよ」と言われた瞬間、
「あれ? 私って改善が必要だったの?」になるからです。

なんか…ずいぶん、暴力的じゃありませんか?


特に、子どもはそれをどう受け取るんだろう

これ、大人ならまだ、
「はいはい広告ね」と流せる人もいると思います。

でも、まだ自分軸がしっかりとできていない、中学生とか高校生はどうなんだろう。
毎日通学電車に乗って、

二重。
脱毛。
痩身。
整形。
肌。
歯。

と、「こうなればもっと良くなる」を浴び続ける。
すると、「かわいくなる方法」を学んでいるようで、その前段階として、
「今の自分には、直すところがある」を学習してしまう可能性もあるんじゃないかと思います。

私は学生時代、チャリ通だったこともあって、
自分の目がどうとか、
鼻がどうとか、
毛穴がどうとか、今ほど細かく人の顔面を評価する言葉を知らなかった気がします。
知らなかったから、気にしなくて済んでいたことも、たぶん結構あります。

人間、欠点の名前を覚えると、自分の中から探し始めるんですよね。


「選択肢を増やす広告」と「自己否定を植える広告」

ここは分けて考えたいです。
私は、美容医療や整形という選択肢があることで、救われる人もいると思っています。
これは、間違いない。

ずっとコンプレックスだったところを変えて、
人生が明るくなる人もいるでしょう。

だから、「整形なんてするな」とは全く思いません。

私が気になるのは、
選択肢を提示することと、
自己否定を植え付けることの境界線
です。

「こういう方法もありますよ」なら選択肢。
「そのままのあなた、大丈夫?」になると、だいぶ違う。

似ているようで、全然違う。
そこに、優しさはあるんか?って思っちゃう。


広告は、商品だけを売っているわけではない

広告って面白いもので、商品だけを売っているように見えて、
実は
「こういう人が美しい」
「こういう状態が成功」
「これは恥ずかしい」
「これは直した方がいい」という、

価値観まで一緒に売っています。

だからこそ、影響力がある。
そして公共空間の広告は、
こちらが選んで見ているわけではありません。

スマホなら、アプリを閉じられる。
本なら、ページを閉じられる。
動画なら、再生しなければいい。

でも、駅の巨大広告は閉じられません。

満員電車の中吊り広告も、壁面広告も、
こっちの生活圏に勝手に入ってくる。

だから私は、公共空間に出す広告には、
普通の広告とは少し違う責任があるんじゃないか
と思うのです。


「嫌なら見るな」ができない場所もある

ネットではよく、「嫌なら見なければいい」という言葉があります。
私も、ネット上の多くのコンテンツについては、かなりそう思っています。

苦手なものは見なければいい。
ミュートすればいい。
フォローを外せばいい。
場合によっては、ブロックをすればいい。
自分から距離を取ればいい。

でも、公共空間は、それができない。
毎朝利用する駅を変えるのは難しい。
広告が嫌だからといって、会社まで目を閉じて歩くわけにもいかない。

つまり、見る側の選択権がかなり弱い場所です。
だからこそ、「表現する自由!」だけでは片付けられない気がしています。


自由って、「好きにやっていい」だけじゃない

自由は大事です。
性的表現も。
美容も。
整形も。
ファッションも。
人が自分の身体をどう扱うかも。

私は基本的に、本人が決めたらいいと思っています。

でも自由って、
自分が好きにできることだけじゃなく、
相手が受け取らない自由も含めて考えるものなんじゃないか。

と思うのです。

好きなものを好きと言える自由。
見たいものを見る自由。
変えたい身体を変える自由。
それと同時に、
見たくないものを、
見ずに済む自由。

昨日まで気にしていなかった自分の身体を、
「そこ、欠点ですよ」と突然ジャッジされずに暮らす自由。
それも、あっていいんじゃないでしょうか。

私は別に、広告を全部優しくしろとか、
美しいものだけ見せろとか、
そんなことを言いたいわけではありません。

ただ、商品を売るために、
誰かの身体を勝手に「問題」にしないでほしい。
それだけです。

一重でも。
毛があっても。
シワがあっても。
太っていても。
歳を取っていても。

それを本人が変えたいと思ったなら、変える自由がある。

でも、変えたいと思っていなかった人にまで、
「そこ、直せますよ」と毎朝教えなくてもいい。

広告は商品を売ればいい。
欠点まで新商品として、
こちらに納品してこなくていい。

そんなことを、電車の広告を眺めながら思っています。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

「わかる」「私もこういう広告、ちょっとしんどいかも」と感じた方は、よかったら「スキ」で教えてもらえるとうれしいです。

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