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『掬うように暮らす』#2 黄昏シフォンケーキ

第二章 芒種
〜黄昏シフォンケーキ〜時子


さて。

と、暮れゆく空を眺めながらわたしは
本日三度目の「さて」を心に思っている。

「トットちゃん、たけのこ持ってってー」

と、今朝方仕事を終えて朝食をご馳走になった後、しげ田のお母さんから渡されたずっしりと重たい紙袋。

大きめのたけのこ一本と、中くらいの一本、
小さいのが一本、
土のにおいそのままに収まっている。

「お母さん、うちはりょうちんとふたりやし、こんな量無理やわ」

一本で充分、と残りを返そうとすると

「灰汁抜きまでしたら冷凍しといたらいいのよ。
りょうちゃんがうまいことやってくれるから大丈夫大丈夫」
「いや、それが金曜までりょうちん出張でいいひんのよ」
「あらぁ、じゃあ灰汁抜きはトットちゃんの役目ね。 お米と鷹の爪で茹でるだけだから」

お母さんは有無を言わさず
「はいはい、じゃあお疲れ様。またねー」

と言いながら背中を押し、そのままわたしを店の外へ送り出した。

帰宅し、テーブルに広げたたけのこを眺めつつの、さて。

一旦、たけのこをスルーして、その横に置かれた郵便物へ手を伸ばす。

するとそこに『坂野諒子様/矢島時子様』と連名で宛名が書かれた往復はがきを見つけてしまった。

いまどき往復はがきなんて…と中を見ると
『クラス会のお知らせ』とある。

さて。

と、なる。

りょうちん不在の日になんと難儀な。

しばし途方に暮れたのち、考えても答えはでないと諦めて
テーブルの上の’さて’なモノたちをそのままに
わたしはおもむろにベランダへと逃げたのである。

夕方の空気が心地よい。

海と山を抱えるこの街には濃い時間が流れている。
それは五感に溶け込むようなやわらかな密度で
街全体をくるんでいるようだ。

都会に毎日通勤しているりょうちんは、この駅に着くと
「ホッと、じゃなくほおーっとする」らしい。

ほおーっと息をついて深呼吸したくなる気持ちには至極同感。

濃密な時間には酸素もたっぷり含まれているのだろうか。

駅前には商店街もスーパーもなく、喧騒とは無縁の街。
ベランダではときおり、遠くで鳴る電車の音が風に乗って聞こえてくる。

ここには大きな音はそれくらいしかないんやな、と思えばつど、どことなく安心するのだった。

梅雨を目前に控えたこの季節。
青い風が夕方をうすい紫色に染めていく。

プランターのスカビオサがゆらりとなびいて
わたしは八年前、ここへ来た日の朝を思い出した。

いつものように朝は神棚の前に立つ父と母。
その後ろでわたしもふたりの背中を見ながら、何十年も繰り返された祈りを共に捧げる。

世界が平和でありますように。
我が家の宿命を克服できますように。

そして食卓には、祖母から受け継いだ甘い寿司ご飯。
それにブイヤベースとお好み焼き、ピーマンの肉詰め。

出立のはなむけに、と朝からわたしの好物ばかりが並べられ、
おかげでちょっとおかしなラインナップとなったそれらを
わたしはお腹がはちきれるまで
これでもかと勢いつけてかきこんだのだった。

いつのまにか七十近くになった母が、
向かいで眼鏡の奥の細い目尻に涙を滲ますのを
見ないように見ないように、と箸も置かずに必死で食べた。

雨曇りの外と変わらぬ明るさの室内だった。

水槽のモーターがぴじぴじと水面を動かす音がやけに耳に障って、それも打ち消したくてわざと音を立てて咀嚼した。

「一人でおいで」

そうりょうちんに言われて、あの日わたしは一人でこの街へ来た。
体力的にも精神的にも覚束なかったけれど、一人で、来た。

風が青い、と三角屋根の駅舎を出た瞬間思った。

海の匂いが混じっているからか。
梅雨が近いせいか。

はたまた、わたしの気持ちがセンチメンタルに寄っているからやろか。

待ってくれていたりょうちんと歩きながらそんな話をすると

「あ~分かるなぁ」

と真面目に相槌を打たれてすこし拍子抜けする。
そこは「センチメンタルて、幾つやねん」と違う?

「乙女ちゃうし、はずかし」

つぶやくと、

「あ。いいなあ、トットの関西弁」

と、今度は褒められてしまう。

「そんなん言われたら調子狂っちゃうわ」
「いいのよー、トットの関西弁て」
「えー、そんなん、みんな一緒やろ」
「違うんだよねぇ。トットのはねぇ、耳心地がいいのよ。言葉が空気を含んでるっていうか…波の音みたいでわたしはすごくすき」

りょうちんと暮らすことを決めてからの約半年。
週末ごとに大阪まで来てくれたり、電話をくれたりしてわたし達は色んな話をした。

その中ではっきりと分かったのは、りょうちんの率直さは、優しさだけでできているということ。

そしてそれには裏も表もなく、言葉通りに受け止めて良いということ。

ああ、と。

ああ、やっと、わたしは一人の大人として外の世界で安心して暮らせる、と心から思えた。
そして八年経た今も変わらずそう思っている。

今、ベランダで黄昏ながら
あの日くるまれた青い風とおんなじやなぁ、とぼんやり思う。

たけのこの灰汁抜きにクラス会のはがき。
どちらも考え始めることさえ億劫だ。

明後日、りょうちんが帰ったら一緒に考えよ。

となったら、さて。

わたしはわたしのできることを、やりますか。

部屋へ戻り、テーブルの諸々を横目に、
卵・薄力粉・きび砂糖・米油を並べる。

黄昏ていたらアールグレイの気分になったので
鍋に牛乳を入れ、茶葉を煮出す。

まずは卵黄生地をとろりと混ぜ合わせ、
次に卵白を角がお辞儀するくらいまでのメレンゲに泡立てる。

二つの生地を数回に分けて合わせると

しゃっぽしゃっか、しゃっくしゃか、しゃかしゃか

ボウルを鳴らすホイッパーがたっぷりとした音を立てた。

そうしてシフォン型に流してオーブンに入れた生地は、こんもりとした山を幾つも作って見事に焼きあがった。

黄金色の金柑酒の瓶に差し入れて逆さにすると、なんとも良い景色となる。

「トット、ようこそ我が家へ」

あの日、りょうちんが出してくれたたけのこご飯とワカメの味噌汁。
かきこんだ朝食がまだ胃に残るわたしにちょうどよく、たけのこのしゃくしゃくとした歯触りを感じながら咀嚼し、時間をかけてゆっくりと食べ終えた。

ごはんというのは噛むほどにこんなにも味が濃くなるのだなあ、と初めて気づいた夜だった。

明後日、たぶんりょうちんはクタクタのよれよれになって帰ってくる。

「きーてよ、トットー」と言いながらソファに身を投げ出して電池が切れたように動かなくなるかもしれない。

わたしは「お風呂には入りー」などと追いかけながらお尻を叩き、あの手この手を尽くし、それでもりょうちんが動かなければ

ここぞとばかりに生クリームをたっぷり泡立てて、シフォンに添えて出してあげようと思っている。







©2026 ハレヒニワ

" あらゆる言葉が
香りや音楽のような振る舞いで絡み合い、
照らし合う世界に手を伸ばす。
私たちは、本を開く。"

ハレヒニワのプロフィールより



出品
ポットラックアートブックフェア2026
7/25−9/5


『蕩ける』

文 葉々コハル
発行 ハレヒニワ
ブックデザイン 松本久木(松木工房)
印刷・製本 サンエムカラー株式会社
トムソン加工 大成二葉産業株式会社





《御礼》

『掬うように暮らす#1』を
マガジンに追加頂き
ありがとうございました☺️

とてもうれしいです






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