強制終了のあと、7ヶ月の孤独の中でわたしに起きたこと ①
2025年6月11日
わたしのカラダは強制終了した。
最愛の人を施術している最中、
流れ込んできたエネルギーによって
涙が止まらなくなった。
ひとしきり涙が流れたあと、
ガクッとカラダが落ちて
施術が出来なくなった。
完全なる
生命エネルギーの電池切れ。
井戸の水が
一滴すら残っていないような状態だった。
23年セラピストをしていて
初めての出来事だった。
わたしのセラピストとしての取り柄は
♾️いつまででも施術ができること。
枯れることのないエネルギーで
必要な人に必要な分だけ
与え続けることができることだった。
それがこの日、
完全に閉じた。
この瞬間、
23年続いたセラピスト人生の幕も
同時に降ろされた。
本当にそう感じた。
虚無感。
絶望感。
わたしが
わたしでいられなくなった。
何もなくなった。
ただ
カラダの中に
鉛のような重さだけが残り
全身が痛かった。
存在否定
自己憐憫
まるで
世の中の闇をすべて
抱え込んだような感覚だった。
そしてわたしは
この痛みの意味を知ることになる。
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そこから
わたしは度々
嵐のような体感を経験することになった。
彼がこれまで経験してきた
・死の体感
・自死願望
・無価値感
・劣等感
・存在否定
・敗北感
・孤独感
・罪悪感
ありとあらゆるネガティブな感情が
体感とカラダの痛みを伴って
腹の底に沈殿していた泥のようなものが
嵐のように巻き上がってきた。
🌀
この嵐を何度か繰り返すうちに
ひとつわかってきたことがあった。
それは
この嵐は
一晩かけて通過する
ということだった。
満月のとき
新月のとき
月の満ち欠けと
連動することも多かった。
カラダと感情
記憶と体感
そして自然の摂理。
そのつながりの深さを
わたしは自分のカラダで
体験していた。
わたしは
地球や宇宙を
このカラダで体験している。
そして
人間として生きるということの
仕組みを
体験している。
⸻
わたしはずっと
彼の経験していることを
理解したいと思っていた。
もし
わたしが身代わりになることで
彼が楽になるのなら
そうしてほしいと
本気で思っていた。
わたしが死ぬことで
彼が生き返るような気さえ
していた。
ある意味では
究極の愛を経験したいという
願望の実現だったのかもしれない。
しかし同時に
わたしの内側に沈んでいた
泥のように固まったエネルギーを
解放するプロセスでもあった。
彼との出逢いによって
狂おしいほどの愛が
内側から引き出された。
その愛が
沈殿していたものを
表に押し上げたのだと思う。
いずれにしても
これは
カラダの中に蓄積していたものの
表出と解放だった。
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この7ヶ月の間
この嵐が
いつ起こるのかは
予想できなかった。
台風が来たとき
人は雨戸を閉めて
外に出ない。
嵐が過ぎ去るのを
待つ。
わたしは
それと同じことを
自分の心身にしていた。
嵐が過ぎるまで
布団の上で
寝ているしかなかった。
トイレに行く
白湯を飲む
また横になる
そして
カラダを感じる。
ほとんどの場合
丸一日で嵐は過ぎた。
ただ
次の日にも
余波が残ることがあり
そのまま
深い眠りに落ちることもあった。
⸻
今日は
この体験を通して
常に共にあった
「孤独感」
について書いてみたい。
孤独感と言っても
その中には
いくつものレイヤーがあり
その質は
時間とともに
微細に変化していった。
このプロセスを体験したからこそ
わたしは
「寝たきりばーさん悟りプログラム」
を創りたいと思った。
寝たきりになること
深い孤独感を通過すること。
それは
絶望ではなく
もしかしたら
新しい生命への入口かもしれない。
同じような体験をしている人にとって
この記録が
小さな希望の光になることを
願っている。
この体験の中で、常に共にあった「孤独感」
その孤独のいくつかのレイヤーの
違いを知ることは
この深い闇を通過していく上で
変容のプロセスに希望をもてることに
繋がるはず…
次の記事では、
その孤独の変容について書いてみたいと思う。
