人を変えようとしなくていい
私たちは、人間関係に悩んだとき、
「あの人さえ変わってくれたら」
「もう少し、私のことを分かってくれたら」
「周りが変われば、もっと楽に生きられるのに」
そんなふうに思うことがあります。
けれども、人の心というものは、
なかなか思い通りにはなりません。
相手を変えようとすればするほど、
こちらが苦しくなってしまうことさえあります。
では、どうすればよいのでしょう。
仏教は、こんなとき、
まず自分の心を見つめることを教えてくれます。
仏教には、
「縁起」
という教えがあります。
この世のすべてのものは、
たった一つの原因で成り立っているのではありません。
さまざまな原因と条件、
さまざまな「ご縁」が重なり合って、
今、この瞬間があります。
それは、人間関係も同じです。
こちらの言葉が変われば、
相手の受け取り方が変わることがあります。
こちらの態度が変われば、
二人の間に流れる空気が変わることがあります。
そして、自分の心が穏やかになれば、
昨日まで許せなかったことが、
今日は少しだけ、
違って見えることもあります。
相手を変えたのではありません。
自分が変わったことで、
相手との「関わり方」が変わったのです。
たとえば、雨が降っているとしましょう。
ある人は、
「嫌な雨だな」
と思います。
けれども、別の人は、
「草木には恵みの雨だな」
と思うかもしれません。
降っている雨は同じです。
けれども、
それを受け取る心によって、
見えている世界は違います。
人間関係も、
それに似ています。
「あの人は嫌な人だ」
そう思っていると、
相手の嫌なところばかりが目につきます。
けれども、
自分の心に少し余裕が生まれると、
「あの人にも、
何か事情があるのかもしれない」
と思えることがあります。
すると、それまで見えなかった
相手の一面が見えてくることがあります。
ただし、
これは、
「何をされても我慢しなさい」
という意味ではありません。
傷つけられる関係なら、
離れてもいいのです。
自分を守ることも、
大切な智慧です。
ただ、
相手を憎み続けながら離れるのか。
それとも、
「この人には、この人の人生がある。
私は、私の人生を歩いていこう」
そう心の中で手を合わせて、
静かに離れるのか。
そこには、大きな違いがあります。
仏教では、
私たちの思いや言葉、行いを、
「業(ごう)」
と考えます。
今日、何を思うのか。
どんな言葉を語るのか。
人にどう接するのか。
その一つひとつが、
次のご縁につながっていきます。
だから、
人生を変えたいと思ったとき、
いきなり世界全部を
変えようとしなくてもいいのです。
まず、
自分の心をひとつ、
整えてみる。
怒りではなく、
慈しみを選んでみる。
恨みではなく、
理解を選んでみる。
どうしても変えられないものは、
少しずつ手放してみる。
すると、
昨日と同じ場所にいても、
昨日と同じ人に会っても、
見えている景色が
少し違ってくることがあります。
世界が突然、
別の世界になったわけではありません。
世界を見ている、
自分の心が変わったのです。
お釈迦さまの教えは、
世界を自分の思い通りにするための
教えではありません。
思い通りにならない世界の中で、
どうすれば心を苦しみから解放し、
穏やかに生きていけるのか。
その道を教えてくださったのだと思います。
人を変えようとしなくていい。
世界を無理に変えようとしなくていい。
まず、
今日の自分の心に、
小さな慈しみの種を
ひとつ蒔いてみてください。
「ありがとう」
でもいい。
「ごめんなさい」
でもいい。
あるいは、
誰かを許せない自分に、
「今は、まだ許せなくてもいい」
そう言ってあげるだけでもいいのです。
小さな心の変化が、
新しいご縁を生んでいきます。
離れていく縁もあるでしょう。
新しく結ばれる縁もあるでしょう。
それもまた、
無常であり、
縁起の世界です。
今夜は、
世界を変えようとする手を、
少し休めてみませんか。
そして、
自分の心を静かに見つめてみる。
人を変えなくてもいい。
世界を変えなくてもいい。
自分の心が少し変われば、
見える世界も、少しずつ変わっていく。
今夜も、
どうぞ穏やかにお休みください。
合掌。
