【閲覧注意】私が「ギバー」を心の底から軽蔑する理由
おこころ模様はいかがですか?
「優しそうですね」 「弱そう」 「大人しそうで、放っておけない」
私はこれまでの人生で、何度もそう言われてきた。
一見すると、どこにでもいる「弱くて守られるべき存在」に見えるらしい。テイカーからは「搾取しやすそうなターゲット」に見え、ギバーからは「助けてあげるべき迷える子羊」に見える。
だからこそ、私は誰よりも知っている。
「優しさ」というパッケージに包まれた、独りよがりな傲慢さを。
世の中は今、「ギバー(与える人)になれ」という言葉で溢れ、それが正義だと信じ込まされている。だが、私はあえて言いたい。
私はテイカーを人間として認めないが、実はギバーのことも大嫌いだ。
もしあなたが「人に尽くすのが好き」「困っている人を助けたい」と自負しているなら、今すぐこの画面を閉じてほしい。
これから書くことは、あなたの「善意」という名のメッキを剥ぎ落とし、その奥にある醜い自己満足を暴く劇薬になるからだ。
かつて「弱者」の側に置かれ、多くの善意に晒されてきた私だからこそ、断言できる。
あなたのその「ギブ」は、毒でしかない。
◆「私のテイク」を他人に横流しする無節操
ギバーは、一見すると献身的だ。
しかしその実態は、人間関係の「不法投棄」に近い。
私がその人に渡した時間、エネルギー、信頼。
それらは、私と相手という「一対一」の間に流れる特別なものであるはずだ。しかしギバーは、それを平気で「誰か別の困っている人」にパスする。
私というリソースを、勝手に自分の「徳積み」の材料に使うな。 私の好意を、見ず知らずの他人のための踏み台にするな。 それは優しさではない。ただの「無節操」であり、私という個人の存在に対する冒涜だ。
◆「迷える子羊ちゃん」という名の傲慢
さらに救えないのが、彼らが好んで使う「迷える子羊ちゃん」という蔑称だ。
誰かを「子羊」と呼んだ瞬間、彼らは自分を「導く者」という神の椅子に座らせている。相手を自分より一段低い場所に固定し、依存させ、救済してやることで、自分の矮小な承認欲求を満たしているに過ぎない。
本当に健全な場所というのは、血の滲むような思いで自ら探し当て、勇気を振り絞って足を踏み入れるものだ。
それを「かわいそうだから」「昔の自分を見てるみたい」と安易に連れてくる連中は、空気も読めなければ、その人が成長するために必要な「痛み」さえ奪っていることに気づいていない。
彼らは、善意の顔をした「成長の妨害者」だ。
◆ 勇気のコストを支払わない人々
健全な場所、あるいは「本物のコミュニティ」には、独特の静謐な緊張感がある。 そこに集う人々は、誰に強制されるでもなく、自分の足で荒野を歩き、リスクを負い、暗闇の中で「ここだ」という光を見つけ出した者たちだ。
彼らはその場所に辿り着くまでに、相応の「勇気のコスト」を支払っている。 だからこそ、その場のルールを尊重し、空気感を壊さないよう、互いに節度を持って接することができる。
そこに、ギバーが「迷える子羊ちゃん」を連れてくる。
「この場所、すごく良いからあなたも来なよ。私が紹介してあげるから」
……余計なことをするな、と思う。
自分の足で探す労力も、扉を叩く勇気も、拒絶される恐怖も味わっていない人間が、ひょいと「善意の特急券」で現れる。
その瞬間に、その場の純度は〇ぬ。
◆ 善意という名の「不法侵入」
連れてこられた「子羊」は、自分が支払うべきコストをギバーに肩代わりしてもらっている。 そのため、彼らにはその場所に対する敬意も覚悟もない。
「誰かがなんとかしてくれる」という甘え。
「教えてもらって当然」という搾取マインド。
場の空気を読み解こうとしない、鈍感な依存。
ギバーは、そんな「ノイズ」を平気で聖域に持ち込んでくる。 彼らは言うだろう。「みんなで幸せになればいいじゃない」と。 笑わせないでほしい。 その「みんな」の中に、必死に自立しようとしている者のプライドや、場を守ろうとする者の努力は含まれているのか?
結局、ギバーは「助けている自分」が好きなだけで、その場がどうなろうと、連れてこられた人間が一生自立できなくなろうと、知ったことではないのだ。
◆結論:私が愛するのは「冷たくて美しい自立」だ
私が求めているのは、手を取り合って傷を舐め合うような、ぬるま湯の救済ではない。 お互いに背筋を伸ばし、一定の距離を保ち、自分の足で立っていることを確認し合える、そんな「冷たくて美しい均衡」だ。
奪うだけのテイカー。
奪う隙を与えることで支配するギバー。
そして、自分の足で歩こうとしない子羊。
そのどれもが、私にとっては「不誠実」の塊にしか見えない。 もしあなたが本当に誰かを尊重したいのなら、安易に手を差し伸べるのをやめるべきだ。その人が自分の足で、自分の居場所を見つけるための「孤独」を奪ってはいけない。
「健全な場」は、招待されて行く場所ではない。
自らの意志で、血を流しながら辿り着く場所なのだから。
これが冷たいと思うなら、あなたはまだ誰かに依存している。
そして、もしこの言葉に震えるような共感を覚えたなら……。
おめでとう。あなたはもう、自分の足で歩き始めている。
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ここまで読んで下さりありがとうございます。
言葉が、静かに届いていたら嬉しいです🍃