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春の食卓は、緑── 春野菜の“ほろ苦さ”が連れてくる、静かな目覚め

光がやわらぐ朝に

窓辺の光が、ほんの少しだけやわらかくなってきた。
空気の冷たさはまだ残っているのに、
冬の終わりは、もう近い。

台所の片隅に置いた豆苗は、
毎日、驚くほどの速さで葉をのばしていく。
その淡い緑に光が透けるだけで、
季節がひとつ先へ進んだように見える。

春は“にぎやか”というより、“目覚め”の季節。
冬と春のあいだを、そっと行き来するような朝。
窓の外をわずかに揺らす風まで、どこか新しい。

── わたしの春は、どうやら緑から始まるらしい。


ほろ苦さが、わたしの中の季節を動かす

春になると、決まって山菜の天ぷらを食べに出かける。
家では揚げものをしない。
揚げたては、外でいただくのがいちばん美味しい、と都合よく思っている。
本当は、後片付けのことを考えると、どうしても気が乗らないから。

うど、ふきのとう、タラの芽。
山の奥からひょいと顔を出したような、
可笑しくて、どこか愛おしい形。

子どもの頃は、ちっとも美味しいと思わなかった。
「どうして大人はわざわざこんなものを?」と不思議だった。

いつからだろう。
その“わざわざ”が、春を心待ちにする理由へと変わったのは。

かじった瞬間に広がるほろ苦さ。
鼻先にのぼる、土の香りをふくんだ春の匂い。
そのすべてが、季節が動き始めたことを知らせてくれる。

春野菜の苦味は、身体を目覚めさせる──
そう話していた店主の言葉が、
今なら、なんとなくわかる気がする。

ほろ苦さを嫌わず、
むしろ楽しめるようになった自分。
こういうのを、“おとなの春”って言うのかもしれない。

春の緑は、一瞬を逃さない

いつもの食卓にひとつだけ緑を添える。

菜の花、アスパラ、春キャベツ。
旬の野菜は、茹でたり、さっと焼いたり。
手をかけなくても、それだけでちゃんと春の味になる。

そして、ときどき小さな花も。
パンジーやスイートピーを、
庭からそっと摘んできたように、小さな花瓶に一輪だけ置く。

春の緑は、探しにいくものというより、
暮らしの中で、いつの間にか増えていく色なのかもしれない。

静かに始まる春へ

ふきのとうの苦みを味わいながら、
わたしの中の“冬”が静かに終わっていくのを感じる。

やわらかくなった光。
食卓に増えていく緑。
いつの間にか好きになった、ほろ苦さ。

そんな小さな変化を、取りこぼしたくない。。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
少しでも響くものがあれば、“スキ”で教えていただけるとうれしいです。

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