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電車の哲学 #002 お見合い席

夕刻、JR東海道本線普通大垣行きに乗車した。
車内は混雑していた。乗客は互いに肩をぶつけ合い、吊り革に掴まる腕が幾重にも重なっていた。

小生は数分間立ち尽くしたのち、運良く空席を見つけた。
向かい合う形で設置された座席であった。
いわゆる「お見合い席」である。

小生は躊躇なく腰を下ろした。
立ち続ける苦痛に比べれば、向かい合うことの気まずさなど些細な問題に思えた。
しかし、着席した瞬間、小生は自らの判断を悔いた。

向かいの席には既に年齢不詳の男性が座っていた。
彼は無表情で、前方を見据えていた。
視線の先には小生がいた。

小生は彼の視線を避けるため、ポケットからスマートフォンを取り出した。
バッテリーが切れていた。
切れていたが、画面を見つめるふりをした。
画面は黒く、何も映っていなかった。
小生はそれを見つめ続けた。演技である。

車両は尾張一宮駅に向かっていた。
膝がぶつかった。小生の膝と、向かいの男性の膝が接触した。
小生は自分の膝に対して内心で叱責した。「出過ぎだ」と。
膝は何も答えなかった。

小生は膝を引っ込めた。引っ込めすぎて、腰に負担がかかった。
腰が痛んだ。小生は痛みに耐えながら、姿勢を保った。

向かいの男性が咳をした。小生は即座に呼吸を止めた。
咳は一度だけだったが、小生の精神に与えた影響は大きかった。
小生は自分の存在を否定した。「小生はここにいない」と心の中で唱えた。
しかし、小生はそこにいた。存在していた。見られていた。演技を続けた。

車両は木曽川駅を通過した。
車窓から差し込む夕陽が、車内の金属部分に反射していた。
立っている乗客の背中越しに、光が揺れていた。

小生は立ち上がることを考えたが、立てば敗北であるという思いが頭をよぎった。
座っていても敗北である。勝利は存在しない。
勝利のない戦いに、人間はなぜ挑むのか。
小生はその問いに答えを見出せなかった。

Tomorrow never knows

それでも小生は座り続けた。混雑の中、奇跡的に空いていたからである。
空いていたから座った。座って後悔した。後悔しても、立てない。
立ったら負け。座っても負け。
人間とは、勝ちのない座席に座る生き物である。
お見合い席は、その象徴である。

列車は岐阜駅に到着した。
小生は立ち上がり、向かいの男性に一度も視線を合わせることなく、静かに車両を後にした。

ホームには夕暮れの光が残っていた。
小生は人波に紛れながら、駅の階段を下りた。

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