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集まり散じて 人は変れど 仰ぐは同じき 理想の光

昨日、大学院時代の後輩夫婦が家族連れで北海道に遊びに来ました。
約10年ぶりの再会です。

後輩夫婦は僕が修士1年のときの学部4年生で、同じゼミ仲間。
ゼミの同期同士で結婚したので、夫婦そろってよく知る仲です。特に彼女は大学院にも進んできたので、3年間同じ研究室で過ごしました。もはや後輩というより、友人のような関係です。

お互い親になり、久しぶりに会ってもすぐ昔に戻れました。

せっかくの再会だったので、自宅でバーベキューをすることに。市役所の新人職員も誘っていて、新人さんも僕らと同じ母校で同じ学部の出身。ちょっとした同窓会のような雰囲気でした。

お互いの家族と新人さんを含めると10名ほど。未就学児、10代、20代、30代とあまり経験したことがないバーベキューだったので、準備も気合が入りました。子どもたちは走り回り、大人たちは炭火を囲んで、あれこれ語る。こんなににぎやかな時間、久しぶりでした。

当時は夜な夜な飲みながら、「教育」とか「幸せとは何か」とか。あの頃はとにかく語ってました。研究そっちのけで。今思えば、けっこう真面目で青臭い話ばかりしてたなと思いますが、それがまた楽しかったです。

その頃、僕のバイブルは『自助論』でした(いまでもたまに読んでます)。

「天は自ら助くる者を助く」。自分の努力こそが人生を変える力だと思っていました。「制度が悪い」「社会が悪い」と言いたくなることもあるけれど、それを超えていくのは、自分の思考と行動しかない。今でも、そう思っている部分はあります。

でも、そんな僕に彼女は言ったんです。
「manimani先輩の言うこと、わかります。でも、生まれながらにして、そもそも努力できる環境じゃない人もいるんですよ」と。

10年以上も前の話なのに、僕は鮮明に覚えていました。当時はお互いに若かったのでムキになって言い合っていたことをすごく覚えています。

でも彼女は…「えー、そんなこと話してましたっけ?(笑)」と。

まあ、そんなものですよね。

でも、教員として働く彼女のまなざしは、当時と何も変わっていなかったです。生徒と熱く向き合う話を聞いて、なんだか安心しました。ふと、母校の校歌の3番を思い出しました。

集まり散じて 人は変われど
仰ぐは同じき 理想の光

校歌って、どこか気恥ずかしさもありますが、この一節は今でも心に残っています。仲間と集まり、別れ、それぞれの道を歩んで、立場も考え方も変わっていく。でも、学び舎で得たもの、共有した想いは、変わらず灯っているんじゃないか。そんな気がするんです。

若い頃は「自助」こそすべて、と思っていました。でも今は「共助」のありがたみを感じることも増えました。町内会やPTA、ラグビースクールの活動。職場でのチームの支え。自分の力だけでは乗り越えられないことって、案外多いです。

そして、自分が「公助」を担う立場になって、支える側の難しさも知りました。自治体職員として、人の暮らしに関わるということの責任と限界。

炭火を囲んで語り合った時間に、そんなことを思い出しました。

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