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ファスト教養はポテチ論

ドパガキを恥じらう僕たち

SNSが普及した昨今、内部のアナリティクスに導かれて、僕らは立派なドパガキになった。

いい歳の大人がショート動画で休憩時間を潰し、チャットGPTの軽薄な答えを受容し、インスタのリール動画を見続ける少年少女に見下されるようになって久しい。
老若男女問わず、SNSの旨み成分、快楽物質に脳を浸されつつある。
(とはいえこれは、映画が誕生した時にも、TVが登場した時にも登場した、よくあるやっかみの1つに過ぎない、とも言えるかも知れないが)

ただ、僕たち人間は、心の底からこの生活には納得していない……はずだ。多分。

まるで、人間には食欲が搭載されているのに、それに従ってブクブク超え太るのを良しとしないように。
無限に供与される刺激に、ドーパミンを与えられる生き方には恥ずかしさを覚えているはずだ。

特に、この記事を読んでくれている人は、活字の集合体を許容できるほど、ドパガキ成分への耐久値がある、そんな人だろう。
そんな人が、ドパガキな自分の成分を100%許せる、なんてはずはない。

そう、僕らは高度な刺激に満ちた世界で、ドーパミン中毒を蔑んでいる。
快楽に舌の肥えたくせに、自分はドパガキでありたくない。ましてや、自分はドパガキではない、だなんて思っている。

言い換えると、快楽よりも尊厳や知性を選んでいたい欲求が、僕らの中にある。
そして、これは過ぎるとドパガキ以上に鼻につく。
(そう、ファッションインテリだ。つまり僕だ。)

この記事はファッションインテリを刺す……なんなら刺し殺すもの。
実は自分は賢しいのだ、みたいな顔でこの記事を読み始めたひとも、ぜひ自戒の念を込めて読んでほしい。
一緒に憂鬱な気分になろう。


著者

こんにちは。のるすです。
趣味は人間観察。喋りが上手。トークで伝えきれないのアイデアを書いています。
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知識味のシンガー

シンガー……いや、アイドル、ロッカー、別に歌手じゃなくても、運動選手、画家、インフルエンサー……なんでもいい。
何か一芸で衆目を集めた人たちが通る、滑稽な道がある。
それは知識人への迎合だ。

急に時計の歴史を追ってみたり、反戦を歌ってみたり。
あるいは、SNSで身の丈以上に真っ当な人間であろうと演出を盛ってみたり。
カッコついてるかのような演出だけど、どこか触れづらいキャラ作りをしてしまうアーティストたち。
その原因にあるのが、知識人への迎合だ。

一芸によって名を馳せるフェーズを終わらせるために、人気者たる資格がある人間として、モノがわかってる知識人として売り出したいって打算もあるのだろう。
けど、そこには今の自分より、「わかってる」自分がかっこいいっていうのがあるだろう。

「いや、背伸びし過ぎじゃね?」
と見える彼らは、(はたから見ると滑稽なほど)知識味の味付けをすることで、成長した気になろっている。

そんな彼らを、画面の向こうで、少し笑ってみている僕ら。
(もしかしたら、そうする僕の性格が終わっているだけかも知れないが、読者も同じ程度には十分性格が悪いことを信じてみる)

けど、僕たちは、彼らと同じ知識味を求める欲求がある。

例えば「地頭がいい」と言う言葉がある。
僕が無能を晒した時に、免罪符として掲げているもの。多くのテストの点が悪かった少年少女がが、心の救命胴衣として纏っているものだ。

この言葉を囀ったことのある人間は、多いだろう。
努力をした人間に、負けてからアドを取れる(優位性を保てる)優秀な言い訳だからだ。

この一言は、努力の足りなかった自分に、知識味を添加してくれる。この一言に、努力の歩みを止めた人間も多いだろう。

知識味とは、理性を溶かす、魔性の旨みなのだ。

インスタント知識味

では、なぜ知識味は美味しいのだろうか。
思うに、その理屈はアミノ酸のおいしさに通じる。

アミノ酸はなぜ美味しいのか。それはタンパク質が体に重要な栄養素だからだ。
(食欲はタンパク質を摂取する欲求という話もあるほど)
アミノ酸はタンパク質を分解することでできる成分なので、動物の自然な食生活では、味わうアミノ酸が多いほど、摂取できてるタンパク質が多いと言うことになる。
そう、アミノ酸はタンパク質の味なのだ。

同じように本来、知識味は、知識の味なのだ。
知識を得ているほど、知識の味も強く感じることになる。学びと研鑽を積んだものほど、知識味を感じるというわけだ。

しかし現代、知識味版コンソメみたいなものが世に氾濫した。
そう、ファスト教養だ。論理の本筋だけは楽しめるが、その裡に込められた本当の量の知識、学びはない。

摂れば摂るほど、学んだという自我は肥大し、本質を損なう。
それはアミノ酸の結晶たるコンソメが振り掛けられたポテチと一緒だ。
栄養はなく、欲望を満たす知識味のカロリー(知識人としての自我)だけが体に堆積していく。
そして、みんな、身体に悪いなんてわかっているのに、それでも指は止まらず摂取してしまうわけだ。

知識味と貧困

話をまとめると

  • ファスト教養は知識味

  • 構造はジャンクフードに似る

ところで、貧困国で問題になっているジャンクフードの話はご存知だろうか。フードデザート(食の砂漠)というものだ。
今の発展途上国では、飢え細る人は減少しつつある。一方でジャンクフード、加工食品は安く輸入されるが、健康的な生鮮食品は届かない。
結果、今では貧困なほど地域や国ほど、ジャンクな食生活で太っていく。栄養への教育や、刺激的なジャンクフードの味付けへの耐性のなさも影響して、貧しいほどジャンクフードにのめり込んでいく構造が出来上がっている。

ファスト教養はどうだろうか。
人は多くの選択肢から、好きでファスト教養を視聴している。
そして、そういう動画は大抵「興味を持ったら学んでみてね」と言い訳を掲げているが、実際、ファスト教養をみた人は、次に勉強するよりも、また同じような動画を見る場合が多いだろう。(僕を含めて)

ファッションインテリはこうして出来上がって、ファスト教養を摂取する限り量産され続けている。
ファッションインテリは、真のインテリになれず、ハリボテの知識をその身に積んでいくわけだ。

これが、個人の問題であれば騒ぐことでもない。
だが、ご存じのとおりファスト教養のコンテンツは、アナリティクスに導かれて視聴者に届けられる。
SNSには知った気になっているだけの人が無限に蔓延って、延々深まらない論争を繰り広げていく。

楽しいが、生産性は限りなくゼロ。招くのは知識の貧困化だ。

対策方法は、ない。
貧困国がジャンクフードに出会ってしまったように、僕らの端末がファスト教養を映し出したら最後、僕たちの娯楽に入り込んだらもうおしまい。
僕たちは、本当の教養なんか手につかなくて、美味しいとこだけ中質したファスト教養の海に溺れるしかない。

僕らは知識の貧困層なのだ。

僕ら、には救いがなくても

僕たちという集団は、およそアナリティクスに促される通りの行動をする。ドパガキはドパガキだし、ファッションインテリなファッションインテリだ。
だけど、己一人だけなら無理とも限らない。

集合知による予想を外すには、自分の属する集団から外れるしかない。
ただデジタルデトックスすればいいんじゃない?と言うアイデアもあるが、それでは幸福度は下がる。シンプルな禁欲的生活なんて、どうして常人が成せるだろうか。

そこで、僕は今回、太古のベジタリアンの生き方をおすすめしたい。

古代ローマの時代、貴族の高級な趣味の一つにベジタリアン、菜食主義があった。(らしい。ファスト教養で聞いた)
野菜だけで生きていけるような丁寧な暮らしは、当時では高くつく趣味だっただろうから、相当お高い趣味だったのだろう。
今でも鼻につくが、当時でもかなり鼻につく貴族趣味だったことだろう。

そう、貴族趣味だ。
菜食主義者があえて肉を食べないように、あえて知識を持っていないことに誇りを持とう。
ファスト教養をみない、と言うことではない。夜にポテチを食べるのは恥ずかしいことのように、ネットで知識を持つのは恥ずかしいこととして捉えよう。

ベジタリアンが食事こだわりを持っているのが自明なように、ファスト教養断ちをすることは、逆に知識への深いこだわりを醸成することになるだろう。

もちろん、肉を絶って脂質とタンパクが足りないガリガリなヴィーガンが存在するように、ファスト教養をみてた時より愚かな人ができる可能性もある。
おおよその人間は知識を深めた方がいい。


だが、知識味の添加物を避ける生き方は絶対に身体にいい。
ファスト教養は見るポテチだ。
見るのは程々に、ベジテリアン的誇りを抱きながら、自分の見識を謙虚に評価していこう。


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