映画「それでも私は Though I'm His Daughter」を観て、元オウム信者のわたしは、30年目にしてやっと救われた思いがした。松本麗華さん、生きていてくれて、本当にありがとう。
42歳のあっちゃん
松本麗華さんのドキュメンタリー映画が公開されるという。全国各地で公開予定とはいえ、そんなに多くの映画館で上映されるわけでもないだろうし、わたしは観るか観ないか、観るならいつどこで・・・と決めかねていた。
公開に合わせて映画を紹介するネット番組がいくつかあったので、ABEMAの「麻原彰晃の三女に生まれて」を観た。
あっちゃん、ものすごく緊張しているなぁ・・・
松本麗華さん――麻原教祖の三女「アーチャリー正大師」のことを、わたしは「あっちゃん」と呼んでいる。彼女がまだ12歳のとき、富士の教団施設に住めなくなって、10人ほどの出家者がグループになり、いわき市で一緒に住んでいた。当時は、外出先でホーリーネーム(宗教名)で呼び合うわけにもいかず、ニックネームを使うようになったのだ。「尊師」のことも「お父様」「社長」などと言いかえて話していた。
あれから30年が経って、42歳になったあっちゃんがいた。
あっちゃんは、番組のMCや、ゲスト、コメンテーターら6人の男女に囲まれていた。映画を観た人も観ていない人もいるようだったが、いろいろと質問する彼らが一番知りたいことは、要するに「あなたは父親・麻原彰晃のことをどう思っているのか」なんだろう。
日本で最も悪名高いカルト教団オウム真理教の教祖の娘ゆえに、ひどい差別をされる人生を送ってきたことはよくわかった。だが、あの父親のことを今どう思っているのか、もし、まだ信じているのなら・・・。
番組を観ていると、それがひしひしと伝わってくる。
父親のことを語る
あっちゃんは質問に対して、言葉ひとつひとつ心をふり絞るように、静かに語っていた。そして、はっきりさせなきゃいけないと思ったのか、番組MCが単刀直入に質問した。
「いろいろ大変だったでしょうが、今、お父さんのことをどう思っているんですか」
少しの沈黙のあとに、あっちゃんは言った。
「やっと父と面会してみると、父はこわれちゃっていて・・・」
「壊れちゃっていた?」
「ええ、あの大きくてあたたかい存在だった父は、もういなくて、赤ちゃんみたいになっちゃって・・・逆に、わたしが守ってあげないといけない存在なんだな・・・と」
あっちゃんは、父親を「守ってあげないといけない存在」と言った。これを聞いて、わたしは映画を観に行くことにした。
おじさんキラー
映画を観終わって、最初の感想は、
「あっちゃん、おじさんキラーなんだね~」
この映画の冒頭で対話する「半田保険金殺人事件」の被害者遺族である原田正治氏、中盤にちらっと登場する月刊『創』の篠田博之氏、ネット番組で松本麗華さんと話すときの森達也氏、そしてもちろんこの映画を撮った長塚洋監督など、あっちゃんを見るおじさんたちのまなざしが、やけに優しい。
「そりゃそうなるよね・・・」と思った。父親のせいで、こんなにも過酷な人生を歩んでいる娘、父を恨んでも憎んでもおかしくないのに、壊れてしまった父親を見て、母も弟子たちもだれも守ろうとしないなら、「わたしが守ってあげないといけない」と、日本中から石のつぶてを投げられるとわかっていて実名と顔をさらしているのだ。世のおじさんたちの心にしみないわけがない。
脱会者の苦難
さて、ここからは「あっちゃん」ではなく、松本麗華さんと呼ぶことにしよう――松本麗華さんは、完成した自分のドキュメンタリー映画をはじめて観せられたとき「普通の自分が映っているだけで、おもしろくなかった」と言ったそうだ。彼女が言う普通とは、出自がわかると小学校でも、中学校でも、大学でも入学拒否、アルバイトや就職での解雇、銀行口座開設もできない、海外へ行こうとしても入国拒否される国がある、などという普通の人には想像もつかない日常だ。
わたしは元オウム信者なので、このような事実にさほど驚きはない。事件後数年間は、信者だとわかると住んでいる家を追い出されることは珍しくなかったし、引っ越しても住民票の受け入れを拒否する自治体もあった。海外に行こうとして入国拒否された人も少なくないと聞いている。それでも、「麻原彰晃の子ども」として社会で生きる困難さは、元オウム信者のそれと比べようもないことは想像できる。(さすがに学校が入学を拒否するのはびっくりしたが)
「しかし・・・」と思った。
わたしは、このドキュメンタリーが映し出していない、隠れた側面に気づいてしまう。長塚洋監督は、加害者家族の困難さ、死刑、差別、人権侵害、それに負けずに生きようとがんばる松本麗華さんの姿を撮っているが、その困難さを見れば見るほど、わたしには別のものが見えてしまうのだ。
なぜ安全な教団にいないのか
松本麗華さんは、どんなに社会で生きたい・学びたいと願っても、門戸は固く閉ざされ、普通に生きることは困難だった。ここで映画を観た人は「もし松本麗華さんが教団にいたならば」と考えてみただろうか? 教団にいるなら衣食住、金銭的な心配をする必要はない。今もなお、父親である麻原教祖を信じて、崇拝している人たちのなかで生きていけるのだ。残っている信者はみんな、あのアレフ広報副部長の荒木君のように事件とは無関係で、彼女が幼い頃から知っている善良な人たちなのだ。
社会のなかで「麻原彰晃の娘」として差別されるよりは、父親が創設し、自分が育った教団にいるほうがはるかに「安全」ではないのか。教祖から後継者と公言された「三女アーチャリー正大師」は、教団ヒエラルキーのトップであることに変わりはないのだ。それなのに、彼女はオウム真理教の後継団体アレフには入らなかった。
わたしは、映画を観ながら思っていた。
「お父さんのいない教団、そこで形だけ守られることを選ばなかったんだね。わたしたちは『アーチャリー正大師』と呼びながら、あなたがあなた自身であることを決して許さなかった。あの頃、まだ子どもだったあなたの壮絶な孤独と苦しみを、わかろうとしなかった。本当にごめんなさい。」
事件から30年
映画のラスト、沢の激流を登る松本麗華さんを見ていると、オウム真理教事件から30年のさまざまな出来事が去来した。
地下鉄サリン事件、たくさんの被害者、繰り返される強制捜査、加熱する報道、大勢の逮捕者、裁判、弟子の離反、教祖の不規則発言、死刑判決、教団の内部闘争、分裂、脱会、その後の生活、そして13人の一斉処刑――
12歳のときから今日まで、松本麗華さんはいったいどれほどの離別、どれほどの裏切り、どれほどの死を経験したのだろうか。心が引き裂かれそうになり、何度死にたいと思ったことだろう。実際に死を選ぼうとしたこともあったという。彼女の言葉通り、それは激流の中を彷徨っていた日々で、今も出口なんて見えないかもしれない。それでもやはり、わたしは伝えたい。
「とにかく、こうして死なないで生きていてくれてありがとう。あなたたちが変わらずに、お父さんをただ好きでいる姿に、救われる思いがする。」
本当に生きていてくれて、ありがとう。
この映画を観て一人でも多くの人が、あなたの哀しみと愛をわかってくれたらいいな。

目の不自由な麻原教祖を先導する
アーチャリー正大師、当時9歳
