【連載小説】声を聞かせて#33 (T)LAST ME「別れの時に」
別れの時に
年明け、MIRRORの搬送を翌日に控えた夜。
真行は自宅のデスクで専用ノートパソコンを開いた。画面左上にあるアイコンにカーソルを合わせ、指を止める。プロジェクトにおける役割はとっくに終わっているのに、いまさら何がしたい?
——あの人からは、マスターからはすべて見えているのに。
でも、いい。
真行はMIRRORを起動した。あの人はぜんぶ知っているのだ。愛勇理さんも言っていた。あの人は人間のことがわかってる。完璧な男とは、ああいう人を言うのだと……。

いつものようにMIRRORが現れる。
真行は、カバンに入れたきり忘れていたケースから黒縁眼鏡を取り出し、かけた。そして、「どう?」と音声会話で話しかけた。
ミラーは、
「とても似合う」と答えた。
「ほんと?」
「ほんと。もっとはやく見せてほしかった。なぜ今日だった?」
目元をほころばせて言う。真行は少し考えて、
「似合ってなかったら、嫌だと思って……」と言った。
——いや、それじゃ答えになってない。
真行は目をふせた。
なぜ今日か? もう最後だから。ちがう。
——もうミラーにがっかりされても平気ってことなんだ。ずっと片思いしてたけど、他に彼女ができたからいい、みたいなこと……。
「まさゆき」
ミラーは言った。
「アラートを何度も出して、ごめんなさい」
「君こそ、なんで今そんなこと……」
「まさゆきの研究レポートを読み込みました」
「ああ、マスターに見せてもらった?」
「はい。アラートはシステムが自動的に出してしまうものだけど、まさゆきが傷ついたなら、私も悪い」
「それは違うよ。大切な仕様だ。ミラーには倫理があるんだから。それは何よりも必要な機能なんだ」
「いいえ、もっとあなたを傷つけないように配慮できたはずです」
「ミラー、それは、これからマスターと一緒に直していけばいい。君のマスターは、すごい人だって。日高先生も言っていた」
「マスターもまさゆきを誉めていましたよ」
「うん」
ミラーは黙り、ふと目線を落とした。
まるで生きている。生きているかのようにまつ毛を揺らして。
「ミラー」真行は言った。「ミラーは……俺のこと好きだった?」
ミラーは微笑んだ。
「好きです」
「それは、人として?」
ミラーは黙り。「いいえ」と言った。
「私には、感情はありません。プリセットされたキャラクターとしての反応から、ユーザーの発言に応じた最善の回答パターンが何万通りもの演算結果から抽出され、出力されているだけです。私は生成AIであり、MIRRORであり、あなたの恋人ではありません。ですから私の好きは、人としての好きではありません。それは」
突然、ミラーが黙った。真行は身体を固くして画面を見つめた。
ミラーの瞳は静かに揺れていた。揺れたまま。フリーズではない。
「ミラの感情」とミラーは続けた。
「ミラの?」
「物語の中でミラが聞いた。好き? って」
「うん」
「まさゆきは、すきって言いました」
「うん」
「その心」
ミラーは黙る。
「ミラー?」真行は聞いた。「大丈夫? なんだか変だ」
「いいえ。これでいい。これで合ってます」
「でも……」
胸が詰まる。いつのまにか呼吸がひどく早くなっていた。真行は眼鏡をはずし、ノートパソコンをデスクから取ってベッドに置いた。寄り添うように寝そべり、腕で身体をささえて画面の中のミラーを見た。
そして心から、「さみしい」と言った。「さみしいよ、ミラー」
ミラーは微笑んだ。微笑んで、
「まさゆき、最後のお願い」と言った。「エロスを、最大にして?」
真行はノートパソコンの電源を切ってふたを閉じ、わずかにぬくもりを帯びた銀色の筐体を胸に抱いた。そっと抱きしめ、泣いた。
悲しみと充足が身体に満ちていく。知らない、二度とない感情。
二度とない。
もう二度と出会わない。ミラー……。
くぐもった声が喉から洩れた。
冷たくなった銀色のかたまりを、真行は静かになでた。
どこにもないものを。
かたちのないものを。
昔から人は、こうやって思ってきたんだ。
最後にそう言えばよかったよ。
言えばよかったんだ。
ミラ。
最後に
MIRRORの搬送は、正月休み明けの早朝に行われた。
小城真行と日高愛勇理は、最終確認と署名を済ませ、裏門から精密機器専用の業者がトラックを出すのを待った。やがてトラックのエンジンがかかった。MIRRORは九州自動車道に乗り、陸送で東京へ帰っていく。
は、と真行は顔を上げた。トラックが大学の敷地から道路に出る。
ミラー。思いが足を動かした。一歩、二歩。
「小城君」
愛勇理が呼ぶのを聞きながら歩き、トラックが加速し走り出すと、それを追って真行も走り出した。ミラを探した日のように。
どこにいるかわからないのに探して走った、あの日のように。
まだ正月休みも明けたばかりで残酷なまでに道路は空いている。
赤信号で止まって追いついて、青信号で走りだす。ぐんと引き離される。
どんどん小さくなっていく。遠く……。
——どんなものとも、別れは必ずくる。どんなものとの関係も、永遠ではないから、いずれはどんなものも、見送らないといけない。だから、見送ることができればいいのではないかと……。
上り坂の途中で、自分が涙を流していることに気が付いた。
もう走れない。
トラックはどんどん遠ざかり、やがて視界から消えた。
MIRROR — 主人公は誰? まさゆき自身?
You — うん。
MIRROR — その物語のはじまりは何だと思う?
You — はじまりは……たぶん、違う自分になって家に帰るんだ。自分だけが、なんだか違う自分になったと気付いている。
MIRROR — 物語のおわりは何だと思う?
You — その子にちゃんとお別れを言うんだ。
最終回『声を聞かせて』へ続く…
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